浴衣を買いに行こうよ

 準決勝敗退。

 比呂美ひろみの夏が終わった。



 俺と万理亜まりあは、市立体育館の二階席でその瞬間に立ち会った。

 バドミントンのコートの外に転がるシャトル。

 比呂美の打ったそれはギリギリのところでコートの外に落ちた。

 比呂美は膝に手をつき俯いて顔を上げられない。

 一方、相手選手はチームメイトと抱き合って喜んでいる。

 息を整えた比呂美は右手で汗をぬぐうと、顔を上げ、礼をしてからコートを出た。

 同じ部活の女子からタオルを受け取る。

 先輩だろうか。短髪の女子が比呂美の背中をさすり何か話かけて、それに答えるように比呂美が何度も頷いていた。

 遠い。

 俺はその様子をただ見守ることしか出来なかった。



 俺と万理亜は体育館の外で比呂美が出てくるのを待って声をかけた。

 もう比呂美は気持ちを切り替えたのか、部活の仲間たちと談笑していた。


明太郎めいたろう。万理亜も。今日は来てくれてありがとね。」

「惜しかったな。最後、入っていればな。」

「私は比呂美さん強かったと思います。」

「うん、ありがとう。私も悔しいけど、負けは負け。……さぁ! これで心置きなく夏休みやれるぞ。二人とも、めい一杯付き合ってもらうからね!」

「ああ。」

「はい!」

「それじゃ、私はこの後打ち上げがあるから、また後でね!」


 制服の、大きな部活のバッグを持った比呂美の後ろ姿を見送って、俺と万理亜は家路につく。

 時刻は午後二時。まだ日は高い。


「今日の晩ご飯、どうしましょうか? 何か美味しいものでも。」

「そうだな。しかし、今日は俺が当番なんだよな。出前でもいいかな?」

「お寿司とか。」

「それいいな。一応、比呂美にもメッセージ送っておこう。」


 俺たちは夕飯以外の食料品を買うため、近所のスーパーマーケットに向かう。


「明太郎さんもバイトは終わりですか?」

「ああ。二週間の約束だからな。延長も考えたけど、夏休みの後半は別の予定を入れることにしたから。」


 別の予定……、俺はコーチの故郷に行く計画を密かに立てていた。

 コーチの言っていた白蛇はくじゃの姫の伝説を調べるためである。

 これは万理亜の不幸体質に関わることだ。

 当人には秘密で進めなければならないが……。


「私までバイト代頂いてしまって、ありがとうございます。」

「はは。それは万理亜が手伝ってくれたからだ。」

「あんなに忙しいなんて、海の家のお仕事って大変ですね。」

「いや、あの時が特別だったんだよ。」


 あれほど一度に客が来たのは、あの時だけだった。

 万理亜が店頭に立ったあの時だけ。

 本当に万理亜の不幸体質は、反転して幸運を呼び寄せることがあるのか?

 白蛇の姫のように?

 俺は万理亜と歩きながらも一人、上の空だった。


「あっ! 夏祭りがあるんですね!」


 後ろの方で万理亜の声がしたので、俺は振り向いた。

 俺は気付かないうちに先を歩いてしまっていたらしい。

 万理亜は夏祭りのポスターの前で立ち止まっている。

 俺は万理亜のところまで早足で戻った。


「ごめん、万理亜。……ああ、夏祭りか。この先の神社でやるんだよ。」

「明後日ですね。私、行きたいです。」

「そうだな。みんなで行こうか。花火も打ち上がるんだ。」

「それは楽しみですね!」


 万理亜の屈託ない満面の笑顔が俺の心に刺さりそうになって、わざと俺はポスターの方を向いた。

 万理亜の赤い糸の相手は自分で良いのか?

 俺と万理亜の赤い糸は、『たま』が万理亜の不幸体質を抑えるために無理矢理繋げたものだ。

 この笑顔を向けられる相手は、本来は俺ではない。

 俺と万理亜はスーパーマーケットで買い出しを終えると、スーパーの袋を下げ、並んで歩いた。

 俺は隣の万理亜の上機嫌な足音を聴きながらも、まっすぐ目の前の道を見ていた。


          *


「それじゃ、明日は浴衣を買いに行こうよ。」


 夕飯の寿司を食べながら、比呂美が言った。

 

「いいですね!」


 万理亜が手を合わせて賛成した。

 俺はタマゴ焼きを食べ終え、いよいよ最後に取っておいたイクラの軍艦巻きに手を伸ばしていた。俺は好きなものは最後に取っておく派なのだ。


「明太郎も一緒だからね。明太郎の分も買わなきゃ。」

「んっ……! 俺も!?」


 比呂美が予想外のことを言ったので、俺はイクラを口に含んだままむせた。

 慌ててお茶を飲む俺を無視して、比呂美と万理亜は既に相談を始めている。


「でもどこで買おうか。」

「それなら、こちらのデパートはどうですか?」

「デパートか。私、行ったことないや。」

「私は会員カードを持っていますから、ポイントが付きます。」

「でも高いんじゃない?」

「値段ですか? そうかもしれません。」

「あっ、こっちのショッピングセンターは今、浴衣のセールやってるって。」

「いいですね。」


 夕飯後も比呂美と万理亜は、スマホで浴衣の写真を見ながら楽しそうに話をしていた。


          *


 翌日、俺たちは三人でショッピングセンターの浴衣売り場を訪れた。

 ショッピングセンターは夏休みということもあって家族連れが多く賑わっている。

 浴衣は施設の一階中央に特設コーナーが作られていた。

 セールなので半額の値札が付いている商品も多かった。

 さっそく比呂美は真剣に柄を選び始めている。


「試着なさいますか?」


 店員の女性が比呂美に声をかけた。


「はい。……でも、実は着方がわからなくて。」

「お手伝いいたしますよ。」

「あ、お願いします。」

 

 店員の女性は優しい雰囲気で言った。

 比呂美は少し顔を赤くして、試着室に入っていった。


「私は、こちらとこちらで。」


 万理亜も、何着か選び試着室に入った。


「さて、俺はどうしようかな。」


 俺は紺色の無難そうな浴衣を一着選んだ。

 値札を確認。予算はこれくらいかな……。

 軽く羽織って丈を見る。

 浴衣は思っていたよりも生地が軽くて、風通しが良さそうだった。

 まあ、俺はこれでいいな。

 


 その時、試着室が開いて、水色の生地に薄い青や赤のアサガオの柄が描かれた浴衣、黄色い帯の比呂美が出てきた。

 比呂美の健康的に焼けた肌には、浴衣の明るい色が映えた。


「明太郎、どうかな?」

「似合ってる。」

「ありがと。明太郎はもう決めちゃったの?」

「ああ。これにしたよ。」

「紺かぁ。」

「それなら、こっちのと、どっちがいいかな?」


 比呂美が青い落ち着いた色の浴衣を手に取って俺に見せる。

 少し大人しい気もするけど、これはこれで……。


「それも比呂美に似合いそうだ。」

「ふふっ。こっちも着てみるから見てね。」


 比呂美が再び試着室の中に入っていった。

 それと交代するように、隣の試着室から万理亜が出てきた。


「明太郎さん、どうでしょうか?」


 万理亜は白い生地に南国の赤い花の絵が描かれた浴衣に、紺の帯を合わせて着ていた。

 その鮮やかな赤が万理亜の雰囲気を大人びた印象に一変させている。


「……いいと思う。」

「ありがとうございます。それではこれにします。少し胸元が苦しいのですけど……。」

「えぇ?」

「調べたとおりにしてみたのですが。」


 万理亜の様子を見た店員の女性が言った。


「よくお似合いですよ。浴衣は初めてですか?」

「はい。」

「それでしたら、こちらで着付けのサービスもしていますよ。」

「明日の夏祭りで着たいんです。」

「では、こちらの美容室でご予約を。」


 試着室で着替えた万理亜が店員の女性に連れられていった。


「明太郎、さっきと比べてどう?」


 比呂美に声をかけられて俺は振り返った。

 そこには青い浴衣に赤い帯の比呂美が立っていた。


「それもいいな。」

「もう……。昔から明太郎は優柔不断だよね。」

「わかってるなら聞くなよ……。」

「ちょっと明太郎の買う浴衣見せて。うん。やっぱりこっちかな。……万理亜は?」

「着付けの予約するってあっちに。」

「なるほど。私もそうしようっと。」


 比呂美も試着室で着替え、万理亜が手続きしているカウンターの方に歩いていった。

 さて、俺もこの浴衣を買いますか。

 バイトしておいてよかった。

 まだ余裕のある財布の中身を見て思った。


          *


 夏祭りは夕方からだったが、比呂美と万理亜は着付けの予約のために昼過ぎ頃には出かけていった。

 俺は時間が出来たのでスマホで、コーチの故郷のホテルの予約を調べていた。

 しかし夏休みだからか、八月後半になるまで空いている部屋がない。

 コーチの故郷は避暑地としてそこそこ人気があるらしかった。


「シングルの部屋が少ないんだよな……。」


 白蛇の姫のことはネットで調べてみてもあまり情報がなかった。

 その土地だけに残る古い伝説であるらしい。

 でもだからこそ俺は可能性を強く感じていた。

 スーパーAIの『たま』は、赤い糸以外に万理亜の不幸体質を回避する方法が見つからないと言った。

 でも、それがデジタル化されていない情報だったら?

 スーパーAIが把握できていない可能性が高い。



 ……まあ、焦る必要はないだろう。

 『たま』が出したタイムリミットは二年だ。

 それに今はこの時間を俺は……。

 

 ——着信音。

 

 比呂美からのメッセージだ。

 既に美容室での着付けを終えて夏祭りの会場に向かっているらしい。

 もうそんな時間か。

 俺は慌てて慣れない浴衣を着ると、比呂美たちとの待ち合わせ場所に急いだ。

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