海とバイトと夏祭り

遊びに来ちゃいました

 夏休み、俺には予定があった。

 中学の時の水泳部で指導してくれていた和田コーチから久方ぶりに連絡があり、海の家を手伝わないかと誘われたのだ。

 コーチからの連絡。本当は少しドキリとした。

 俺は水泳部を途中で辞めてしまったからだ。

 でも、コーチはそのことには触れなかった。

 ただ俺の身を気にかける言葉と、少し強引なバイトの勧誘。

 俺は、以前のように俺に接してくれるコーチに感謝した。

 もちろんバイトは二つ返事で引き受けた。

 コーチは、俺の他に、当時の部活の仲間たちにも声をかけているとのことだった。

 あれからもう二年以上経っている……。

 俺はあの後、真剣に打ち込めるものもなく、将来の目標もなくフラフラとした日々を過ごしていたのだ。

 ずっと会って謝ることができたらと思っていた。

 神様が俺にチャンスを与えてくれたのだと思った。

 コーチから送られてきたシフト表には、懐かしい名前が並んでいた。


         *


「そういうわけで、俺は明日から朝早いから。」


 俺は比呂美ひろみ万理亜まりあに海のバイトのことを伝えた。

 夕食のハンバーグを食べている時だった。

 今日の料理当番は万理亜だ。


 比呂美はサラダにドレッシングをかけながら

「私も大会が終わるまではずっと部活だよ。」

と言った。


「それでは私は……どうしましょう?」


 万理亜が少し斜め上の方を見ながら茶碗を持ったまま、そう言った。


「私、夏休みは皆さんとずっと一緒にいるのだと思っていました。」

「え?」


 万理亜は、急に野に放り出された子鹿とでもいうような表情をしている。


「万理亜はどこか行きたいところがあったのか?」

「いいえ。」

「それじゃ、まったくノープラン?」

「はい。」

「夏休み、どう過ごすつもりだったの?」

「……皆さんと一緒に過ごせれば、それだけで楽しいかと。」


 万理亜はハンバーグを口に運んだ。

 どこか少し万理亜はしょんぼりしているように見えた。

 俺と比呂美は、これから毎日、万理亜を一人ぼっちにさせてしまうことを考えて心苦しく感じた。


「ごめんね、万理亜。予定、聞いてあげればよかったね。」

「俺も事前に相談してなかったな。悪かった。」

「いえ、いいんです……。私も勝手に思い込んでいました。そうですよね。皆さん、予定がありますよね……。」

「そうだ、万理亜。大会の応援来てくれる?」

「俺の方にも遊びに来てくれよ。」

「……はい。ありがとうございます。」


 そうして明日の万理亜は、比呂美と一緒にバドミントンの大会の応援へ行くことになったのだった。


         *


 俺がバイトする海の家までは、俺たちの家から自転車で三十分くらいかかる。

 海といっても海水浴が出来るような海ではない。

 だから客は隣接する市営プールに立ち寄った人たちだ。



 夏の朝のまだ涼しげな海風が気持ちよかった。

 松の木々の隙間から青い水平線が見える。

 俺が約束の時間に少し余裕を持ってバイト先に到着すると、もうコーチが店を開けていた。


「おう、三浦! 来てもらってすまないな!」

「いえ、こちらこそ声をかけてもらえて嬉しかったです。コーチ。」

「コーチか。そういや言ってなかったな。俺、部活のコーチは辞めたんだよ。今は国大で非常勤講師だ。」

「そうだったんですか。」

「おかげで夏休みは失業中ってわけだ。二週間よろしくな。」

「はい。」


 俺はコーチに海の家のバックヤードに案内された。

 バックヤードは倉庫のようにもなっていたがロッカーがあり、ここに荷物を置いて待っていろと俺は指示された。

 しばらくすると、誰かがガヤガヤと慌ただしく入ってきた。

 それは一学年上の部活時代の先輩……岡崎先輩と土肥先輩だった。


「お、三浦!? 久しぶりだな!」

「え? 三浦!?」

「あ、先輩方……。お久しぶりです。」


 俺は立ち上がって頭を下げて挨拶をした。

 少し心拍数が上がるのが自分でわかった。


「ほんとだな! 元気だったか?」

「お前、急に辞めるからさ。……俺らもずっと気にしてたんだ。」

「あの時はすみませんでした。」


 笑顔の岡崎先輩が俺の肩に腕をまわして、俺を引き寄せた。


「ま、気にすんなよ。お前だって大変だったろ。」

「それより、今も何かやってんのか? 意外と体できてるじゃねーか。」


 土肥先輩が俺のシャツをめくって言った。


「いえ、腕立てと腹筋だけです。なんか習慣になっちゃってて。」

「そうか。俺はもったいないと思ってたんだ。水泳、もう一度やってみないか。」

「おいおい、土肥。お前だけだぞ、高校でも続けてるの。」

「逆に、俺はなんでお前らが続けてないのか聞きたいぞ、岡崎。」


 同じチームだった岡崎先輩と土肥先輩の掛け合いを見て、俺はあの頃に戻れたような気がした。

 中学の水泳部。

 それはずっと俺の心に暗い影を落としていた。

 中学二年の夏、俺は大事な大会の予選でスタートをミスした。

 極度の緊張のせいだと思う。

 そのせいで俺たちのチームは失格になった。

 もちろん、誰も俺のことを責めはしなかった。また来年頑張ろうと言ってくれた。

 しかし、悪いことは重なるもので、俺はその直後に些細な理由で首を痛めてしまった。

 そして俺は部活に復帰できないまま、水泳部を辞めることになってしまったのだ。

 水泳部から逃げたと責められても仕方がないと思っていた。


「おーい、集まったな。土肥は三浦に仕事教えてやってくれ。」

「よしきた!」

「土肥先輩、よろしくお願いします!」


 初日は仕事を覚えるだけで精一杯で、ついていくのがやっとだった。

 それでも三日も経つと少しずつ余裕が出てきた。

 他の先輩たちや、違う高校に進学して会わなくなった同学年の仲間たち。

 バイトは想像以上に楽しかった。

 俺の夏は充実していた。



 バイトを始めてから一週間経った。

 俺は今日の朝もスッキリ目が覚めた。

 バイトを始めてからというもの、夜は程良い疲労感でスっと寝付くことができ、そのおかげで朝の目覚めも良い。


「それじゃ、行ってくる!」

「いってら〜。」

明太郎めいたろうさん、いってらっしゃいませ。」


 起きがけでまだ目が開いてない比呂美と万理亜に見送られて、俺は家を出た。

 俺は仕事に自信が付いていた。

 あと一週間で約束の期間が終わってしまうのが残念だ。

 コーチに、延長できないか相談してみようか。


          *


 地面を白く照らす日差し。

 今の俺はひとりで店の軒先の日陰の下、店番だ。

 しょっぱい海風。

 プールの方から聞こえてくる歓声と水音。

 昼下がり。客足のピークは過ぎた。

 休憩時間になった先輩たちはプールに遊びに行った。

 時折、焼きそば、フランクフルト、かき氷を買い求めに客たちがやってくる。

 俺はパックに詰めた食べ物を渡して金を受け取る。


「コーチ。焼きそば、あと一パックです!」

「よし、焼いておくか。」


 のんびりとした時間だ。

 ソフトクリームみたいな雲もゆっくりと流れていた。


「明太郎さん!」

「万理亜?」

「遊びに来ちゃいました。」


 声の先、そこにはピンク色の上下の水着を着た万理亜が立っていた。

 日差しのせいか、少し照れるように笑う万理亜の白い肌は輝いて見える。

 比呂美と一緒に来たのか?

 いや、今日は比呂美は部活のはずだ。


「万理亜、一人で来たのか?」

「はい。」

「プールに遊びに?」

「いえ、明太郎さんのところにです。」

「なんで水着?」


 プールの近くといえども、美少女と言える万理亜の水着は目立っている。

 店の前を通ったカップルの男性が万理亜を目で追って隣の女性に叩かれていた。


「それは『たま』ちゃんが、この格好がいいって言いましたので。」

「『たま』か……。」


 どうせ『たま』の企みはわかっている。

 海の開放的な空気の中で、万理亜の健康的な水着姿を俺に見せつけようというのだろう。効果は絶大だ。

 しかし、俺は万理亜の水着姿をじっくり見る間もなく、小さい子供のいる家族連れの客が来て接客しなければならなかった。


「イカ焼きください。」

「はい、どうぞ。」


 俺は元気のいい男の子にイカ焼きを渡した。

 小学校に上がる前くらいの年齢だろうか?

 男の子はイカ焼きを受け取ると勢いよく駆けだした。


「あっ、危ない!」


 男の子がイカ焼きを持ったまま転びそうになる。

 俺は咄嗟に超能力で倒れそうになった男の子を受け止めた。

 男の子はそのまま丁度目の前に立っていた万理亜によって抱きかかえられた。


「大丈夫ですか?」

「うん。ありがとう、お姉ちゃん!」


 イカ焼きを持って元気よく手を振りながら遠ざかる男の子に手を振り返しながら、万理亜が言った。


「ふふふ。胸にイカ焼きのタレが付いちゃいました。」

「これで拭けよ。それから、これを着てくれ。」


 俺は万理亜におしぼりと、俺が着ていたTシャツを手渡した。

 万理亜は受け取った俺のTシャツを着ると、プールの方に行くでもなく店の前をうろうろしている。

 その間にも何故か客は次から次へとやってきた。


「ハァ、しょうがない。そこだと邪魔になるから万理亜、しばらく俺の隣に座っているか?」

「はい、明太郎さん。ありがとうございます。」


 万理亜がちょこんと俺の横に座った。

 さっきから客が絶えない。

 おかしいな、いつもはこの時間は暇になるのに。


「かき氷ください。イチゴとブルーハワイ。あと焼きそば。」

「はい、少々お待ちください! コーチ、焼きそば無くなりました!」

「ちょっと待ってろ、もうすぐ焼けるぞ。」


 先輩たちが戻ってくるまでにまだ時間があった。

 俺は急いでかき氷を作り、コーチは焼きそばを焼いた。


「すみませーん。この浮き輪いくらですか?」

「え? 浮き輪!?」

「こっち焼きそば二つ。」

「あ、はい!」


 あっという間に店の前には行列が出来てしまっていた。

 俺はかき氷を回すのに手一杯だった。


「明太郎さん、私も手伝います!」

「ああ。すまない、万理亜。助かる!」


 万理亜が立ち上がって、接客を手伝ってくれた。


「おーい、焼きそば、出来たぞ!」

「私、取りにいきます!」


 万理亜が厨房のコーチのところに向かう。

 この時、コーチに万理亜を紹介し忘れたことにも気付かないくらい俺はテンパっていた。

 かき氷と飲み物は俺。パック売りの食べ物の販売は万理亜。

 役割分担をして、やっと客をさばけるようになってきた。



「お? なんだ? すごい客来てるじゃねーか。」

「やばっ! 土肥、すぐ手伝うぞ!」


 やがて先輩たちが休憩から戻ってくると、ようやく万理亜は手を離れることができた。


「ありがとう、助かったよ、万理亜。」

「いえ。初めての経験で楽しかったです。」

「もう帰るのか?」

「はい。少しだけのつもりでしたので。」

「そうか。じゃあ、またな。」

「はい。明太郎さん、お仕事がんばってください。」

「ああ。」


 万理亜が帰ってしまうと、だんだんと客足は元の様子に戻っていった。


「なんだったんだ? さっきの繁盛は。」


 これにはコーチも先輩たちも首をかしげていた。


          *


「三浦。ちょっといいか?」


 帰り際、俺はコーチに呼び止められた。


「ほらこれ、今日のあの子の分のバイト代。持っていってやれ。」

「あ。ありがとうございます。」


 俺はコーチから封筒に入れられた万理亜のバイト代を受け取った。

 コーチは俺の肩を軽く叩いて言った。


「いい子だな。お前の彼女。」

「彼女だなんて。違いますよ。」

「でも、あの子、お前と赤い糸だって言ってたぞ?」


 あの忙しい中で、コーチと万理亜はそんな話までしていたのか。


「聞いたんですか? ……まあ、そうなんですけど、ちょっと理由があって。」

「なんだ? 俺はお似合いだと思うぞ。」

「ははは。」

「しかし、今日は不思議な体験をした。あの子が来ていた時間だけ嵐のようだった。」

「そうですね……。」

「まあ、たまたまだと思うが。お前と赤い糸だと聞いてな、まるで白蛇はくじゃの姫だなと思ってしまった。」

「白蛇……?」

「いや、急に悪い。俺の故郷の伝承なんだよ。運命で結ばれた男と一緒にいると幸福を引き寄せる美しきお姫さまの話だ。」

「へえ。そんな話が……。」

「と言っても、白蛇の姫は最後、天変地異を起こして国を滅ぼしてしまうんだけどなぁ。その姫の怒りを静めた僧の立てたほこらが俺の故郷に残ってるってわけだ。」


 姫が天変地異を起こす?

 その話を聞いた時、俺は本当にその姫が万理亜と重なって思えた。

 万理亜の不幸体質は、天変地異をも引き起こす。

 それが俺と赤い糸に結ばれていれば抑えることができるという。


「……天変地異って? どうしてですか?」

「なんだったかな? 姫さまが愛した男を、嫉妬に狂った殿様が殺したんだったかな?」

「その僧は、どうやって白蛇の姫の怒りを静めたんですか?」


 俺が興味があるのは、その現象の止め方だ。

 もしも伝承で止める方法が伝わっているなら……!


「なんだ? こういう話に興味あったのか? 悪いなー、細かいところは曖昧で。もしかしたらネットで調べたら出てくるかな? 俺の故郷、長野の方なんだけどさ。詳しくわかったら連絡するよ。」

「すみません、よろしくお願いします。」


 思いがけない情報だった。

 本当に縁というのはどこで繋がっているかわからない。

 途切れたと思っていても、また思いもしないところで繋がったりする。

 俺は、一筋の希望の光を見た気がした。

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