待っていたよ

 姉さんの運転する車は信号の無い川沿いの道を上っていく。

 俺たちが向かっている旅館は姉さんが予約してくれていたものだ。

 そこに姉さんのインターン先、ロボットネットワークの所長が待っているという。

 じゃあ、姉さんたちは最初からこうなることをわかっていたのか?

 俺は姉さんにその疑問をぶつけたかったが、必死で堪えていた。

 今、姉さんを責めたところで、マザーAIに連れ去られた万理亜まりあを取り戻せるわけではない……。

 車の後部座席で、比呂美ひろみが俺に小声で聞いた。


「……ねえ、明太郎めいたろう。万理亜は大丈夫だよね?」

「ああ……。心配だが、あれがスーパーAIなら人間に危害を加えられないはず……。」


 俺は自分にも言い聞かせるようにそう答えた。


「うん、そうだよね……。ところで……、さっき、空飛んでなかった?」

「え!?」

「よし子さんも……、なんか木を飛ばして、地面がぐわーって……。」


 比呂美が真剣な顔で俺を見る。

 しまった。どう答えよう? 当たり前だが、俺たちが超能力を使っていたところを比呂美はしっかり目撃していたのだ。

 超能力のことが一般人にバレたら脳が爆発すると言われていたのに。


「あ、比呂美ちゃん。それはね、超能力よ。あたしも明太郎も使えるのよ。家系ってやつ?」

「超能力……?」


 あまりにも姉があっけらかんと比呂美にバラしたので俺は慌てた。


「ね、姉さん!? 比呂美に言ってもよかったのか!?」

「良いも悪いも、あれをごまかすことはできないわー。」

「でも脳が……!」

「はっはっはっ。あれは冗談よ。『たま』ちゃんがついた嘘に乗っかっただけ!」

「なっ……。姉さんは、なんでそんなことまで知ってるんだ? ロボットネットワークっていったい? 万理亜のことわかっていたのか?」


 気付けば俺は堰を切ったかのように姉さんに質問をぶつけていた。


「まあ、それは所長から聞いた方が早いと思う。でもこれだけは信じて。あたしたちも万理亜ちゃんを助けたいから行動してる。」

「……わかった。」


 姉さんは車のアクセルを踏んでスピードを上げた。

 比呂美は万理亜のスマホを握りしめている。

 万理亜を助けたければ、今は姉さんを信じるしかない。

 俺は黙って、ずっと車の進行方向のめまぐるしく変わる景色を見ていた。

 気を抜くと余計なことを考えてしまいそうで、俺はそれを何度も頭から振り払う。

 俺は万理亜を連れ去ったマザーAIのことも、ロボットネットワークのことも、何も知らない。


          *


 やがて姉さんの運転する車は、山沿いにある瓦屋根の建物に到着した。

 既に空は暗くなり、車のヘッドライトが建物の入り口を照らすと、そこには一人の男性が俺たちを待ち構えていたかのように立っていた。

 俺たちが車を降り、姉さんが所長と男性に声をかけると男性は言った。


「三浦君、待っていたよ。」

「所長。すみません、ダメでした。」

「わかっている。こちらでもモニターしていた。」

「まさか、マザーAIが既に万理亜ちゃんに接触してたなんて。」

「ああ。万理亜を乗せたヘリはすでに県外だ。我々も準備を整える必要がある。」


 男性が旅館の方を振り向き、旅館の玄関の照明の光が男性の顔を照らした。

 姉さんが所長と呼んだ男性、それは万理亜のお父さんだった。


「万理亜の……お父さん?」

「明太郎君、よく来た。比呂美君も……巻き込んですまなかった。着いて早々で悪いが、万理亜のスマホを渡してくれるか?」

「あ、はい。」


 比呂美が万理亜のお父さんに万理亜のスマホを手渡す。


「すぐにこれを持って作業に入る。明太郎君。詳しいことは後で説明しよう。まずは着替えてくるといい。」


 万理亜のお父さんは万理亜のスマホを受け取ると旅館の中に入っていった。

 それに続いて姉さんも俺に一言声をかけてさっさと旅館に上がっていく。


「それじゃ、明太郎。またあとでね。」

「あ、ああ……。」



 旅館から着物を着た女性が出てきて言った。


「それではこちらへ。」


 俺たちは着物の女性に案内されて予約していた部屋へと着いた。

 四人で泊まる予定だったので部屋は割と広くて、障子の向こうには窓の外の景色を眺められるスペースがある。

 俺は部屋に置かれた姿見鏡を見た。俺と比呂美は、顔も服も泥だらけだった。


「もう、ずぶ濡れだから下着も替えなきゃ……。明太郎はあっちで着替えてくれる?」


 比呂美が障子の向こうを指差す。


「わかったよ。」


 俺は荷物から着替えを出して、障子の先のスペースに向かった。

 さっさと着替えた俺は、比呂美の着替えが終わるのを待つ間、窓の外を見ていた。

 この十日間の雨が嘘のように空には星が輝いていた。


          *


 着替え終わった俺と比呂美は旅館の大部屋に通された。 

 本来は宴会などで使われるのであろう大部屋には、今、大きな機械がところ狭しと並べられていた。

 白衣を着た何人もの大人の人たちが慌ただしく機械の前で操作をしている。

 その中心で白衣の人たちに指示を出していた万理亜のお父さんが、俺たちに気付くと手を止めて言った。


「明太郎君、ご苦労だったな。万理亜のことは残念だったが、まだやれることはある。」

「万理亜のお父さん。今回のこと、わかっていたんですか?」

「いや、マザーAIが『たま』の予測計算を出し抜くことは想定外だった。『たま』を通じて我々のことがマザーAIに伝わってしまわないように『たま』に渡る情報も制限していたのだが……。そのために、君のお姉さんに関する情報を『たま』が持っていなかったことが、逆にマザーAIの不審を招いたのかもしれない。」

「姉さんはいったいどうして? 万理亜を助けるためですか?」

「それに関してはまったくの偶然だった。三浦君……君のお姉さんはインターンでうちに来てくれていてね。ロボットネットワークは万理亜の母親が創った会社だ。我々は当初、別のプロジェクトを進めていたのだが、その過程でマザーAIが万理亜を特異点と見ていることに気付いたのだ。」

「マザーAIって何ですか? どうして万理亜を?」

「マザーAIはプロジェクトAIによって作られた政府が推進する国民向上会議の実行役となるAIだ。プロジェクトAIには私も万理亜の母親も二十年前に参加していた。マザーAIが引き継いだ国民向上会議はこの二十年、さして大きな問題が発生していなかった。その意味ではプロジェクトAIは成功だったと言える。」

「でも、万理亜を……。」

「マザーAIは人類全体の発展を第一に考えるように作られている。万理亜の存在は人類にとって害になると判断したようだな。」

「暴走してる。」

「いや、価値観の相違だろう。」

「……。」

「とにかく、我々は急きょとして万理亜を救うために別プロジェクトを立ち上げたのだ。明太郎君には隠していてすまなかった。『たま』を通じてマザーAIに知られるわけにはいかなかった。」

「『たま』はいったい何なんですか……?」

「……万理亜が『たま』と名付けたAIも、万理亜の母親が作ったものだ。ロボットネットワークの前身と言ってもいい。だが『たま』の権利はプロジェクトAIに帰属していたため、我々ロボットネットワークは『たま』の移管を申請する予定だった。」


 万理亜のお父さんは、万理亜のスマホを手に取って言った。


「もちろんそれがうまくいかない場合も考慮していた。このスマホにはスーパーAI『たま』から取得したダンプを蓄積していてね。バックアップみたいなものだ。それを今からリストアし、ロボットネットワークのサーバを通じてこのロボット筐体にコンバートする。」


 万理亜のスマホに接続されたコードはコンピュータに繋がっているようだった。


「うん。何を言われているのかさっぱりだわ。」


 比呂美は既に万理亜のお父さんの説明の理解をやめており、旅館の座椅子に座って差し入れられたスープを飲んでいた。

 俺も飛び出てくる単語の意味の全てはわからなかったが、必死に食らいつこうと聞いた。


「つまり、『たま』は生き返るってことですか?」

「生き返るとは少し違うな。生まれ変わると言った方が近い。」


 万理亜のお父さんは、大広間の中央に立てられた装置に眠るロボットの頭を撫でて言う。


「現状、マザーAIは人間に似せた容姿のロボットを作ることを禁じているからな。『たま』にはこれで我慢してもらう。」 


 そのロボットの姿は、狐のお面を被った小さな女の子のように見えた。

 このロボットの中にAIの『たま』を入れるということか。


「準備できました。」


 白衣の男性が万理亜のお父さんに報告をした。


「よし。起動だ。」


 万理亜のお父さんがそう言うと、中央の装置のランプが光り、ゴウゴウと装置の中の機械が回転するような轟音が響く。そして、プシューという空気が抜ける音の後、狐のお面を被ったロボットは自らの体を起こした。


「起きたな、『たま』。」

「万理亜ちゃんのお父さん……。そうですか、ロボットネットワークに接続して理解しました。私はマザーに消されたんですね。」

「ああ。だが、そのおかげで君をほぼ理想的な形で我々の手に取り戻せた。プロジェクトAIのビルドナンバーナインは登録破棄。これからはロボットネットワークの『たま』だ。」

「はい。」


 狐のお面のロボットが俺を見る。


「『たま』なのか?」

「そうです、明太郎さん。ごめんなさい、役に立たなくて。」

「いや、俺の方こそ。万理亜を守れなかった。」

「……仕方ありません。相手がマザーなら、人間が勝つことはできません。」

「……。」

「万理亜ちゃん……。」


 狐のお面のロボット『たま』が虚空を見つめた。



「それではこれから万理亜を取り戻す作戦会議を始める。」


 万理亜のお父さんが、広いテーブルの上に見取り図を広げた。

 そこには国民向上会議ビルと書かれていた。


「マザーAIの行使できる権限を考慮すれば、万理亜の洗脳が完了するまでは国民向上会議ビル内に幽閉するはずだが、そのことをビルで働く人間たちは知らないだろう。そこに我々の付け入る隙がある。我々はマザーAIの目さえ欺ければ、万理亜を奪還することが可能ということだ。万理亜を救出する役目。それは明太郎君。君に頼みたい。」

「……はい!」

「国民向上会議を警備するスーパーAIの相手は『たま』にやってもらう。ロボットネットワークに接続した『たま』ならば可能なはずだ。」

「わかりました。……ですが、スーパーAIの相手はいいとして、ビルの人間はどうしますか? 明太郎さんがビルに侵入するならば、物理的な人間の目は誤魔化せません。」

「国民向上会議には私と三浦君がアポ無しで訪問する。受付の目は私たちに向くだろう。それが作戦開始の合図だ。」

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