未来へ

姉さんが来る

「これはゆゆしき事態ですよ。」


 俺のスマホに現れた虹色の髪の少女タイプのアバター『たま』が、俺を糾弾するような口調で言った。

 朝からずっとこの調子だ。

 俺は自分の部屋で頭を抱えながら、黙って言われるがままでいるしかなかった。


明太郎めいたろうさん。あなたは、万理亜まりあちゃんを好きになったのに比呂美ひろみさんとキスしたんですよ。」

「……わかってるよ。」

「じゃあ比呂美さんを取るんですか? 万理亜ちゃんが死んでもいいの?」

「そんなこと言ってないだろ。」

「とにかく、私はこれから最善の選択を計算しますから。これ以上余計なことしないでくださいよ!」

「……わかったよ。」

「ほんとですか? 比呂美さんと一夏の経験をいたすなんて、もってのほかですからね!」

「わかってるから!」


 『たま』が去ってスマホが沈黙しても、しばらく俺は動けなかった。

 唇はまだ比呂美の感触を思い出す。

 あれこそ長年にわたり比呂美を想い続け、赤い糸を結ばれた今実現した、夢にまで見た瞬間ではなかったのか。

 それなのに俺の心は、万理亜への罪悪感でいっぱいになっている。

 いや、こんな気持ちになるなんて、俺は比呂美に対しても罪悪感を持っている。

 最低じゃないか。

 どちらとも赤い糸を続ける資格は俺には無い……。

 しかし現実は、万理亜の赤い糸を解消すれば万理亜は事故で死んでしまう運命で、比呂美と解消すれば比呂美を傷つけることになってしまう。

 今の俺には、どちらか一方を選んでも最悪の選択、どちらも選ばなくても最悪の選択だった。

 今はスーパーAI『たま』が計算する未来にすがるしかない……。



 ピコンとスマホの着信音が鳴った。

 『たま』か!?

 俺はスマホに飛びついたが、その通知にあったのは別のメッセージだった。


          *


 俺はスマホの通知を見て、すぐに部屋を出て比呂美を探した。

 二階の吹き抜けから見えたリビングにはテレビを見ている万理亜の姿だけだ。

 比呂美は自分の部屋か?

 いや、ちょうどキッチンから比呂美がコップに水を持って出てきたので、俺は階段を降りて比呂美に伝えた。


「比呂美。姉さんが来る。」


 それを聞いた比呂美はコップから口を離した後も、唖然として口を閉じるのを忘れている。


「……よし子さん、帰ってきてるの? え? ここに来るの? 私、部屋に籠もってようかな……。」


 比呂美は青い顔をして自分の部屋の方を見る。


「よし子さんって、明太郎さんのお姉さんですか?」


 万理亜がソファから体を乗り出してこちらを向いて聞いてきた。


「そうだ。夏休みで帰ってきているらしい。忙しいから戻らないと聞いてたのに。」

「比呂美さんはどうしたんですか?」

「私……、よし子さんが苦手っていうか、トラウマが……。」


 比呂美が言いづらそうに答えた。

 俺は万理亜に説明した。


「小さい頃、姉さんと比呂美がテレビゲームで対戦してな……。比呂美が圧勝したら、姉さんが癇癪起こしてゲーム機を壊しちゃったんだよ。それ以来、うちはテレビゲームが禁止になった。」

「あれ、私たちが幼稚園の頃だよね……。」

「俺も、姉さんが車の免許取りたての時に、車に同乗したら事故を起こされてさ……。首を怪我して全治半年くらいかかった。」

「明太郎はあれで部活辞めなきゃいけなかったんだよね……。」

「とにかく、姉さんの周りで何故か物が壊れるんだ。」

「学校では破壊神って呼ばれてたって……。」


 俺も比呂美も実は、姉さんに関わってあまり良い思い出が無い。


「私、明太郎さんのお姉さんに会ってみたいです。」

「万理亜。今の話聞いてた?」


 無邪気に言う万理亜を見て、俺と比呂美は不安を覚えたが、別に姉さんは悪意がある人間ではない。

 むしろ人から頼りにされるタイプで、交友関係も広いみたいだった。

 ただ、決めたことは曲げず、周囲の人間に有無を言わせないところがある。

 その様子を小さい頃から見て育ち、従わされてきた俺たちには苦手意識が芽生えてしまっているだけだ。

 万理亜の印象は違ったものになるかもしれないと俺は思った。


「……明太郎。それで、よし子さんはいつ来るの?」

「今日。」

「今日!?」


 比呂美は慌てた様子で、手に持ったコップを片付けるかすぐに部屋に上がるか迷い混乱している。

 俺は時計を見た。時刻は午前十時半。


 ピンポーン!


 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。


「きっと姉さんだ。」

「嘘、嘘、嘘! どこに隠れれば!?」

「あ、私開けてきますね。」

「ちょ、ちょっと待って万理亜!」


 比呂美が二階に上がる階段の手すりに手をかけるのと、万理亜が玄関のドアを開けるのは同時だった。

 俺と比呂美の視線は玄関に集中した。

 ドアの外、そこに立っている人物。セミロングの髪に赤い口紅。直線的な眉。間違いなく姉さんだった。

 姉さんは目ざとく俺と比呂美を見つけると言った。


「明太郎、比呂美ちゃん、久しぶりね! 元気にしてた!?」


 比呂美は観念したのか手すりから手を離して、玄関に向かった。

 俺も歩様が重いが、玄関の方に歩いて行く。


「よし子さんもお元気そうで……。」

「姉さん、急に来るなんて。俺、まだ返事もしてないだろ。」

「はっはっはっ。ここに来る途中で送ったのよ!」


 玄関を開けた万理亜が姉さんに挨拶した。


「初めまして、お姉さん。私、千葉万理亜です。」

「あなたが明太郎の赤い糸の万理亜ちゃんね? 聞いてたよ。めちゃ可愛いじゃん!」

「ありがとうございます。」


 やはり、姉さんは万理亜を見に来たのか。

 実家に帰って万理亜のことを聞いたのだろう。母さんたちが知っているのは万理亜との赤い糸のことだけだ。俺は比呂美との赤い糸のことは親にはまだ言っていない。赤い糸の二重登録なんて普通はあり得ないことだからだ。

 姉さんは俺たち三人の顔を見てから言った。


「しかし、本当に高校生だけで共同生活とは。」

「そ、それは……。」


 姉さんは俺の肩をポンポンと叩いた後、リビングに無遠慮に上がり込み、ソファにドカリと腰を下ろすと叫ぶように言った。

 

「あたしもそういう青春がしたかったぁ!!」


 俺の後ろに隠れるようにしていた比呂美が、姉さんの声の大きさに驚いてビクリとしたのが伝わった。



 万理亜がコップに水を入れて姉さんに差し出した。


「ありがとう、万理亜ちゃん。気が利くのね!」

「どうぞ、お姉さん。」

「聞いてよ、明太郎。大学さー、入学時に二割がもう結婚してんの。高校時代にスーパーAIが選んだ赤い糸の相手と。それで二十歳までに半分が学生結婚しちゃうの。スーパーAIが選んだ相手だから間違いないって言うの。」

「そういうもんだからしょうがないだろ。」

「じゃあ、スーパーAIに一度も選ばれたことないあたしはどうなんの? 自力で交際相手を見つけようにも、そもそも候補がいないのよ? なんで、あんたは赤い糸の相手がいるのよ?」

「それはスーパーAIに聞けよ。」

「こんな、可愛い……。」


 姉さんが万理亜と比呂美を交互に見る。

 また姉さんが俺の肩をバシバシと叩いた。

 さすがに何度もされると痛い。


「姉さん、用はそれだけか? それなら……。」

「……あー、あたしお腹すいたな。何も食べてこなかった。」

「今日は私がお昼の当番なので、お姉さんの分も作りますね。献立は冷やし中華ですが。」

「ほんと!? 助かるぅ!」


 姉さんは笑顔で万理亜に手を振った。

 本当に何しに来たんだ……?

 万理亜がキッチンに行ってしまうと、姉さんとの会話を避けたかったのか比呂美も

「あ、私も手伝うよ!」

と言って、万理亜の後を追って行ってしまった。

 かくして、万理亜と比呂美がキッチンに行ってしまい、俺だけが姉さんに捕まって愚痴を散々聞かされることになった。

 実家の工事が進まないこと。姉さんの荷物だけが元の家に残されていて、新しい家には自分の部屋が無くなっていたこと。学校のこと、就職活動のこと。

 姉さんは何か言うごとに俺の肩を叩く……。


「夏はインターンで忙しいかと思ったんだけど、まあ、ちょっとこっちに用事が出来てね。そしたらあんたと万理亜ちゃんと比呂美ちゃんのことを聞いたわけよ。」

「それで万理亜を見に来たのか?」

「そうそう。赤い糸があれば法律上は問題ないけど、やっぱり未成年がひとつ屋根の下じゃ心配でしょ?」


 そんな心配は無用だ。むしろ俺はそのことで今ものすごく悩んでいる。万理亜はもちろん、比呂美とも関係を進めることはできないのだ。

 いっそこのまま家に帰って、距離を置いて……。いや、逃げてどうする?

 それに今、家に帰ったらこの姉がいるのだ……。

 逃げ場なし。

 俺はそれを思い知った。



 姉さんは万理亜の作った冷やし中華を食べている間、盛り付けなり味なりを褒めちぎった。

 俺と比呂美は黙って聞いていた。

 万理亜は褒められて本当に嬉しそうに応えていた。

 母さんにも気に入られていたし、万理亜は我が家の女たちによく好かれるな……。

 そして、姉さんは満足したように俺を見て言った。

 

「さて、ご馳走になったことだし、あたし帰ろうかなぁ。明太郎、あんた、送っていきなさいよ。」


 一人で帰れよと反抗する元気は俺に残っていなかった。

 いつもそう。まるで嵐のようだ。

 今日は万理亜を見られて話が出来て、目的を達したということなのだろう。

 大人しく従って帰ってもらうのがいい。


「わかった。送っていくよ。」


 姉さんの見えないところで、比呂美がほっと息をつくのがわかった。


          *


 俺は姉さんに、送っていくのは駅までだからなと言った。

 工事中の間の実家の仮住まいは、電車で二駅の隣の町だ。

 駅までの道のりは真っ直ぐ行けば十五分くらいだろう。

 ところが姉さんは相変わらず自由で、先ほどから寄り道ばかりしている。

 この辺は久しぶりに来た、などと言いながら、誰もいない神社の境内に入っていく。

 俺は仕方なく姉さんの後をついていった。

 姉さんは周囲を見渡すような仕草をしたかと思うと立ち止まり、唐突に俺に話しかけた。


「万理亜ちゃん。良い子じゃない。良いご縁をもらえてよかったねぇ。」

「……そうだな。」

「あんた、比呂美ちゃんのことも前から好きだったもんねえ。」

「……。」

「明太郎さー。」


 姉さんが振り向き様、俺に指を向けたと同時に俺は何かおでこに衝撃を受けた。


「あんた、いつから出来るようになったの? でも全然使ってないよね。あたしが手本を見せてあげようか?」

「……何を?」


 そう言わないうちに、俺は足をすくわれ、俺の視界が逆さまになった。足下に青い空が広がる。

 これってまさか?


「何って、超能力よ。あんたも使えるようになったんでしょ。わかるよ。」


 目と鼻の先にある姉さんの足が地面に着いていない。

 姉さんは宙に浮いていた。

 ふっと足を掴まれていた何かの力が無くなって俺は地面に落ちる。


「なんで……姉さんが?」


 俺は状況を飲み込めず、それを聞くだけで精一杯だった。

 

「それはあたしが聞きたいわ。なんであんたも使えるの? 確かにあたしだけだったはずだよ。お祖父ちゃんがそう言ってたもの。受け継いだのはあたしだけ。」


 お祖父ちゃん?

 俺の祖父は俺が記憶にないくらい小さい頃に亡くなっている。

 でも、そうか。

 俺の超能力は、スーパーAI『たま』が、俺の脳に作用して目覚めさせた能力だ。

 俺の脳に超能力が眠っていたということは、俺の親族にも超能力の素質があるということ……。それは、本来は遺伝によって子や孫に伝えられる力だったのか。

 その正当な後継者は姉さんだった。



 俺はやっと立ち上がる。

 その様子を見て笑みを浮かべた姉さんが、俺に向けて石を飛ばしてきたので、俺は超能力でそれを受け止めた。

 石なんて危ないだろ! 相変わらず遠慮がないな!


「そういうことは出来るのね。」


 姉さんは空中を駆け上がった。

 空高く神社の屋根の更に上の高さから俺を見下ろして言う。


「ほら、明太郎。次はここまでおいで!」


 あんな高くまで自分の体を持ちあげられるものなのか?

 ちくしょう。俺は自分の体に超能力をかけるが、うまく持ち上がらない。頭の血管が切れそうになる。


「ダメだなあ。工夫するんだよ! 持ちあげるのは体じゃないよ!」


 体じゃない?

 俺は姉さんの先ほどの様子を思い出した。姉さんは駆け上がるように空を登っていった……。足? 靴か!

 俺は靴を超能力で空中に固定するようにして、その上に体を乗せて空を上った。


「そうそう。よくできました。」

「……姉さんはなんで急にこんなことを?」


 俺はやっとのことで姉さんのいる高さまで上って、質問をした。


「あんたが何も気付いてなさそうだったからね。」

「姉さんはいつから?」

「あたしは生まれつきだよ。お祖父ちゃんがいろいろ教えてくれた。力の使い方も。超能力者の見分け方も。一般人にバレたら脳が爆発することも。」

「脳が爆発するのは本当なんだ……。」

「それだけは知ってるってことは誰かが明太郎の力を目覚めさせたのね。」


 黙っていても仕方がない。

 俺は姉さんに『たま』と万理亜との赤い糸の秘密について打ち明けた。



「あー、そういうことね。それは知らなかったな。」


 しかし、それを聞いた姉さんは不思議と驚いた様子を見せなかった。

 はあ、はあ。

 それよりも俺は超能力で空中に浮いていることの限界が近かった。

 足を乗せている靴が片方、固定した空中から外れるように落ちて、俺はバランスを崩した。


「あっ!」


 気を抜いてしまい足下が崩れるように俺は落下する。

 この高さはやばい!

 恐怖でつむってしまった目を、恐る恐る開けると、俺は地面すれすれのところで固定されるように空中で停止していた。

 どうやら地面への激突を免れたようだった。


「ごめんごめん。限界だったかな。」

「助かった……。」


 姉さんが俺の体を超能力で受け止めてくれたのだ。

 俺はゆっくりと地面に足を付けた。

 よく見ると俺の着地点には粉々になった賽銭箱があった……。


「可愛い弟が、あたしと同じになったからつい嬉しくなっちゃったのよ。」

「だからっていきなりこれはないだろ……。」

「ま、超能力は鍛えれば強くなるってことよ。ほら、あたしなら明太郎一人分、超能力で持ち上げることも簡単だから。」


 また俺の体が宙に浮きそうになる。


「わわわ、やめろって!」

「冗談だって。」


 姉さんは俺の肩をパンパンと叩いて言った。


「あ、そうだ。これだけは気をつけて。車を空飛ばすのはあたしでも無理だった! あの時はごめんね!」


 それは二年ぶりに知ったあの車の事故の真相だった。

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