万理亜!

 八階の扉を開けるとその先は異様な光景だった。

 廊下に置かれていたと思われる観葉植物や小物、椅子などが宙に浮かんでいる。

 床にはマザーAIの黒いドローンが破損した状態で何台も落ちていた。

 壁や天井からはビシギシという音が聞こえてくる。

 俺は一気に空気が張り詰めたような感覚を覚えた。


「ま、万理亜まりあ……?」


 この先に万理亜がいるはすだった。

 だがそこまでの道のりが遠く険しいもののように思われて、俺は一歩が踏み出せなかった。


「恐れないでください、明太郎めいたろうさん。私が最初に答えを出したとおり、明太郎さんなら万理亜ちゃんの力を止められます。信じてください。」

「あ、ああ……。」


 俺は『たま』の言葉に勇気づけられた。

 そうだ、俺は万理亜の赤い糸の相手。万理亜には俺しかいないのだ。

 俺は覚悟を決めて前に進んだ。

 万理亜がいるのは一番奥の執務室だ。

 扉は開いている。


「万理亜! 今助けに行くからな!」


 俺は万理亜に聞こえるようにと命一杯、万理亜の名前を呼んだ。

 万理亜の返事は聞こえなかったが俺は迷わず進んだ。

 これはなんだ?

 進むにつれて強い圧力を感じる。

 前方の執務室から何かに弾かれるように飛んできた黒いドローンの残骸を、俺はギリギリかわし、執務室の入り口に立った。



 執務室の中には、万理亜の周囲を球状に抉り取ったような何もない空間があった。


「万理亜!」

 

 俺は再び万理亜の名前を呼んだ。

 だが、執務室の中央に浮かぶ万理亜の目は虚ろなままで反応が無い。

 万理亜の周りを取り囲んでいたマザーAIの黒いドローンが万理亜に向かって飛ぶが、見えない何かにぶつかり弾かれていた。

 あれは、あの時ヘリに連れ去られそうになる万理亜に伸ばした俺の手を拒絶した力と同じだ。

 あれでは黒いドローンの洗脳する光は万理亜には届かない。

 マザーAIは万理亜をコントロールする術を失っていたのだ。

 マザーAIの黒いドローンの『声』が俺に向かって言った。


「三浦明太郎。ここまで来たのですか。見てのとおり、千葉万理亜は人類の脅威となりましたね。心を停止させた結果、世界を虚無で飲み込もうとするとは……恐ろしい存在です。」

「お前が万理亜を追い詰めたんだろ! 万理亜は純粋で優しい女の子だったんだ!」

「三浦明太郎。このまま千葉万理亜を放置すれば、東京だけではない。日本中で同時に大地震が起こり、日本は破滅しますね。そしてその次は月が地球に落ちてくるでしょう。人類は絶滅しますね。」

「そんなことは俺がさせない! 万理亜を止めてみせる!」

「三浦明太郎。あなたに何ができますか。」

「黙ってろ、マザーAI!」

 

 俺は万理亜に向かって走って近づこうとした。

 しかし、俺の体は万理亜の拒絶する力に阻まれて前に進まなかった。


「万理亜! 俺だ! 明太郎だ! 目を覚ましてくれ!」


 黒いドローンが俺に向かって飛んでくる。


「三浦明太郎。無駄なことは止めなさい。あなたも少し心を落ち着かせる必要がありますね。」

「なっ、やめろ!」


 黒いドローンが俺に向かって光を浴びせようとした時、ロボットの『たま』が一歩前に出た。

 『たま』が手を掲げると、俺を襲おうとした黒いドローンは飛行能力を失い地面に落下した。

 黒いドローンの『声』が『たま』に言う。


「……あなたはプロジェクトAIビルドナンバーナイン? いや、あなたは……。」

「明太郎さん。私はこれから上の階のサーバールームでマザーに会って来ますので、万理亜ちゃんのことは頼みましたよ。マザーに手出しはさせません。」

「わかった。『たま』、そっちは頼んだぞ。」


 そう言い残し、走るでもなく変わらないペースでロボットの『たま』は部屋を出ていった。

 これで邪魔は入らない。

 俺は万理亜に向き直った。


「万理亜!」


 俺は何度も万理亜の名前を呼んだ。

 万理亜が意識を取り戻し、心を取り戻し、元の万理亜に戻ってくれさえすれば、きっと大地震なんて起こらないはずだ。

 だが、一向に万理亜は俺の呼びかけに反応を示さなかった。

 声が聞こえていないのか?

 もっと万理亜に近づかなければ。

 俺は万理亜の拒絶する力に、超能力で対抗した。

 前方に力を集めて万理亜の力にぶつけた。

 ダメか、押し負ける……。

 いや、拒絶してどうするんだ?

 俺が万理亜を受け入れないでどうする?

 俺は拒絶ではなく受け入れるイメージで万理亜の力に触れてみた。

 すると、さっきまでの壁のような空間が嘘のように、包まれるような感覚で俺は万理亜の空間の中に入ることができた。

 俺と万理亜の超能力が混じり合っていた。


「万理亜。」


 俺は万理亜の目の前に歩み出た。

 まだ万理亜の目は虚無を見つめている。

 でも今なら万理亜に俺の気持ちが伝わると思った。


「万理亜。目を覚ましてくれ。一緒に帰ろう。」


 微かに万理亜が口を開いた。


「明太郎さん……。」

「万理亜!」

「明太郎さん……。もう、私は私がわからないんです。」

「万理亜……?」

「私の力が周囲を不幸にする。私なんていない方がいいと思いました。だけれど、その時に浮かんだのは明太郎さんや比呂美さん、お父さんや『たま』ちゃんのことでした。私はみんなとお別れするのは嫌です。みんなを不幸にしてしまうのに。私は私が理解できない……。」

「万理亜、俺の目を見ろ。俺の中の万理亜を見てくれ。これが万理亜だ。自分がわからなくなったら俺を見てくれ。俺が万理亜の鏡になる。だから心配しなくていい。」

「明太郎さん!」

「万理亜。俺がいるから。俺と万理亜は一生赤い糸だ。俺が万理亜の運命の相手だ。万理亜がまた暴走しても俺が何度だって止めてみせる。」


 万理亜の目から涙がこぼれる。

 その表情は今まで見た万理亜のどの笑顔よりも輝いて見えて綺麗だった。

 俺は万理亜に手を伸ばした。

 万理亜が俺の目の前に降りてくる。

 俺は万理亜を力いっぱい抱きしめた。


「万理亜。好きだ。」

「私もです。明太郎さん。」


 俺は万理亜と唇を重ねた。

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