ありませんよ

 十日前から降り注ぐ雨は、止む気配をみせない。

 山は水を含んでいて土砂崩れの危険性が高まっている。

 それでも俺は行かなければならない。

 何度となくぬかるみに足を取られそうになりながら、俺は万理亜まりあを追う。


明太郎めいたろう!」

「来るな、比呂美ひろみ! 危険だ!」


 雨に濡れて何度も転び、泥だらけになった比呂美が俺のあとを登ってくる。

 俺と比呂美は川のようになった山道を登る。

 暗い空。

 ザワザワと揺れる木々が俺たちを飲み込んでいく。



 そこにあるのは木造の古いお堂だった。

 色褪せた赤い布が巻き付けられた柱と、何かの絵が描かれた屋根。

 あれは蛇。白い蛇だ。

 

「万理亜!」

 

 俺は万理亜の後ろ姿を確認すると叫んだ。

 万理亜の黒髪は濡れていて、その背中に張り付いている。

 髪の隙間から見えるうなじは白く際立って見えた。


「万理亜! 俺が悪かった。」

「……。」


 万理亜は黙って空を仰いだ。

 雨が強くなる。

 

「雨。まるで私の心が降らせているみたいです。」

「それは……。」

「私、わかっていたんです。二人が何よりも大事だって。二人が幸せならそれが一番良いって。でもこの気持ちは……?」


 俺たちに追いついた比呂美が叫んだ。


「万理亜! 戻ろう? 帰ってお話しよう? まさか万理亜がそんなに思い詰めるとは思わなくて。」


 比呂美が万理亜に向かって手を差し出す。

 万理亜がとまどいの表情で比呂美を見返した。


「比呂美さん……。私、もうどうしたらいいのか……。」

「万理亜……。」


 万理亜が俺を見つめて言った。

 

「明太郎さん、赤い糸を解消しましょう……。」

「待て、万理亜! それはダメだ!」


 まだ、解決策を見つけていない。今、万理亜と赤い糸を解消したら、万理亜の不幸体質が万理亜を襲ってしまう。

 しかし、その宣言だけで、運命は残酷にも決定づけられたのだ。


「危ない! 万理亜!」


 比呂美が声を上げるのと同時に、万理亜の後ろの山が、生い茂っていた木々そのままの姿でこちらに向かってきた。土砂崩れだった。


「万理亜ぁ!」


 俺は超能力で飛んだ。

 足に力を集中して空高く。

 間一髪のところで万理亜の手を取って、空中に持ちあげる。

 助けられた。

 俺の力があれば、万理亜の不幸なんていくらでも防いで……。


「比呂美さん!」

「え!?」


 俺は比呂美がいるはずの場所を見た。

 比呂美がいない。

 俺は必死で比呂美を見つけようとした。

 そんなバカな!

 比呂美!

 俺の腕の中の万理亜が、しゃくり上げるように泣いていた。


          *


 奇跡的に比呂美は助けられた。

 土砂崩れに直接巻き込まれたのではなく、壊されたお堂に押されたことで倒れた木々の隙間に押し込まれたのだ。

 しかし、比呂美の怪我は取り返しのつかないものだった。

 俺と万理亜は、白い壁に囲まれた病室で、比呂美と対面した。

 

「比呂美さん……私のせいで……!」


 万理亜が悲痛な声で言った。

 俺は比呂美の顔を見られなかった。

 もっとも、比呂美も俺たちの方を見ていない。

 ずっと窓の方を向いていた。


「ごめん、比呂美……。」

「……もういいよ、明太郎、万理亜。万理亜の命を守るために赤い糸が必要なんでしょ。私のことはいいから、二人で赤い糸を結んで。」


 ベッドの上の比呂美にかけられた毛布が、比呂美の両足があるはずのところでストンと落ちている。

 比呂美はずっと空を見ている。

 

「雨止んだね……。」

「比呂美さん……。あの、私は……。」

「万理亜。……もしも勝手に解消なんてしたら、私、絶対に許さない。」

 

 比呂美の強い口調を前に万理亜は何も言えず、比呂美にかけようとした手を降ろす。

 比呂美の腕はギプスで固定されている。

 比呂美は俺たちの方を一度も見なかった。

 

「比呂美……。俺たちに出来ることがあったら……。」

「いいって言ってるでしょ! ……二人とも、二度と顔を見せないで!」


 振り向き俺たちを睨み付けた比呂美の涙は、俺の心をえぐった。

 あああ!

 なんでこんなことに……。

 

          *


「比呂美……、比呂美……!」

 

 俺は自分の部屋のベッドで目覚めた。

 顔中が涙で濡れている。

 夢?

 夢か!

 心臓がバクバクしている。


「どうでしたか? これが現状もっとも最適なシミュレーションです。」


 俺の枕元にあったスマホから『たま』の声がした。

 これは、こいつが俺に見せていた夢か?

 シミュレーションだと!?

 

「どこが!? 比呂美が……、比呂美が!」

「誰も死んでないです。」

「はぁ!?」

「誰も死なない結果はこれだけです。」

「……お前に心はないのか?」

「皮肉ですか? スーパーAIに心は実装されてませんよ。」

「……。」

「万理亜ちゃんは二度と赤い糸を解消するとは言えない。比呂美さんへの罪悪感をもって二人は赤い糸を続けます。そして万理亜ちゃんの力は押さえられる。」

「ふざけるな……。比呂美が犠牲になるなんて受け入れられない。」

「もうここまで来たら他には無いんです。二人がキスをした時点で。」


 ……俺なのか?

 比呂美を巻き込んでしまったのは俺なのか?


 

 時間は真夜中。

 外は雨だった。

 雨が降ったのはいつからだ?

 なぜ雨が降っている……?

 それは万理亜が……。


「雨は万理亜ちゃんが降らせたものです。いつも二人のことを見ていた万理亜ちゃんは、自分が知らないうちに二人の関係に変化があったことに気付いたのです。そして苦悩します。」

「そんな……。」

「一方、比呂美さんと万理亜ちゃんを二人きりにできないと思った明太郎さんは、計画していた長野への一人旅を、急きょ三人での旅行に変更します。」

「俺はバカだ……。」

「旅行先で積極的になった比呂美さんは、万理亜ちゃんが見ていることに気付かずに明太郎さんに……。」

「わかった。もういい……。」


 すべては俺が招いた結果だ。


「……どうやったら回避できる? 長野に行かなければいいのか?」

「その場合には別の場所でもっと悲惨な事故が起こります。大勢を巻き込むような。」

「万理亜とちゃんと話し合ったら?」

「その場で万理亜ちゃんは赤い糸を放棄します。」

「……比呂美と別れたら?」

「万理亜ちゃんは比呂美さんに赤い糸を譲ろうとします。」

「なんなんだよ……。」


 どうしたらいい?

 俺が万理亜を好きにならなければ?

 俺が比呂美とキスをしなければ?

 あの土砂崩れで、俺が万理亜だけじゃなく比呂美も救っていたら……。

 いや、それは不可能だ。

 俺の超能力ではどうやっても無理だ。

 俺は姉さんのようにはできない。


「待てよ? 姉さんは? あの場に姉さんがいたらどうなる?」

「お姉さん? 三浦よし子さんですか?」

「そうだ。姉さんは俺よりも強い超能力者だ。あの場に姉さんがいれば比呂美も助けられる。」

「……よし子さんも超能力者? スーパーAIのデータベースにそんなデータは無かったはず……。」

「すぐにシミュレーションをやりなおしてくれ!」

「……わかりました。やってみます。」


 

 部屋の電気も点けず暗闇の中、俺は『たま』の計算結果を待った。

 窓を打つ雨の音だけが暗い部屋に響く。

 明けない夜と、上がらない雨の世界のように思えた。

 しかし、あれが未来というならば、いっそこのまま何も起きない時間が永遠に続く方がマシだ……。


 

 ピコン、という『たま』からの着信音が静寂を破った。

 

「……計算結果が出ました。明太郎さんの言うとおり、ギリギリで二人を助けられる計算結果になりました。」

「本当か!?」

「でも本当に綱渡りです。失敗したら、みんな死んでしまうかもしれない。」


 スマホの画面に映された『たま』のアバターは、苦渋の表情をしてみせていた。

 

「……やるしかない。やらなければ、万理亜と比呂美、どちらも助けることはできないんだ。」


 俺は覚悟を決めた。

 すぐに姉さんに連絡しよう。

 その後、明け方まで俺は『たま』とシミュレーション通りに動くための打ち合わせを行った。

 長野に行く。白蛇の姫の伝説を知るために。

 そして、万理亜も比呂美も、二人とも救うのだ。

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