白蛇の姫

 十日後、俺たちは姉さんの車で長野に向かっていた。

 鼻歌を歌ってゴキゲンに運転する姉さんの助手席には俺が座り、後部座席には比呂美ひろみ万理亜まりあがいる。

 俺は時折、後部座席を気にして見ていたが、二人は会話もなく、それぞれ逆側の窓の外に目をやっていた。

 車の窓を打つ雨。とてもではないが、旅行日和とは言いがたい。

 雨は十日前から止む気配はなかった。

 しかし、ここまでは『たま』のシミュレーション通りだ。

 ひたすら独りで喋りまくる姉に、隣に座っている俺だけが相槌を打つ。


「あいにくの雨だけど、こういうのも夏休みっぽいよね!」

「そうだなー。」

明太郎めいたろうが一人で旅行に行くっていうから、あたしがみんなで行こうって言ったのよ!」

「……え。そうだったかな……。」


 姉さんの言動にヒヤヒヤする。

 俺は万理亜と比呂美を旅行に誘う口実を別の理由にしていた。コーチに教えてもらった長野に行ってみたい、せっかく夏休みだからみんなで旅行に行こう、と俺は二人を誘ったのだ。

 姉さんには、万理亜のことも『たま』のシミュレーションのことも、俺が長野に行く目的も全て打ち明けた上で協力をお願いしていた。

 だから姉さんもシミュレーションの段取りを理解してくれていると信じるしか無いが、ついポロッと余計なことを言いそうで怖い。

 最初は旅行に乗り気で喜んだ比呂美も、姉が運転手で同行すると聞いてテンションが下がっていた。実際に車に乗って、姉の急加速や速度を落とさない右左折を体験してからは、更に口数が少なくなっている。

 万理亜は……旅行に誘う前からずっと元気がない気がした。いや、万理亜の心情はこの降り続ける雨が物語っている。万理亜はもう俺と比呂美がキスをして関係が進展したことを知っているのだろう……。今それを確かめる勇気は俺には無いが。

 幸いにも、後部座席の二人は姉のお喋りには興味を示していないようで、姉の発言について違和感をもってはいないようだった。


「みんな、眠くなったら寝てていいからね。」


 適度に休憩を挟みつつ、俺たちは確実に長野にあるコーチの故郷に近づいていた。

 いつのまにか、寝息を立てている万理亜と比呂美。

 早朝に出発したので疲れたのだろう。

 だが俺は出発してからずっと緊張が続いていて、眠気は全く感じていない。

 コーチの故郷に着いたら、何がなんでも『たま』のシミュレーションどおりに行動しなければならないのだ。一つでも間違えれば結末は大きく変わってしまう。

 『たま』のシミュレーションでは、俺と姉さんが土砂崩れから万理亜と比呂美を救い出した後、『たま』が二人に万理亜の不幸体質のことを話すことになっている。それですんなりと二人の協力を得られ、万理亜の体質は安定するという。

 危ない賭けだ。

 でもやるしかない。

 これからが本番だった。


          *


 車は長野のコーチの故郷へ無事に着き、俺たちはそのまま白蛇の姫にまつわる展示がされている町の博物館に向かった。

 旅館と博物館の位置関係上、先に博物館に寄るのは不自然ではない。

 ここが運命の分かれ道だ。

 この博物館に隣接する公園に、白蛇の姫のお堂に通じる山道の入り口がある。

 雨は降り続く。

 姉さんが博物館の駐車場に車を止めた。

 俺は後部座席で寝ている比呂美と万理亜を起こした。


「着いたぞ。」

「……もう?」

「そうだよ、よく寝てたな、比呂美。」

「ここは……?」

「旅館に行く前に少し休憩だ。車に長時間乗っていて疲れたろ、万理亜。」


 俺は傘を差して、外から比呂美側のドアを開けた。

 んーっと大きく伸びをして比呂美が車の外に出る。

 比呂美が自分で傘を差して辺りを見渡した。


「へえ、博物館。」

「ああ。」


 続けて万理亜も外に出た。

 姉さんが万理亜に傘を手渡した。

 姉さんには、万理亜から目を離さないように頼んでいた。


「……ありがとうございます。」

「いえいえ、どういたしまして!」


 俺たちは駐車場から博物館の建物に向かって歩く。

 俺がこの博物館に来た目的はもちろん白蛇の姫の伝説を知るためだ。

 『たま』のシミュレーションでは、俺がここに来ることは確定していた。では、俺は目的を果たせたのだろうか? それが、はっきりしていなかった。

 もしもこの博物館で情報を得られなかったとしても、今日を乗り越えれば、旅行の日程はまだ明日も明後日もある。

 俺は諦めないぞ。



 博物館は、意外にも広くてスッキリして、冷房も効いていて快適な空間であった。

 受付で姉さんが俺たちの分の入館料も払ってくれた。

 展示は町の歴史的なもの以外に、夏休みということもあって子供向けのイベントもやっていたが、天気のせいか来客はまばらだった。

 万理亜と姉さんはそちらのイベントの方に行った。

 俺が万理亜たちと分かれて町の展示の方に進むと、比呂美も後をついてきた。


「こういうの興味あったっけ?」

「ああ、コーチがいろいろ話してくれて……。」

「そうなんだ。バイト行って、良かったね。」

「本当にそうだな。」


 町の展示は、古代の発掘跡や出土した土器などから始まって、この土地を治めていた武将の書状や鎧兜などが並べられている。

 そして、江戸時代の展示になって、ひとつの掛け軸にかけられた絵が俺の目を引いた。

 黒い髪に白い肌を際立たせ、富を表しているのだろう米俵や財宝を見下ろした高貴な服装の姫の絵だった。


「白蛇の姫……。」


 この土地に富と繁栄をもたらした後、天変地異を起こして滅ぼそうとした女。

 俺は絵の説明を何度も読み返した。

 ここに書かれているのはコーチが話してくれた通りの伝説の説明文だ。

 伝説では、荒れ狂う白蛇の姫は僧によって静められたはず……。


「ねえ、明太郎。どうしたの?」


 俺がなかなかその絵の前から動かないので、比呂美が俺の袖を引っ張った。

 

「おや、珍しい。白蛇の姫に興味おありかな?」


 その時、白髪の男性が俺たちに話しかけてきた。


「あ、いや……。」

「わしはこの博物館の館長でね。君たちみたいな若い子は余り来ないものだから珍しくて声をかけてしまったよ。何か知りたいことがあったら質問してくれてよいからね。」


 館長。

 それならこの人に聞くのが早い。

 俺はついてるな。

 ここでダメでも、他の情報源を教えてもらえるかもしれない。

 俺は単刀直入に質問した。


「この……姫はどうして静まったんですか?」

「ああ。白蛇の姫は、愛する男を殺されてこの土地と人間を呪って天変地異を起こした。その姿はまるで白い蛇のようだったとも言われている。困り果てた村人は、一人の僧に姫を静めてもらえないかと相談したんだね。僧は、荒れ狂う姫に会うと法力が込められている鏡を見せたと伝わっている。鏡で自分の姿を見た姫は、真の姿を思い出し人間に戻ると村を去ったんだね。それっきり、天変地異は収まったという話だよ。」

「鏡!?」

「そう。それがこれだね。」


 館長が指差したのは、お堂の前に小さい丸い物が供えられている白黒の写真のパネルだった。

 ……このお堂は、『たま』のシミュレーションで見たぞ。

 山道の上にある、土砂崩れで崩壊する予定のお堂じゃないか!


「鏡の実物はこのお堂にあるんですか?」

「いや、残念ながら無いよ。」

「え?」

「戦時中に行方不明になってしまったんだ。」

「……そんな。」


 行方不明だって?

 ここまで来て、手がかりが……。


「この写真はね。白蛇の姫の末裔と言われていた一族が、代々この鏡を見るという儀式の様子を撮った写真なんだけどね。」

「その一族は今は?」

「それも戦時中のどさくさで行方知れずでね……。」

「そうですか……。」


 昭和の戦時中ということは、もう百年以上も前の話じゃないか……。


「がっかりさせたかね?」

「いえ、貴重なお話を聞けて良かったです……。ありがとうございました。」

「また他にも聞きたいことがあったら、気軽に声をかけてくれてよいからね。」

「はい……。」


 白蛇の姫を静めた法力を秘めた鏡は失われていた。

 いや、それだって本当に万理亜の不幸体質を治せるのかもわからなかったはずだ。

 しかし俺はそれに一抹の希望を持っていたのだ。

 実際にはそんな希望も何も、始めから無かったのかもしれないが。



 ……そうだ。

 館長が言っていた白蛇の姫の末裔の一族。

 それがどんな人たちだったのか、聞いておいた方がいいかもしれない。

 もしかしたら万理亜に関係があるのかも……。

 俺は館長を探して周囲を見渡した。

 俺と比呂美はもう展示を抜けてしまっている。

 戻るか?


「明太郎。私、ちょっと喉渇いたよ。」

「え? ……ああ。」


 俺は比呂美のその台詞を聞いてドキリとした。

 もうそんな時間か。

 ……ここから『たま』のシミュレーションと同じ場面が始まる。

 館長に白蛇の姫の末裔の一族のことを聞くのは後日にするしかない。

 俺は比呂美と一緒に、屋外の自動販売機の置いてある休憩所に移動した。


「ずっと雨だね。」

「そうだな。」

「なんかこうやって二人きりになるの、久しぶりじゃない?」

「そうか?」


 俺は家でもなるべく比呂美と二人きりにはならないようにしていた。

 『たま』のシミュレーションの結果から、比呂美は俺と夏の間に経験をするつもりであることはわかっていた……。

 幸い、あれ以来、姉さんがよく遊びに来ていたし、比呂美も万理亜がいる家の中で行動に出るほどの勇気はまだなかったらしい。


「今キスしたら、レモン味かな?」


 比呂美の手にはレモンソーダの缶が握られている。


「そうかもな……。」


 俺は手に持っていたお茶のペットボトルを置いた。



 何度もシミュレーションで確認した。

 俺がペットボトルを置く。

 比呂美もジュースの缶を置く。

 比呂美が俺に近寄る。

 俺の肩に手を回す。

 比呂美の顔が俺に近づく。

 比呂美が目をつむる。

 俺がふいに博物館の入り口に目をやると、そこには万理亜が……。



 いない。

 どういうことだ?

 シミュレーションではいたはずの万理亜がいない。

 万理亜は、キスしそうになっている俺と比呂美を見て、雨の中、傘もささずに公園の方に駈けだしていってしまうはずだ。

 そしてあの山道を登り、お堂に辿り着く……。

 時間が違う?

 いや、時間は寸分違わない。

 なぜ、万理亜がこの時間にここにいないんだ?


「明太郎?」


 俺からのキスを待っていた比呂美が、目を開けて不思議そうに俺に聞いた。


「あ……、比呂美……。」


 まずい、このまま続けるべきか?

 でもそれではシミュレーションとはズレていってしまわないか?

 俺が次の行動を迷っていると、姉さんが走ってきて言った。


「明太郎! 万理亜ちゃんが!」

「万理亜がどうした!?」

「あっち! 一人で行っちゃったの! 傘も差さずに!」


 姉さんは公園の方を指差していた。

 シミュレーションと少し違うが、万理亜は予定通りに公園の山道の方に行ったのか。

 それなら俺も予定通りに万理亜を追わなければ。


「比呂美、俺は万理亜を探してくる。」

「え? 何? 急にどうしたの、明太郎!?」

「姉さんは比呂美から離れないでくれ!」

「わかったよ!」


 俺は降り続く雨の中、公園から白蛇の姫のお堂に続く山道を急いだ。

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