デートだよ

「もう知らない!」

「おい、比呂美ひろみ!」


 今日も比呂美とケンカになって廊下まで連れ出された。

 これも日常。

 クラスメートたちの、またかという顔も見慣れた。

 ちなみに今日のきっかけは、俺が万理亜まりあと一緒に万理亜のお父さんをお見舞いに行くことを比呂美に言っていなかったということだ。


「悪かったよ、比呂美。」

「最近の明太郎めいたろう、万理亜と前よりも仲良くなってる気がする。」

「……そうかな?」

「わかってる? 浮気したらダメなんだからね。」

「わかってるって。」


 比呂美が口をへの字に曲げている。

 俺は比呂美の頭をぽんと叩いて言った。


「この埋め合わせはするよ。今度、映画をおごるから。見たいって言ってたのあっただろ。」

「あれ、明日までだよ……。」

「それなら明日行こう。ちょうど試験期間で午前で終わりだから。」

「……うん。」


 はあ。俺はため息をついた。

 まだ比呂美は俺の袖を掴んで離そうとしない。


「お前ら、また追いかけっこか? 赤い糸なしで交際してたら通報するぞ。」


 次の授業のために教室に向かっていた担任の森が、俺たちを見咎めて言った。

 森の言い方は別に嫌みっぽくはない。冗談で言っているのだとわかる。

 十六歳になれば、学生でも赤い糸は自由に登録も解除もできる。

 本当に問題になるのは交際禁止の十六歳未満であって、俺たちみたいに十六歳になってしまえば、交際相手は赤い糸を登録しなければならないという法律があるだけだ。

 それだって、俺と比呂美は赤い糸が登録されているのだから、通報される筋合いはない。

 比呂美との赤い糸は、まだ誰にも言っていないけれど。


         *


 比呂美と見たのは恋愛映画だった。

 映画のテーマは、もしも好きになった人に赤い糸の相手がいたら。

 ヒロインが好きになった男性は誰とも付き合ってないように見える。

 ところが彼には赤い糸の相手がいた。

 三年前に別れた相手が、赤い糸の解消に同意していなかったのだ。

 音信不通の相手を探し出して、二人が結ばれるまでを描いたドタバタコメディ。

 実は好きになった男性の赤い糸の相手も男性だったというのが、視聴者のミスリードを誘う。



「面白かったか?」

「んー、微妙かなあ。」


 映画館の下の階のカフェで比呂美と映画の感想を言いあう。

 いつも比呂美と一緒に映画に来た時は、この感想会までがセットだ。

 比呂美は、レモンスカッシュを飲みながら愚痴った。


「そりゃ、赤い糸は同性同士でも登録可能なのは知ってるけど、好きになった女の子にそれ隠す? そのせいでこじれましたって話だよね。」

「まあな……。」

「あと、ヒロインもなんかあるとすぐ怒りすぎ。」

「……。」


 俺はアイスティーにガムシロップとミルクを入れてかき混ぜた。


「比呂美はどうしてこの映画が見たかったんだよ?」

「好きな俳優が出てるから。佐藤倫太郎と吉田水星君。」

「あー。」

「でも、その俳優同士のキスを見せられるとは思わなかった。」

「ヒロインの演技はどうだった?」

「人気あるのはわかる。可愛いもんね。最近いろんなドラマや映画に出てるよね。今もやってる。看護師のやつ。」


 それは俺があの日、万理亜に誘われて以来、一緒に見るようになったドラマだ。

 もうすぐ最終回になる。


「あれ、面白いよな。」

「明太郎、見てるんだドラマ。」

「あ、ああ。」

「面白いのは認める!」

「はは。」


 映画の話も、ドラマの話も、比呂美は好き放題に言っていた。

 俺は比呂美の言い方が面白くて笑った。

 もしも万理亜だったら、今日の映画にどんな反応をしただろうか。



「あ、あれ。北条君と奈津実だ。」

「え?」


 カフェの外、俺は、並んで歩く見慣れたクラスメートの二人を見つけた。

 二人は手を繋いで歩いている。


「まだ北条君も奈津実も、十五歳なんだよね。」

「え? それじゃ二人は。」

「うん、内緒で付き合ってるって。この間、教えてもらったの。」

「でも、それって。」

「誰にも言っちゃダメだからね。奈津実は、私と明太郎のこと心配して打ち明けてくれたの。」

「秘密のデートか。わかったよ。」

「……いい? 私たちのこれもデートだよ。」

「そうか。そうだよな。」

「そうだよ? 私たちはもう赤い糸なんだからね。」


 俺たちは、二人の間に何の障害もないように歩く北条たちの後ろ姿を見送った。


「なんか、俺たち、律儀に法律守ってたの馬鹿みたいだよな。」

「……私は、明太郎のそういうところがいいと思うけど。」

「比呂美、ありがとな。待っていてくれて。」


 比呂美が俺の目を見つめて微笑んだ。

 こんな子と一緒にいられる。赤い糸で繋がっている。

 俺は幸せものだな。


「あ、そうだ。万理亜……千葉さんだけどさ。来週末、引っ越すんだ。新しい家が見つかったから。」

「……へえ。近いの?」

「詳しい場所は知らないけど、隣の駅みたいだよ。」

「ふーん。まあ、同級生の家に居候なんておかしかったんだよ。」

「そうだな……。」

「さて、そろそろ出ようか?」


 レジに伝票を持っていく。

 ここは俺が払うよと言ったら、比呂美がちょっと待ってとスマホを取り出した。


「赤い糸割引ありますよね。私たち、赤い糸なんで。」


 比呂美は、スマホのアプリを起動してレジの店員に見せた。

 赤い糸アプリ。


「はい、ご利用ありがとうございます。」


 店を出て俺は比呂美に聞いた。


「赤い糸アプリ? そんなのあるのか。」

「うん。役所でチラシもらってきて、簡単にインストールできた。これ見せると割引を受けられるの。」

「通知書が無くてもいいのか。それは便利だな……。」

「通知書?」

「いや、なんでもない。」


 俺は万理亜と一緒に入ったファミレスでのことを思い出していた。

 あれで俺は赤い糸割引を知ったのだ。

 そういえば、あの時、万理亜は……。


「比呂美、もしもだけどさ。」

「んー?」

「もしもの話だけど、デートは浮気か?」

「……浮気でしょ。」

「そうだよな……。」

「何……?」

「いや、約束を破らないように気をつけるよ。」


 万理亜とのあののことは、比呂美には言わないでおいた。


         *


 万理亜と一緒に見ていたドラマも今日で最終回だった。

 続編を作ろうと思えば作れそうな終わり方。

 それでも終わってしまったのだと思う気持ちがある。


「面白かったな。」

「はい。良いドラマでしたね。毎週楽しみにしていました。」

「そうだな。」

「明太郎さん。私、明日引っ越します。」

「ああ。」

「お母さまにも大変よくしていただいて。」

「いや、俺たちの方が助かってたさ。」

「こうやって明太郎さんと一緒にテレビを見るの、楽しかったです。以前の家は自分の部屋にテレビがあったので。」

「そうか……俺も、楽しかったよ。」


 万理亜も俺もソファで隣同士、テレビの画面を見たまま話をした。

 今どんな雰囲気なんだ?

 ここで、俺の方から万理亜の手を握るとか?

 いや、俺にそんな勇気は無い。

 でも次の瞬間、ふわりと万理亜の匂いが俺の鼻をくすぐった。

 万理亜が俺の肩にもたれるように体重をかけた。


「しばらく、このままにしていても?」

「……ああ。」


 俺は万理亜の体温を半身に感じた。


         *


 万理亜の引っ越しの日、俺と母さんは家の前の道に出て万理亜を見送った。

 引っ越しと言っても、万理亜の荷物はまだトランク一つ分だけである。

 俺は、近所に住んでいる比呂美にも声をかけていた。


「いつでも遊びに来ていいからね!」

「ありがとうございます。お母さま。」


 万理亜は俺と比呂美の方を向いて言った。


「比呂美さんも、ありがとうございます。」

「近所だから、ちょっと顔を見に来ただけだから。」

「明太郎さん、それではまた学校で。」

「ああ。」


 万理亜が寂しそうに見えたのは俺の気持ちの投影だろうか。

 なんのことはない。

 本来の正しい状態に戻るだけだ。



 万理亜が背を向け、カラカラとトランクを引いて去ろうとした時、俺は急に耐えきれないほどの頭痛に襲われた。

 また?

 視界が歪む……。

 そして、地面が突き上げるように揺れた。

 地震だ。

 少し大きいぞ。

 震度……四くらいか?


「きゃあ!」


 比呂美が声をあげた。

 俺は咄嗟に隣の比呂美の手を握った。


「あ、ガスの元栓閉めなきゃ!」


 母さんが慌てて、家の中に入っていく。

 数秒で揺れは収まった。

 万理亜は大丈夫だっただろうか?


「千葉さんは大丈夫?」

「あ、はい。私は少しビックリしただけで……?」

「あれ?」


 万理亜が立っている足下を見ると、地面が不自然に下がっていた。

 道路がへこんできている?

 ……なんかおかしい!


「千葉さん、こっちへ! 早く!」

「え、あ、はい……?」


 万理亜はまだ状況がわかっていない。

 俺は万理亜に左手を差し出した。

 しかし、万理亜は俺と比呂美を見るとなぜか躊躇うように手を伸ばそうとしない。

 地面が落ちる!

 陥没する!


「万理亜!」

「め、明太郎さん!」


 ギリギリの距離だ!

 俺は手を伸ばして、更に超能力を使った。

 万理亜の身体を超能力で引き寄せて、手を掴んで抱き寄せた!

 ズシーンと大きな音が静穏な住宅街に響きわたった。

 万理亜がいた場所に大きな穴が空いていた。

 道路の陥没……。

 俺の家の前でなんで?


「何が起こったの? これ……。」


 比呂美が穴を覗き込もうとしたので、俺は比呂美の繋いだ手を引いた。

 右手に比呂美、左手に万理亜。

 道路に出来た巨大な穴は、俺の家の庭の下まで広がっていた。

 はあ、はあ。

 頭が割れるように痛い。

 う……。

 鼻の下にツーッと伝わる感覚……。

 これは鼻血か?

 俺は意識を失った。


         *


「明太郎さん。全然計算通りに動いてくれないですね。」


 意識を失って眠っていた俺の脳に直接あの声が響く。

 あのスーパーAIの声が。


「お前、今更出てきて何なんだよ。まさかあの地震も陥没もお前の……?」

「そんなわけないでしょ!」

「でも、絶対に何かがおかしい。」


 俺は意識だけでスーパーAIと会話をした。


「おい、スーパーAI。お前の知ってることを教えろ。」

「うーん。スーパーAIは嘘がつけないですからね……。しょうがない。教えた場合の予測はまだ計算結果が出ていませんが……。」


 しばらくの沈黙の後、スーパーAIは言った。


「万理亜ちゃんは事故に遭いやすい体質なんです。そして近い将来、事故に巻き込まれて死んでしまう。そういう計算結果が出ています。」

「死ぬ? 万理亜が?」

「そうです。でも、私は絶対にそれを阻止したい。だから回避する方法を計算しました。それの結果が明太郎さんとの赤い糸です。明太郎さんと赤い糸を結んでいる限り、万理亜ちゃんは死にません。」

「なんなんだよ、それ……。事故に遭いやすい体質? それを赤い糸で回避できる? そんなバカな。どういう繋がりがあるんだよ?」

「スーパーAIの計算結果に間違いはありません。」

「他には方法はないのか?」

「他には見つかりませんでした。」

「いや、きっと何かあるはずだ……。お前のことは信用できない。俺が……、俺が方法を見つけてみせる。」

「……明太郎さん。万理亜ちゃんをお願いしますね。」


 スーパーAIの声が途絶え、俺は意識を取り戻した。

 まだスーパーAIが言ったことが頭の中をグルグルしている。



 死を回避するため?

 そんな理由で赤い糸? 運命の相手?

 そんなの……信じてる万理亜が可哀想じゃないか……。

 俺は決めた。

 俺は万理亜の運命に抗う。

 万理亜を救う方法を見つめる。

 そして、これではっきりした。

 万理亜には俺じゃない、本当の運命の相手がいるはずなんだ。


         *


 結局、この道路の陥没事故は地下工事が原因で、地震をきっかけに急激に穴が広がったのだと専門家が言っていた。

 連日、大きなニュースで報道されて、俺の家も穴を埋める工事のために引っ越しを余儀なくされた。

 父さんと母さんは、母さんの実家に身を寄せると言う。

 俺はと言うと、学校の問題があって万理亜の新しい家に住むことになった……。

 そして今日、なぜか比呂美も万理亜の家に引っ越してくる。


 ピンポーン!


「はーい。いらっしゃい、比呂美さん。」

「え、結構広いじゃん。ここに最初、一人で住むつもりだったの?」

「はい。」

「比呂美、荷物これだけか? 持つよ。」

「明太郎。万理亜と二人で、変なことしてなかったよね?」

「するわけないだろ……。」

「比呂美さんの部屋はこちらです。」

「ほんとに一人一部屋あるんだ! え、広すぎない!?」


 万理亜が笑顔で比呂美を迎え入れた。

 赤い糸で結ばれた三人。

 それが一緒に住んで、大丈夫なのだろうか?

 俺は不安でいっぱいだった。

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