第10話 ルーヴの聴取

 太陽が低くなり、赤みを帯びてきた。

 もうじき夕食の時間なのだろう。

 嗅ぎ慣れないけれどおいしそうな匂いが遠くから漂ってきている。

 話を聞いて回っている間に、遺体の運び出しが終わったらしい。

 僅かばかりに情報が増えた中、もう一度現場の確認をすることにした。


「ルーヴ書記官。普段どんな仕事をしているか、教えてもらっていいですか?」


 相変わらず人の見当たらない廊下を歩きながら、兄様は手持ち無沙汰なのか問いかける。

 書記官というと小間使いのようなイメージだ。

 現に来客者の案内という雑務をこなしているのだから。


「はい。上官から与えられた事務作業と、物資の管理が主な任務です」


「どうやら結構な人数がいるようですね。交流はないんですか?」


「自分はそういったものが不得手ですので、仕事以外の交流はございません」


「普段はどのように過ごしてるんですか?」


「朝四時に起き、日中は仕事をし、夜二十三時に就寝いたします。

 休日も寮から出ることはありません」


 淡々とした声で聞かされる模範的すぎる生活に、なんだか可哀相な気持ちがこみ上げる。

 自由に満ちているはずの若者が、ここまで私生活に無関心でいいものだろうか。

 自分のことは棚に上げながら憐れみを感じてしまう。

 限りなく短くされた髪なんて、規則で縛り付けられた大昔の軍隊のようだ。


「恐れ入りますが、クリシュナ様」


 ルーヴは寒々しい後頭部と共にピタリと足を止めた。


「これは尋問でしょうか」


 振り返っての言葉に首を傾げてしまう。

 ただの世間話なのにどうしてそんなことを聞くのだろう。

 なのに、兄様は感心したように小さく息を吐いた。


「一応、聞いただけですよ。ゾロ騎士長の判断としても、あなたの疑いは限りなく低いようですから」


 思ってもいなかった答えに、思わず二人を見比べてしまう。

 寡黙で感情の薄いルーヴが、私も気づかない兄様の機微に気づくとは。

 なんだか悔しい気持ちになっていると、兄様は張り詰めた空気を壊すように笑みを浮かべた。


「それにしても、ルーヴ書記官の言葉遣いは立派ですね。王宮の士官のようだ。

 文字の読み書きもできるようですし、名のある家の生まれですか?」


 兄様の称賛に対しても、ルーヴは眉一つ動かさなかった。

 この国の識字率はまだまだ低いし、敬語なんてもってのほかだ。

 なのにルーヴはほとんど完璧に言葉を使いこなしているのだから、そう思ってしまうのも当然だろう。


「自分は孤児です。読み書きなどはシスターに教わりました」


「……これは失礼」


 兄様の一瞬の戸惑いを気にした様子もなく、ルーヴはゆっくりと脚を進める。

 軍事国家であるこの国は、敗戦国の難民流入などの理由で貧富の差が縮まることはない。

 国家も多少の政策は取っているものの焼け石に水。

 それでも反乱が起こらないのは、皇帝の圧倒的な統率力のためなのだろう。

 その結果、人心を集めたい教会は孤児院を作り、武力を集めたい騎士団は一般入団の門戸を広げた。

 孤児院は常に過密状態だというけれど、ここまで勉学に力を入れていたらしい。

 ルーヴのような人間を育てる孤児院に興味があるけれど、実際に訪れることは不可能だろう。


「今更ですが、ルーヴ書記官はおいくつで?」


「今年で十八になりました」


「ほう……ここで働いて長いんですか?」


「一年前に入団いたしましたので、未熟者です」


 抑揚のない声はやっぱり中性的で、成人年齢だとは思えない。

 それでも生まれ育ちを考えれば、当然の結果なのかもしれない。

 むしろ、ルーヴと同じかそれ以上に虚弱な兄様のほうが問題なのだろう。

 昔よりも痩せ細った身体を見て、これから私が支えていかなければと決意を新たにした。


 二度目となれば多少は道筋も覚えていたらしい。

 迷うことなくたどり着いた儀礼室は、さっきと違う騎士たちが警備していた。


「ルーヴ書記官。そろそろ勤務が終わる時間でしょう。ありがとうございました」


 扉に近づく前、兄様はルーヴにそう投げかけた。

 優しい声色なのに冷たさを感じるのはなぜだろう。

 相変わらず表情を変えないルーヴには伝わっているのかいないのか。

 それでも静かに頷くと、深々とお辞儀をしてから去っていった。

 敬礼ではないらしい。

 子どもの真似事のような仕草より、よっぽど自然に感じた。


「いいのですか?」


「何がだい?」


 分かっているだろうに、兄様は問いかけてくる。

 施設内はほとんど足を運んだし、もう案内は不要だろう。

 けれど、やっぱり唐突に感じてしまった。


「ゾロさんは好意でルーヴさんを手配してくれたのでしょう?

 いきなり返して驚きませんか」


 あれほど紅玉を意識していた人だ。

 粗相をしたのかと慌ててしまうような気がする。

 けれど兄様はそんなことは欠片も考えていないようで、口元だけに笑みを浮かべた。


「フィオナ、この事件の容疑者を覚えているかい?」


「もちろんです!」


 唐突な質問だけれど、答えるのに苦労するものではない。

 先程までに会った人物を思い浮かべながら、一人ずつ名前を口に出す。


「正騎士のイグナス、記録官のポルク、女医のタレイア、副団長のブルアン。

 あとは部外者も一応、入れておくべきかと」


 頑なに主張していたゾロの意見は汲んでおくべきだろう。

 そうして挙げた名前を聞いて、兄様は指を二本立てた。

 どういう意味だろう?

 首を傾げて見上げると、兄様は穏やかに口を開いた。


「ゾロ騎士長とルーヴ書記官を忘れているよ」


「あ……」


 渡された名前は五人。

 けれど、それを書いた人物も含めなければいけないのだ。

 ルーヴに至っては人畜無害な印象が先立ち、書かれていたことすら忘れていた。

 迂闊すぎる自分を恥じていると、兄様はさらに話を続けた。


「ルーヴ書記官は案内という名の監視だからね。深部を調査する時は席を外してもらったほうがいい」


 監視……?

 思ってもいなかった単語に頭が追いつかない。

 あんなに自意識が低く、まるで影のように付き従っていただけの人間が?

 信じられない気持ちで兄様を見上げると、寂しげに眉を落としていた。

 

「ルーヴ書記官にその自覚がなくても、ゾロ騎士長はそのために手配したんだと思うよ。

 まぁ、限りなく疑いが低いというのも理由だろうけど」


 兄様はゾロの狡猾さに舌を巻いているのか、それともルーヴのことを哀れんでいるのか。

 上に立つ者は下に居る者の使い方を熟知しているのだろう。

 何も知らずに利用されたルーヴを思うと、私の眉も下がっている気がした。


「気にしていないといいのですが……」


「フィオナはああいう子が好みなのかい?」


「なっ……ふ、ふざけないでくださいっ!」


 まるで茶化すような言葉に、沈んだ気持ちが飛んでいってしまった。

 まったく、なんてことを言うのか。

 私はそういう、好きだの嫌いだのに興味はないのだ。

 あえて一人を選べと言われても、私はすでに選んでいるのだから。


「早くしないと日が暮れてしまいます、行きますよっ!」


 手を取れば笑って答えてくれる。

 そんな兄様と離れることがないよう、赤光に浮かぶ黒い姿にしがみついた。

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