第8話 タレイアの聴取

 食堂の前を通ることなく、いくつかある訓練場に併設された部屋へと案内される。

 近づくほどに酒精の匂いが漂い、そこが医務的な場所だということが分かった。


「タレイア先生、いらっしゃいますか」


 先導するルーヴが扉に向かって声をかけると、間延びした女の声が返ってきた。

 看護師だろうか?

 ポルクと同じく緊張感のない声に戸惑っていると、無個性な扉が開かれる。

 すると一歩入るよりも前に、むせ返る甘ったるい香りに襲われた。

 生花とは違う人工的な匂いは、粗末な椅子に座る女性から発されていた。


「どうしたの、おチビちゃん?」


 その女性は白衣を着ていて、他に人は居なかった。

 ということは、彼女がこの部屋の主なのだろうか。

 軍医、としか書いていなかったけれど、珍しいことに女性のようだ。

 医師は完全な男社会だというから、女医という存在は希少なものだろう。

 とはいえ、この匂いはいただけない。

 頭がくらくらする香りに対して、表情を歪めているのは私だけのようだ。


「ゾロ様の命により、調査団の方々の案内をしております」


 ルーヴの淡々とした説明の後、女医のタレイアは私たちに視線を向けた。

 白衣を着た身体は見るからに肉感的で、妖艶な雰囲気を与えている。

 長いまつげに縁取られた瞳は青く、顔の輪郭に沿って流れる金髪は艷やかだ。

 真っ赤な唇は紅を塗ったばかりのようで、机には化粧道具が載っていた。


「どうも。質問をさせていただいても?」


「あらぁ、あたしに分かることならいいわよ?」


 タレイアは広く開いた胸元を寄せ、膝まで見せる短いスカートで脚を組む。

 そんな格好をしながら兄様に向けられた目は、明らかに色を含ませたものだ。

 なんて失礼な女なのだろう。

 見るも明らかな調査官に対して、尊敬でなく色欲を向けるだなんて!

 けれど兄様はなんの気にもしていないようで、勧められた椅子をあっさり辞退した。


「レオーネ団長の検死結果について教えて下さい」


 兄様の率直な質問に、タレイアの視線から熱が消えた。

 どうやら調査と色仕掛けのどちらが大切かくらいは理解できるようだ。

 小さくため息をつくと、机の端に追いやられていた羊皮紙を手繰り寄せた。


「死亡推定時刻は昨晩二十二時から今朝の四時よ」


「ずいぶんと広いですね」


「仕方ないじゃない。あたしだって遺体を見たのはついさっきなのよ?

 あれだけ時間が経ったら正確な検死なんてできるわけないわ」


 あまりにも広すぎる死亡推定時刻は、タレイアが無能だからというわけではないようだ。

 タレイアが検死をしたのは、私たちが到着する直前だったらしい。

 ということは、約九時間も遺体の調査が行われなかったということだ。

 いくら最高責任者の死に動揺したといっても、これは問題ではないだろうか。

 事件当時の責任者であるゾロにはよく話を聞かなくては。


「致命傷は胸の傷ね。手足と局部の傷は死後に付けられたもの。

 出血の状況から遺体はあの場所から動かされていない。そんなところね」


 夥しい出血量を考えれば、移動なんてできないだろう。

 死亡推定時刻がここまで広いと、犯人を絞ることは難しそうだ。

 つまり、検死の結果はなんの材料にもならない。

 とんだ肩透かしを食らってしまったと思っていると、思案していた兄様が口を開いた。


「他に傷はありましたか?」


「古傷はあったけど、あれは昔からよ。事件には関係ないわね」


「それはどこに?」


「脇腹あたり。戦争の時の傷らしいわ」

 

 十年前に起こった戦争は、今も人の身体に残っていたのだ。

 自分とはかけ離れた境遇になんとも言えない気分になってしまった。


「そうですか。他に所見はありますか?」


「ないわね。それよりお兄さん、今夜ここに泊まるんでしょう?

 あたしの部屋にいらっしゃいな。こんなつまらない話より、もっと楽しいことをしましょ」


 仕事は終わったとばかりに、タレイアは兄様にぴたりと身体を擦り寄せた。

 目にも留まらぬ早業はよほど慣れているのだろう。

 まるで娼婦のような振る舞いに、思わず兄様の服を引っ張ってしまった。


「お嬢ちゃんには早いわよ? 一人が寂しかったら、そこのおチビちゃんとお話してなさいな」


 私はお嬢ちゃんではないし、夜に一人でいることくらいなんてことない。

 そもそも兄様の代わりにルーヴと過ごせだなんて、淑女に対してとんでもない発言だ。

 見下すような視線に思わず反論しかけたけれど、頭に兄様の手が置かれたので我慢した。


「お兄さん、よく見たら品のいい顔をしてるのね。そんな前髪で隠さず見せればいいのに」


 タレイアは私の怒りを受け流し、真っ赤な口角を引き上げ伸びた爪を伸ばす。

 隠された目元を見たいのだろう。

 それが兄様の灰色の髪に届く寸前。

 兄様はやんわりとタレイアの手を払った。


「生憎、僕が素顔を見せるのは命をかける相手だけなので」


「やぁね、断るにしてももっと言い方があるでしょう?」


 微笑みながらも頑なな様子に気を損ねたのか、タレイアは椅子に戻って化粧品に手を付けた。

 もう話すことはないだろう。

 兄様の服を掴んで部屋を出ようとすると、兄様は最後にと問いかけた。


「死亡推定時刻、タレイア医師はどちらに?」


「当直だったからずぅっとここに居たわよ。

 こんなことになるなら、ベッドに誰か連れ込んでおくべきだったわ」


 下品にもほどがある答えの直後、鼻が痛くなる医務室から脱出した。


「兄様っ! どうしてあんな女なんかに近づかせるのですかっ!」


 扉を閉めてすぐ、思わず叩きつけるように言ってしまった。

 いくら調査のためとはいえ、あんな人間の好きにさせる必要はない。

 なのに兄様は微かに苦笑しただけで、私を宥めることはしなかった。


「ルーヴ書記官はゴシップに詳しいですか?」


「いいえ。自分はそういった話に縁はございません」


「そうですか、でしたら次に行きましょう」


 そう言って、兄様は長い足を外へと向ける。

 ようやく毒花から遠ざかることができる。

 ほっとしていると、隣から小さな笑い声が聞こえた。


「……何がおかしいのですか?」


「ごめんごめん。でも、フィオナも分かっているだろう?」


 そう、分かってはいるのだ。

 彼女は本気で口説いていたわけではない。

 ああしたほうが異性を利用しやすいだけだ。

 監視官になる前、私もああいった術を学ばされたことがあるのだけれど……。

 まぁ、結果は火を見るより明らかだった。

 十六歳らしかぬ体躯の私に、色術なんて馴染むはずがない。


「こちらとしても欲しい情報は得られたけどね。

 今後彼女と接することがあったら、もう少し敵意を隠すように」


 そう窘められ、つい首を竦めてしまう。

 だって、兄様に近づくから……。

 そう言ってしまうのは我が侭がすぎるだろう。

 だから先を進むルーヴに見られないよう、兄様の指をそっと握った。

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