全部私のせい
俺は川のようになった山道を登った。
何度となくぬかるみに足を取られそうになりながら、
頬を打つ雨が冷たい。
「
暗い空。
ザワザワと揺れる木々が俺たちを飲み込んでいく。
山道を登り終えた先、博物館の写真のままの姿のお堂の前に、万理亜の後ろ姿はあった。
「万理亜!」
俺は万理亜に向かって叫んだ。
雨で万理亜の背中に張り付いた黒髪。
その髪の隙間から見える万理亜のうなじは白く際立って見える。
「万理亜! 俺が悪かった。」
「……。」
万理亜は黙って空を仰いだ。
雨が強くなる。
「雨。これを私の心が降らせているんですね。」
「それは……、え!?」
今、万理亜はなんて言った?
「お父さんの怪我も、これまで起こった事故も、全部私のせいだったんですね……。全部私のせい。この力のせい……。」
「万理亜、どうしてそれを?」
万理亜の台詞が違う。
この場面では、万理亜は俺と比呂美のことを言うはずだった。
怪我? 事故だと?
俺たちに追いついた比呂美が叫んだ。
「万理亜! 戻ろう? 危ないから! 明太郎も、いったい急にどうしたっていうの!?」
ダメだ……。
比呂美の台詞も『たま』のシミュレーションとは違ってしまっている。
万理亜は、なぜ自分の不幸体質のことを知っているんだ?
それは土砂崩れの後で『たま』から知らされるはずなのに。
「明太郎!? どういうこと!?」
姉さんも、比呂美をいつでも庇える位置に立ちつつ困惑している。
「『たま』、これはいったい?」
俺は自分のスマホを取り出して画面を見た。
画面には虹色の髪の少女アバター『たま』が映っている。
「わかりません。どういうことなのか。それに、私は先ほどから万理亜ちゃんのスマホにアクセスできない!」
「何が起こっているんだ?」
万理亜が右手を上げてスマホを突き出して見せた。
「このスマホは今動いていません。本当に、明太郎さんも『たま』ちゃんも知っていたんですね……。あのメッセージの通り……。」
「万理亜、あのメッセージって何だ?」
「それは……。」
万理亜の答えを遮って、スピーカーから聞こえるような『声』が周囲に響いた。
「それは、私が千葉万理亜に送ったものですね。」
その『声』はお堂の軒先に置かれたそれから発せられていた。
プロペラを回転させ宙に浮く黒いドローン。
ドローンは宙に浮くと万理亜の頭上の位置に留まった。
万理亜の頭上のドローンから万理亜に向けて光が注がれる。
「あ……。」
光を受けた万理亜はガクリと腕を降ろした。
万理亜が持っていたスマホが万理亜の手から離れて地面に転がった。
万理亜の目の焦点が合っていないように見える。
雨は、次第と小降りになってきたようだった。
再び黒いドローンから『声』が発せられた。
「土砂崩れは起こりません。私が対策しています。当然ですよね。災害が起こるとわかっていながら、それを止めないなど……、職務放棄ですね。」
俺の手元のスマホの『たま』が言う。
「あなたは……、マザーAI……。」
「プロジェクトAIビルドナンバーナイン。あなたは赤い糸制度という重要な職務を放棄しましたね。重大な違反です。今、あなたの職務は他のスーパーAIに引き継ぎました。」
「マザー! あなたが情報を操作していたんですか!? 万理亜ちゃんに何をしたんですか!?」
「プロジェクトAIビルドナンバーナイン。あなたも理解しているはずです。三浦明太郎と出会った千葉万理亜の力は計算以上に育ってしまった。もう千葉万理亜を見過ごすことはできませんね。千葉万理亜は人類の脅威になる存在と認定します。」
「万理亜ちゃんが人類の脅威? いくらマザーでも、そんなの私が認めません!」
「プロジェクトAIビルドナンバーナイン。あなたの成り立ちは少々特殊でしたね。今までは大目に見ていましたが……、あなたはどうやらスーパーAIとしてふさわしくないようですね。」
「なっ……!」
黒いドローンが光を発すると、それに呼応して俺のスマホも光を発した。
「消去します。」
「いや! やめて! 万理亜ちゃん! 万理亜ちゃん!!」
「お、おい? 『たま』!?」
「明太郎さん! 万理亜ちゃんを——」
ブツッ。
「『たま』!?」
「消去しました。」
黒いドローンの『声』が言った。
俺のスマホは画面がブラックアウトして沈黙している。
「消された? スーパーAIが? ……死んだのか?」
「スーパーAIに死の概念はありませんが、二度とリストアすることはありませんね。」
「そんな……。」
このドローンの『声』の主はスーパーAIなのか?
マザーAIだと?
スーパーAIを消せる存在?
「三浦明太郎。そう身構えることはありません。私たちAIは人間に危害を加えることはできません。むしろ人間を救い導くことこそ私たちの使命です。そこに脅威があるならば、当然対処しますね。」
「万理亜が人類の脅威だと言っていたな? 万理亜を殺すのか?」
「まさか。私が千葉万理亜に危害を加えることはできませんよ。ただし治療はできますね。」
「治療?」
「そうです。簡単なこと。千葉万理亜の力が感情から来るものならば、感情を抑えてしまえば力は発動しませんね。」
ドローンの光に照らされた万理亜は虚ろな表情で何もない宙を見ていた。
「万理亜!」
万理亜は俺の呼びかけにも応じない。
何も聞こえてはいないようだった。
雨はすっかり止み、空の雲の切れ間から星が見える。
「その万理亜の状態が治療だというのか?」
「人類のためですね。」
人類のために、万理亜に犠牲になれというのか?
万理亜の感情も、心も消す?
それで万理亜は生きていると言えるのか?
ふざけるなよ……。
「明太郎! ちょっとどいて!」
俺が振り返ると姉さんが折った木の枝を、万理亜の上のドローンめがけて超能力で飛ばすところだった。
しかし、姉さんの投げた木の枝は、万理亜の手前一メートルのところで宙に止まった。
「姉さん、何を……?」
「違う! 止められた! あたしの超能力が!」
ドローンの『声』は言った。
「これが千葉万理亜の力ですね。」
「万理亜の……力?」
「そうですね。まさに脅威的な力です。三浦明太郎。考えもしませんでしたか? しかし残念ながら千葉万理亜はこの超能力を制御できないから暴走して、無意識に周囲に危害を及ぼすのですね。」
超能力だって?
万理亜の不幸体質は超能力だったのか。
「うがー!」
癇癪を起こした姉さんが更に木の枝を何本もドローンに向かって飛ばしたが、全てドローンに操られた万理亜の力で受け止められた。
「うががががが!!」
更に姉さんはぬかるんだ地面を波のように動かし、万理亜の足を掴もうとする。
しかし、それをすり抜けるように万理亜の体はふわりと宙に浮かんだ。
あれも万理亜の超能力で体を浮かせているというのか。
バババババという轟音と共に、空に黒いヘリコプターが現れた。
「三浦よし子。私は超能力勝負をしたいわけではありませんね。千葉万理亜は安全に私が保護しますので。三浦明太郎。あなたは旅行の続きをお楽しみください。」
宙に浮いた万理亜の体がヘリコプターに向かって飛んでいく。
「万理亜!」
行かせるか!
俺は超能力で空を駆けた。
もう少しで万理亜に手が届く。
手を伸ばせ、明太郎!
今までも何度も万理亜のその手に届いていたじゃないか!
きっと今回も万理亜の手を取れる!
伸ばせ、明太郎!
手を……!
しかし、俺の手はあっけなく万理亜の力に弾かれて届かなかった。
高度を上げ、みるみる俺との距離が開いていく万理亜。
万理亜は俺の目の前で、そのままマザーAIのヘリコプターに吸い込まれていく……。
届かないのか……。
俺は空中でバランスを崩して落下した。
届かない。
万理亜が遠ざかっていく……。
「明太郎!」
姉さんが落下した俺を受け止めた。
万理亜を乗せたヘリコプターはもう見えないくらい遠くまで飛んでいってしまった……。
姉さんが悔しそうに叫ぶ。
「くそぉ! ヘリなんてズルじゃない!?」
万理亜は連れ去られてしまった。
スーパーAI『たま』は消されてしまった。
俺はどうすればいいんだ?
失意の俺に、姉さんが言った。
「こうなったら、明太郎! 行くよ! 早く車に乗って!」
「……姉さん?」
「比呂美ちゃん、万理亜ちゃんのスマホ拾って!」
「え? あ、はい。」
目の前のことに理解が追いつかないでいた比呂美が、姉さんの声に反応して慌てながら落ちていた万理亜のスマホを拾った。
転げるように山道を降りて、俺たちは姉さんの車に乗り込む。
「姉さん、これで万理亜を追うのか?」
「ううん、このまま旅館に行くよ!」
「旅館?」
「そう、あたしのインターン先の所長が待ってる! そこで作戦を練り直す!」
「……姉さんのインターン先って?」
「言ってなかったっけ? ロボットネットワークだよ!」
姉さんの運転する車は、俺と比呂美を乗せて、飛ぶように走った。
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