今とても楽しいです

「明太郎、遅いよー。」


 日が落ちかけて薄暗くなった空。

 待ち合わせ場所にした校門前で、俺に気付いた比呂美が手を振っていた。


「ごめん。遅くなった。」

「ちょっと襟が乱れてるなぁ。」


 比呂美が俺の浴衣の襟を引っ張って直す。

 夏祭りの会場に向かって歩く人たちが、俺たちの前を通り過ぎる。


「人がいっぱいですね。行きましょうか。」


 万理亜は人々が向かう方向を見ている。


「待って。明太郎、言うことあるでしょ。」


 比呂美が俺を向いて言った。

 比呂美は髪を上げて、その茶色の髪の結び目にも青い花の飾りを付けている。

 それが比呂美の青い浴衣と合っていて俺は目を奪われた。


「よく似合ってる。」

「それだけ?」

「……可愛いな。」

「うん、髪も美容室でやってもらったの。……万理亜も。」


 万理亜が俺の方を振り向いた。

 万理亜はその黒髪を団子のように丸めて赤い大きな花の飾りを頭に付けていた。

 赤い花で頭も浴衣も飾られた万理亜は綺麗だった。


「万理亜も……、いいな。」

「ありがとうございます、明太郎さん。」

「……さ、行きますか。」


 比呂美と万理亜が並んで歩く一歩後ろを俺は歩いた。

 カランカランと音がして、二人が下駄を履いていることに気付いた。

 しだいに太鼓の音が聞こえ始め、出店の灯りが見えてくる。

 車両通行止めになった道に、人が溢れていた。

 夏祭り会場の神社の裏の山にはたくさんの提灯が吊されて、まるで空に向かって火の道が出来ているようだ。


 

 万理亜は物珍しいものを見るように出店を眺めていた。


「万理亜はあんまり祭りには来たことないのか?」

「はい。父は連れてきてはくれませんでしたから。」


 特に万理亜が興味を示していたチョコバナナの店の前で比呂美が言う。


「何か買ってみる?」

「はい!」

「じゃあこれとこれと。明太郎は?」

「俺はいいよ。」


 万理亜が出店のオジサンからカラフルなチョコバナナを受け取り、

「初めて食べます。」

と言った。

 万理亜がそっとチョコバナナを口にする。

 それを俺と比呂美は見守った。

 

「これは、バナナですね。」

「バナナだよ。」


 なんだと思ったのだろうか。


「あっ! あっちのあれはなんですか?」


 万理亜は気になる出店を見つけたのか嬉しそうにそちらに駆け出すと、あっという間に人混みに紛れてしまった。

 着いて数分で完全に万理亜を見失った。


「あれ、迷子になっちゃったんじゃ……。」

「……大丈夫でしょ。子供じゃないんだし。それにここ、そんなに広くないからね。」


 はぁ……。

 俺は目の前にあったちょうどよい感じの石段に腰掛けた。


「俺、ここで待ってるよ。戻ってくるかもしれないし。」

「そうだね。」


 比呂美も俺の隣に腰掛ける。


「こうやってお祭りに来るの、本当に久しぶり。小学校以来かな。」

「俺もだ。」

「前は一緒に遊びに来たこともあったよね。お小遣いもらってさ。」

「そうだな。でもその時は近所の友達も一緒だったかな。」

「そうだったね。」

「昔は毎日一緒に遊んでたよな。」

「でもだんだん一緒の時間は少なくなったよね。休みの日に約束することも減ったよね。部活とかもあったから、そういうものかなと思ってた。……だから、もしかしたら、こうやって今、明太郎と一緒にいられるのは万理亜のおかげなのかな?」

「え?」


 俺が比呂美を見ると、比呂美と目が合った。

 比呂美はずっと俺を見ていたようだ。

 そして、吹き出すように笑って言った。


「だってさ、高校生で一緒に住むなんて考えられなかったよね。赤い糸があってもさ。」

「……たしかにな。」

「赤い糸があっても……、きっと私たち変わらなかったと思う。家でも学校でも普段通りだったと思う。それが当たり前で。それくらい私たちの関係って出来あがっちゃってたと思う。」

「……。」

「それが万理亜のおかげで変わったんだよ。明太郎は?」


 比呂美は俺から目を離さなかった。

 俺は?

 比呂美は何を聞きたいんだ?

 俺はなんて答えればいい?


「万理亜がいてよかったというのは、俺もそう思う。だけど……。」


 その時、比呂美のスマホの着信音が鳴った。


「あ、奈津実たちも来てるみたい。ちょっとそっちに合流してくるね。」

「そうか。じゃあ、俺はここにいるから。」

「うん。」


 比呂美が去った後、俺は少し考えていた。

 確かに俺は、万理亜と比呂美との三人の共同生活を楽しいと思っている。

 万理亜と比呂美の二人の関係も良好だし、何の問題もない。

 ずっと小さい頃から一緒にいる比呂美と。

 趣味も合うし一緒にいて気を許せる万理亜と。



「明太郎さん、これどうぞ。」


 突然視界にリンゴ飴が入ってきたので、俺は少し仰け反った。

 視線を上げると万理亜がリンゴ飴を俺に差し出していた。


「万理亜。どこ行ってたんだよ。」

「すみません。つい楽しくて、はぐれてしまいました。」


 俺は万理亜からリンゴ飴を受け取った。

 万理亜は俺の前に立って、俺の持つリンゴ飴を見つめている。


「明太郎さん。それは私の初めてのバイト代で買ったリンゴ飴です。」

「え? いいのか? もらっても。」

「はい。他にも初めてのバイト代で買ったフランクフルトにタコ焼きに、わたあめ、お面に、光るブレスレットもあります!」


 万理亜は片手一杯に出店で買ったものを抱えていた。

 ここでバイト代全部使っちゃうつもりなのか?


「それなら、ありがたくもらうよ。ありがとう。」


 俺は万理亜に礼を言って、リンゴ飴にかじりついた。


「それも本物のリンゴなんですか?」

「……そうだけど。」

「少し私もいただいても?」

「は?」


 万理亜は俺の手を取るとリンゴ飴を自分の方に引き寄せてかじった。

 万理亜の顔が近づいて、俺はドキリとした。

 万理亜の長いまつ毛はまっすぐに上を向いているのだなとそんなことを考えてしまった。


「なるほど、美味しいですね。」

「自分で食べたかったのか?」

「ふふふ。実はそうでした。それ、自分の分として買ったんです。でも、明太郎さんが何か考え事をしていたので。ふと、あげようと思って。」


 俺の手元のリンゴ飴には万理亜の歯形がついていた。

 それを俺は気にしない風を装って、その上から食べた。


「明太郎さん。私、今とても楽しいです。明太郎さんと比呂美さんと一緒に暮らしていて充実しています。今まではずっと一人だったので。」

「万理亜……。」

「つい周りが見えなくなって一人でどこかに行ってしまったり、自分一人の分しか買わないかもしれません。自分一人で勝手に思い込んでしまうこともあります。でも、明太郎さんも比呂美さんも待っていてくれます。私のこと注意してくれますし、心配してくれます。それが嬉しいんだって、私わかりました。」

「ええ? ああ……。」

「私、明太郎さんと赤い糸になれてよかった。やっぱり明太郎さんは私の運命の人です。」


 祭りの灯りを背にして影を作る目の前の万理亜が綺麗に見えた。

 白い浴衣も赤い花の髪飾りも、万理亜の美しさを際立たせる。

 しかし、なぜかそれは、いつぞやの儚げな笑顔で。

 俺はそれを見て、万理亜を手放してはいけないと思った。

 俺は、いつの間にか万理亜のことを好きになっていたんだ。

 いやずっと前からわかっていたけど、気付かないふりをしていた。

 もしも万理亜の運命の相手が、本当に俺だったのなら。

 自称縁結びの神様『たま』の計算が正しいのなら。

 俺は万理亜とずっと一緒に結ばれていたい。

 そうすれば、万理亜の不幸体質を無理に治そうとしなくてもいい。

 万理亜はずっと俺と一緒にいればいいんだ。

 そうすれば、万理亜にこんな顔をさせなくてもいい。


「あ、比呂美さん。」

「万理亜、戻ったんだ。……ずいぶん買ったねえ。」

「はい! どれも興味深くて。」


 比呂美と楽しげに話す万理亜の表情はいつもの万理亜だった。

 俺の思い過ごしか。

 影になっていたからよく見えなかったのかも。

 俺は食べ終わったリンゴ飴の棒をゴミ箱に捨てた。

 花火の音がドン、ドンと鳴っている。


「ほら、明太郎。花火見にいこう?」

「明太郎さん、こっちです。」


 比呂美と万理亜が同時に、俺に向かって手を差し出した。

 そうだ、今はこのままでいい。

 このまま三人で一緒に。

 俺は両手で比呂美と万理亜、二人の手を取った。

 右手に比呂美、左手に万理亜。

 両手に華だな。

 優柔不断と言われても、欲張りだと言われても、俺は三人一緒のこの時間をずっと続けたいと思った。


 

 星空に大きな花火が打ち上がる。

 赤に、青に、緑に、白に。

 大勢の見物客に混ざって、俺たち三人は花火を眺めていた。

 もうすぐ一際大きな花火が連続して打ち上がるだろう。

 万理亜がもっとよく見ようと思ったのか、一歩、前に出た。

 花火の光に照らされた時に万理亜の後頭部だけが辛うじて見える。

 まったく、あれではまた迷子だろうが。


「明太郎……。」

「ん?」


 隣にいた比呂美が俺の浴衣の裾を引っ張った。


「こっち見て……。」


 小さな声で、耳元で囁くように。

 大きな花火の音でかき消されてしまうほどの小さな声。


「どうした、比呂美?」


 ふいに俺の唇はやわらかい感触にふさがれた。

 目の前に、比呂美の顔があった。

 それが比呂美の唇だと、これがキスだったと理解するのに俺は時間がかかった。


「明太郎、これ、私のファーストキスだから。」

「……!」


 唇を話した比呂美が頬を赤らめて言う。

 

「明太郎も、そうでしょ?」

「そうだよ……。」


 大きな花火が連続して打ち上がって、空を明るく照らしている。

 比呂美が花火の方を見た。

 俺は花火ではなく万理亜を見た。

 万理亜の後頭部は変わっていない。

 自分の後ろで何か行われたか気付いていない。

 花火に夢中になっているようだった。

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