第9話 ブルアンの聴取
残る容疑者は誰だっただろうか。
頭の中に五人の名前を浮かべていると、人が密集する場所に来ていた。
窓の少ない大きな建物はおそらく倉庫だろう。
日当たりのよくない場所だからか、どことなく陰気な空気を感じた。
その周りにいるのは、遠征から帰ってきた騎士たちに違いない。
賑わいを見せているのは、無事に帰ってきた安心感からなのか。
もしかしたら事件のことは知らないのかもしれない。
そんな状況で話題を投げかけていいのかと考えていると、兄様はふと片隅に居る姿に目を向けた。
その男は、時折周りに指示を出しながら、たった一人で黙々と散らばる物資を片付けていた。
背が高く、周りよりも体格のいい壮年の男性だ。
白髪交じりの髪は短く、肌は黒く日焼けしている。
だというのに覇気を感じられないのは、広いはずの肩を窄めているからかもしれない。
そんな後ろ姿に向かって、兄様は声をかけた。
「失礼。ブルアン副団長ですね?」
確信を持った問いかけに、縮めていた首が伸びた。
まさかそんなはずはあるまい。
そう思っていたのに、その男は緩慢に頷いた。
「そうだが、そちらさんは?」
低い声は見た目通り圧がなく、寡黙な職人のようにも感じられる。
けれど警戒の念はあるようで、じろりと私たちに目を向けた。
「調査官のクリシュナと監視官のフィオナです。レオーネ団長の一件で調査に来ました」
小声での言葉に、頼りなさげな男……ブルアンの眉が僅かに動いた。
組織の二番手となれば知らないはずもないのだろう。
周りにちらりと目を向けると、明るい雰囲気の中から無言で離れた。
倉庫からも賑わいからも離れた木の下で足を止め、ようやくこちらに振り返った。
「すまんな。奴らはまだ話を聞いていないんだ」
「かまいません。ブルアン副団長は、どれくらいお聞きで?」
「大して聞いていない。ゾロさんから、今朝レオーネが殺されたと言われたくらいだ」
レオーネ、と。
誰もが団長と呼ぶ人物を敬称なしで呼ぶ関係なのか。
若々しさも老熟さも感じないブルアンは、レオーネの年齢に近しく見えた。
「ゾロ騎士長からあなたにお話を聞くよう勧められましてね。
ブルアン副団長はレオーネ団長と親しかったんですか?」
その質問に、ブルアンは小さく笑った。
まるで自嘲しているかのような声は何を意味しているのだろう。
視線は今も片付けを続ける団員に向けられ、細く息を吐くのが聞こえた。
大規模な遠征だったのだろう。
馬を外した荷馬車には食料だけでなく、雑に畳まれたテントや雨具も積まれていた。
「あいつは上昇志向でな。一つ歳上なだけで先輩になった俺のことは、疎ましく思ってただろうよ」
「古い仲なのですか?」
「俺もレオーネも騎士学校に通っていたんだ。その結果はまぁ、こういうこった」
レオーネが団長で、ブルアンが副団長。
そういう意味での結果なのだろう。
出世競争に負けたらしいブルアンを、兄様は深く追求しなかった。
「遠征は遠くまで行かれていたのですか?」
「国境沿いにある緩衝地帯の手前に行ってきた。
隣国の動きがきな臭いと、急遽牽制がてらの大規模遠征になったんだ」
「それでは、昨晩はどのあたりに?」
「その場で篝火をあげての野営だ。そうじゃないと牽制にならんからな。
今朝は夜明けと共に出発し、ここまで十時間の行軍だ」
過酷な任務を想像するだけで疲れてしまいそうだ。
国境沿いといえば、ここからだと馬車で半日近くかかるはず。
それを徒歩で進むだなんて、騎士というのは想像より泥臭いものなのかもしれない。
「昨晩二十二時から四時までのことを教えていただけますか」
「それがあいつの殺された時間か……そうだな」
一瞬視線を上に向け、考えるような仕草をする。
けれどそれもつかの間、ブルアンは前髪に隠された兄様の顔に視線を合わせた。
「参加した者は全員、二十時から二十二時まで野営準備。
夜間訓練の後、午前零時に就寝。俺は二時間おきに警備担当からの定時連絡を受けていた」
頼りなさから一転、報告する姿勢はとても滑らかだ。
文官を自負するゾロと違い、ブルアンは見るからに武官だろう。
上に立つ者はそもそも武官も文官も区別をつけていられないのかもしれない。
「お休みにならなかったんですか?」
「遠征中は仮眠だけだ。敵地で眠れるはずがない」
ここにも戦争の経験者が居るようだ。
レオーネ、ゾロ、ブルアンは同年代で、もしかしたら長い付き合いなのかもしれない。
私には到底分からない感覚だけれど、ひとまず現場不在証明にはなりそうだ。
そもそも、国境からここまでそう簡単に行き来できないだろうけれど。
なのにゾロがブルアンの名前を書いたのは、単純に組織の二番手だからだろうか。
そんな私の疑問は的外れではなかったようで、兄様はゆったりと口を開いた。
「ブルアン副団長はレオーネ団長の先輩だと言っていましたね。
当初から立場が覆っていたんですか?」
あまりにも明け透けな言い方にぎょっとしてしまった。
調査とは関係ないのだから、そんなに深く聞くことはないのに。
さすがに気分を害するのではと思ったけれど、ブルアンは苦笑を浮かべただけだった。
「クリシュナさん、だったか。あんた、ずいぶん率直な奴なんだなぁ」
「調査に人心配慮は含まれていないので」
兄様がやんわりとした笑顔を返すと、ブルアンは私たちの背後に目を向けた。
部下であるルーヴに聞かせるのはよくないだろう。
席を外すよう頼もうかと振り返ると、小さく首を振られた。
「最初は俺が副団長になったんだがな。
前任の団長が引退する時、レオーネが抜擢された。ただそれだけだ。
騎士団に居る奴は誰でも知ってる」
それほどまでにレオーネが優秀だったのか。
それとも、先に副団長になったブルアンに至らぬ点があったのか。
組織内の人事についてとやかく言えるものではないけれど、ブルアンの面子は丸潰れだろう。
丸まった背中はその現れなのかもしれない。
「不満はなかったのですか?」
「別に。俺は偉くなんてならないでいいんだよ」
まるで諦めきっているかのように。
ブルアンはむしろほっとしているかのように吐き捨てた。
そんな時だった。
建物の中から出てきた団員が、ブルアンに駆け寄ってきたのは。
「副団長っ、聞きました? 団長が……」
「聞いてるよ。おら、お客さんの前だ。作業が済んだら寮に戻っとけ」
そこでようやく私たちの存在に気がついたのか、団員は飛び上がるような敬礼のあとに去っていった。
どうやら人望がないわけではないらしい。
むしろ、親しみに近いのかもしれない。
そうでなければ、脇目も振らず話しかけには来ないだろう。
ただ、それ以上に気になったのは、団員の態度だった。
まるでいいことがあったかのように、明るく弾んだ声だったのだから。
「他に聞きたいことはあるか?」
私の戸惑いにかまう気はないようで、ブルアンは兄様に静かに聞く。
ブルアンに犯行は不可能だ。
その時点で、深く話を聞く必要もないだろう。
兄様もそう判断したのか、小さく首を振った。
「ゾロさんに伝えてほしいことがあるんだ。ちょっといいか」
ブルアンはそう言って、背後に控えるルーヴに視線を向けた。
小さな報告任務まで聞き耳を立てる必要はないだろう。
強くなってきた風にローブを煽られないよう、木の幹に背中を寄せた。
「ゾロ騎士長は、動機の点では彼が一番疑わしいと判断したんだろうね」
「そうなのですか?」
「レオーネ団長が死んだことで、誰が一番得をする?」
団長のレオーネが死ねば、順当に行けばブルアンが繰り上がるだろう。
前回はそうじゃなくても、混乱状態の組織なら穏便な方法を採るに違いない。
「とはいえ、彼にとっては歓迎する出来事じゃないかもしれないけどね」
その言葉に兄様を見上げると、青々とした針葉樹の隙間から薄青の空が覗く。
冷たく乾いた風が吹き抜けるこの土地は、帝都と比べて生活に困ることも多いだろう。
「偉くならないでいいって言ってただろう?」
「あんなの嘘ですよ。きっと強がりです!」
どう言い訳したところで、欲を持たない人間などいないのだ。
欲は動機に繋がり、犯罪を招く。
といっても、ブルアンに犯行が不可能なのは変わらない事実だ。
いくら怪しくても無理なものは無理。
それよりも、イグナスという明らかに怪しい人物も居るのだ。
だというのに、兄様は短い会話を交わすブルアンから目を離さなかった。
「上昇志向の後輩と出世欲の薄い先輩。今の立場になって、二人の関係はどう変わったんだろうね」
今となっては知ることは不可能に近いだろう。
丸まった背中が遠ざかるのを待ち、寒風を避けるように建物へと入った。
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