デートでしょうか
もうすぐ期末試験が始まる。
俺はさっとノートを見返すくらいの形だけの試験勉強に一息ついて、乾いた喉を潤そうと一階に降りた。
冷蔵庫のある一階のキッチンはリビングと繋がっている。
リビングでは万理亜がソファに座り一人でテレビを見ていた。
「あ、万理亜さん。まだ部屋に戻ってなかったんだ。」
「はい。ちょうど今九時のドラマが終わったところでした。」
俺の家はテレビがリビングにしかない。
万理亜はテレビドラマが本当に好きらしく、毎日何かしら番組を見ていた。
俺は冷蔵庫からウーロン茶を取り出してコップに注いだ。
「万理亜さんも何か飲む?」
「あ、はい。それでは同じものを。」
俺は万理亜にもウーロン茶を入れたコップを手渡した。
「ありがとうございます。」
万理亜はお礼を言ってコップを受け取るとまたテレビに向き直った。
少しして、次の十時からの番組が始まった。
俺も休憩のつもりで何気なくそのテレビドラマを見始めた。
万理亜が見るのはドラマだけで、ニュースやバラエティ番組は全く見ないようだった。この間、ドラマに出ている役者が実はお笑い芸人だと言ったら驚いていた。
万理亜はスマホも持っていないので、ドラマ以外での役者の情報に触れる機会がないのだと思った。
最初のCMに入ったところで万理亜が俺に言った。
「
「ああ。じゃあ、そうするかな。」
万理亜が少し右に動いてソファのスペースを空けた。
俺は万理亜の横に座った。
俺も万理亜も黙ってテレビの画面を眺めた。
「ふふふ。」
ドラマのコメディパートで万理亜が笑う。
俺は万理亜の横顔をチラリと見た。
無邪気で可愛らしい笑顔。
いつの間にか、万理亜と同じ空間にいることに慣れている俺がいた。
*
「今週末ですけど、父がもうすぐ退院できるので、手続きとお見舞いに行こうと思います。」
「あら、そうなのね。病院はどこだったかしら。」
「新幹線で二時間かかりませんので、日帰りできます。」
「わかったわ。」
夕飯の時、万理亜が母さんに言った。
万理亜のお父さんは、この街に引っ越してくる前に事故に遭ったと聞いた。
そうか、退院できるのか。
それはよかったな。
「明太郎。あんたも一緒にいってらっしゃいよ。交通費は出してあげるから。」
母さんが唐突に俺に言った。
「なんで、俺が?」
「万理亜ちゃんと赤い糸になったのに、挨拶しにいかないわけ? そんな礼儀を知らない子に育てた覚えはないわよ。遅いくらいよ。」
「そうですね。父も明太郎さんに会いたがっていました。一緒に来ていただけるなら、嬉しいです。」
万理亜のお父さんに会う?
何を話せばいいんだよ……。
いや、しかし、挨拶しないわけにいかないのか?
スーパーAIに無理矢理にとはいえ、赤い糸で結ばれた相手が会いに来ないというのは印象が悪いだろう。
「わかったよ。」
今度の土曜日。俺は万理亜と一緒に、万理亜のお父さんの見舞いに行くことになった。
*
万理亜と俺は新幹線のホームにいた。
俺は駅でこの街の土産物のお菓子を購入していた。
「病院のある街は、どんなところなんだ?」
「ええと。海があって、山があって。車は多いですね。あと雪が降ります。」
「へえ……。よく遊んだ場所とかあるのか?」
「遊んだ場所……。よく行っていた本屋さんと映画館はありました。」
「お父さんと一緒に?」
「いいえ、いつも一人で。」
「そうなんだ。」
「お父さんはどんな人? 俺、会っても大丈夫かな?」
「父は、やさしい人ですよ。ドラマみたいに、娘はやらんなんて怒鳴ったりしませんよ。」
「ははは。それなら安心だ……。」
俺と万理亜は新幹線の中では、本を読んだり窓の外を見たりして過ごし、そして多少のたわいのない話をした。
新幹線で二時間弱。それからタクシーで十五分くらい。
俺と万理亜は、万理亜のお父さんが入院している病院に着いた。
「明太郎さん、ここで待っていていただけますか? 私、父の好きな果物を買ってきますので。」
「ああ、わかったよ。」
万理亜は、病院前のフルーツ店に向かっていった。
俺は待っている間、病院の門から中の様子をうかがった。
大きな病院だ。
芝生の庭があって木が何本か植えてあって、ベンチもある。
きっと来客や入院している人の憩いの場所なのだろう。
おや?
俺は病院の庭で、木の枝に向けて松葉杖を振り上げて何かをしている男性の姿を見つけた。小さな男の子がその様子を見守っている。
木の枝にはピンク色のボールが引っかかっていた。
おそらく男の子のボールだろう。
取ろうとしてあげているのか。
俺は男性と男の子に近づきながら、ボールに落ちるように念じた。
俺の超能力が届くと、枝が揺れてボールがぽーんと枝から飛び出るように落ちた。
ボールが俺の方に向かって転がってくる。
俺はボールを拾いあげて男の子に渡した。
松葉杖の男性は俺に気付くと、恥ずかしそうに笑って言った。
「やあ、すまない。私が取ってやろうとしたのだが、届かなかったよ。」
「運良く風が吹いたようでよかったですね。」
「まったくだ。」
男性は両足をギプスで固定されていて、慣れない動作でやっとのこと車椅子に座った。
「ふぅ。もうすぐ退院なのだがね。おや……。」
いつの間にか果物を買ってきた万理亜が俺の横にいて、男性に向かって言った。
「お父さん。こんなところにいて大丈夫なんですか?」
そうか。この人が万理亜のお父さんだったのか。
「万理亜。ちゃんとタクシーで来たか。無事に来られたか?」
「はい。お父さん。」
「バスは何かあったときに被害が大きくなるからな。」
「大丈夫ですよ。相変わらず心配性ですね。」
「電車も新幹線なら辛うじて安全だが在来線はダメだぞ。飛行機には乗るなよ。」
「はいはい。」
微笑ましい親子の会話なのだろうか。
でもやっぱり親子だからか、なんとなく二人は似ている気がするな。
「お父さん。紹介します、こちらが三浦明太郎さんです。」
「なるほど、君が。」
車椅子に座っていた万理亜のお父さんは、改めて俺の顔を見上げると、それから俺の足先まで隅々まで観察し、ほうっと感心するように言った。
「万理亜から話は聞いているよ。君は身体は大丈夫なのか? 怪我とかは?」
「え、大丈夫ですけど。」
「そうか。さすがスーパーAIの判断だな。相性はバッチリのようだ。」
「もう、お父さんたら。」
万理亜が少し頬を赤らめて言った。
「さあ、病室に戻りましょうか。」
「そうだな。」
「果物を買ってありますから。」
「それはありがたい。」
俺は万理亜のお父さんの車椅子を押してあげた。
万理亜はお父さんと嬉しそうに会話している。
久しぶりに会えたのだから、そりゃそうか。
「明太郎さん、申し訳ないですが、先に父と病室に行っていただけますか。私は受付で手続きをしてきます。」
「わかった。」
「明太郎君、あっちのエレベータで頼むよ。」
「はい。」
俺は万理亜のお父さんとエレベータに乗った。
お父さんと二人。ちょっとした沈黙が辛い。
「明太郎君。」
「はいっ。」
「万理亜が電話でいつも、君のことばかり話すよ。あとは、クラスメートの
「万理亜さんにはお世話になっています。」
「万理亜は転校して正解だったようだ。」
「あの、赤い糸のこと……。」
「赤い糸制度はスーパーAIが勝手に相手を決めるものだが、そこに間違いはない。」
俺と万理亜のお父さんは、エレベータを降りて病室に入った。
万理亜のお父さんはベッドに身体を移動して、少し身体を起こした。
「私は、万理亜から親しい人間の話を聞くのは君が初めてだったよ。」
「そうなんですか。」
教室で見る万理亜はクラスでも普通に会話して笑ったりしている。でも、確かに俺と比呂美以外に、特定の仲のいいクラスメートがいるわけではなかったかもしれない。
「万理亜は小さい頃からなんでも出来る子だったが、人と深く関わろうとはしないところがあった。あの子は母親に似たのだ。」
「万理亜さんのお母さん?」
「ああ。安心してくれ。事故じゃないよ。癌でね。六年前に亡くなった。あの子の母親はスーパーAIの研究者だった。」
「え?」
スーパーAIの研究者?
これも偶然なのだろうか?
その時、手続きを終えた万理亜が病室に来た。
「お父さん、退院は明後日だって。」
「ああ。」
「さっそく果物の皮、剥きますね。」
万理亜が買ってきた果物の皮を剥いて切って皿に並べている。
万理亜のお父さんが万理亜に言った。
「万理亜。言わないといけないことがある。実はな、この入院で昇進の話が無くなってしまってな。私の引っ越しの話も無くなった。」
「無くなった?」
万理亜の手が止まる。
咄嗟に不安そうな顔で万理亜が俺の顔を見た。
「ああ。もちろん万理亜はあちらの街に残っていいぞ。また転校手続きするのも手間だしな。」
万理亜のお父さんが続けてそう言った。
それを聞いて万理亜がほっとしたのがわかった。
俺もつられたのか、思わず、ほっとしてしまった。
「ただし新しい家は見つけておいたからな。いつまでも明太郎君の家にやっかいになっているわけにもいかんだろう。」
「それでは……。」
「今日はその書類を渡す目的もあったのだ。」
「……あ、はい。」
万理亜が俺の家を出て行く……。
いや、それが自然なことだ。赤い糸で結ばれていたって万理亜は他人。何の理由もなく一緒に住み続けるのは普通じゃない。
でも俺は一抹の寂しさを感じていた。
いつの間にか俺は、俺の生活から万理亜がいなくなることを考えていなかった。
*
病院を後にした俺と万理亜は、無言だった。
万理亜はバッグに入らなかった不動産の書類が入った封筒を抱えている。
やはり足取りが重い気がする。
「なあ、万理亜さん。ちょっと疲れたよな。まだ新幹線の時間まであるから、少し休憩していこう。」
俺はちょうど通りかかったファミレスを指差した。
「そうですね。」
ドアを開けるとカランと音がする。
俺たちは窓際の席に座り、メニューを開いた。
ドリンクバーが無い店なのか。
少し時間が早いけど軽く食事してもいいかもしれない。
「どれにする?」
「それでは、私はこれにします。」
メニューが決まった俺たちは店員を呼んだ。
「はい。承りました。赤い糸割引はご利用になりますか?」
「赤い糸割引?」
「あ、失礼しました。ごカップルかと。」
「……! いいえ! 私たち赤い糸です!」
万理亜が慌てて言った。
万理亜はバッグから赤い糸の通知書を取り出して店員に見せる。
それ、持ち歩いてるんだ……。
赤い糸の通知書と俺たちの学生証を見せて、確かに俺たちが赤い糸で結ばれていることを確認すると、店員は伝票の赤い糸割引にマルを付けた。
「赤い糸割引なんてあるんですね!」
「ああ、知らなかった。」
割引といっても少し安くなるだけだったが、万理亜は嬉しそうにしていた。
俺の目の前にハンバーグが置かれ、万理亜の前にはパフェが置かれた。
万理亜がパフェをパクパクと食べながら言った。
「もしかして、これってデートでしょうか?」
「え、どうなのかな?」
正直、俺はそこまで意識していなかった。
しかし、少なくともあの店員には、俺たちは付き合っているカップルに見えたのだろう。
パフェに夢中になって幸せそうな万理亜の顔を俺は見つめていた。
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