三人の微妙な関係

仲良くなりたいです

 いつもの学校。いつもの教室。騒がしい休み時間。

 そこに、いつもと違う存在がいる。

 千葉万理亜まりあだ。

 万理亜の席は廊下側の前から三番目。

 俺の席からは時折チラリと横顔が見えるだけ。

 万理亜の周りに女子が今は二人、集まっている。

 俺の席は真ん中の後ろから二番目。

 次に俺はちらりと逆側、窓の方に目をやる。

 窓側、前から三番目の席。

 比呂美ひろみはずっと対称に位置する万理亜を見つめていた。

 それに気付いた万理亜が、比呂美に向かって手を振った。

 比呂美は目を逸らして万理亜を無視した。


          *


「おい、三浦。千葉さんと付き合ってるんだろ? もうやったのか? いいなー、あんな美人とさー。」

「俺と千葉さんはそんなんじゃない。」


 教室でクラスメートの伊東が俺に声をかけてきた。

 未だ、俺と万理亜に関するクラスの噂話は解決していない。

 赤い糸は、俺たちの年齢の男女にとって重大な関心事項なのだ。

 いくら俺が否定しても、そんなことは関係なかった。

 伊東も普段は悪いやつじゃないが、今日はいつにもなく、しつこく絡んできた。


「千葉さーん、彼氏がこんなこと言ってますよ!」

「おい、伊東!」


 さすがに俺もイラッとして、思わず声を荒げそうになったその時、

 ガタン!

 俺ではなく万理亜が音を立てるほどの勢いで立ち上がった。


「伊東さん!」


 そして、真っ直ぐ伊東を見据えた。


          *


 あの校門トラック事件の翌日、俺と比呂美は赤い糸の登録情報を確認するために一緒に役所に行った。

 役所で参照できた比呂美の赤い糸の相手には、確かに俺が登録されていた。

 しかし、俺自身の赤い糸の登録情報は不正データでエラーになって確認できなかった。

 役所の人は首を捻っていたが、きっとスーパーAIが無理矢理に二重登録したせいだ。

 これで俺は役所で手続きができず、赤い糸を解消できなくなったわけだ。

 完全にしてやられたと思った。


明太郎めいたろう……。本当に二年間このままなの? 」

「いや……。」


 俺は比呂美の問いに、曖昧に答えるしかなかった。

 結果的に比呂美と俺は赤い糸で結ばれたが、これは望んでいた形ではない。

 俺は万理亜とも赤い糸で結ばれたままだ。

 解決するにはあのスーパーAIに頼むしかないが、あいつが大人しく言うことを聞くとは思えなかった。

 俺がなんとかするよ。比呂美にはそう言ったけど、あれからスーパーAIは俺の呼びかけに現れていない。


          *


 休み時間になると、比呂美は教室から外に出て行くことが多くなっていた。


「今のクラスの空気が苦手……。」


 胸に抱え込んでいたことを吐き出すように比呂美が言う。

 校庭横の自販機の前。

 俺は比呂美におごるよと言って自販機にコインを入れた。

 比呂美はオレンジジュースのボタンを押す。

 ガタコンッと、ジュースが出てくる音がした。


「大丈夫か?」

「……大丈夫。」

「あのさ、今度どこか遊びにいかないか? せっかく赤い糸になれたんだし。」

「うん……でもちょっと今時間ないかな。」

「部活か?」

「もうすぐ大会だから、そのうち朝練もやると思うよ。」

「そうか、そうしたらまた一緒には登校できなくなるな。」


 と言っても、あの日から一度も比呂美は朝、俺の家に来ていない。


「そうだね。」


 比呂美が校庭の方を見ながら言った。

 なんだろう。さっきから俺も比呂美も、同じ方向を向いて立って話をしている。

 視線が交わることはない。


          *


「……本当に一緒に住んでるんだ。」


 あの日、いつも通り玄関で俺を待っていた比呂美の視線は、俺の後に続いて玄関から出てきた万理亜に向けられた。


「上総さん。おはようございます。」

「……行こう、明太郎。」


 挨拶をした万理亜を無視して、比呂美は俺の腕を引っ張った。

 通学路。万理亜は、並んで歩く俺と比呂美の少し後ろをついてくる。

 学校に着くまで比呂美は、万理亜がいないかのように俺とだけ話をした。


          *


「なあ、比呂美。千葉さんのこと無視してるよな?」

「……何、急に。」


 俺は比呂美に聞きたかったことを切り出した。

 比呂美は俺の質問に答えずに、オレンジジュースを一口飲んだ。


「赤い糸のことはスーパーAIのせいで、千葉さんは悪くないだろ。」

「……明太郎には関係ないよ。」

「関係ない?」

「どうして明太郎は、千葉さんのこと気にかけるの?」


 問い詰める顔で比呂美が俺を見た。

 俺の脳裏には、比呂美に嫌われたかもしれないと困った顔で言った万理亜の姿が浮かんでいた。


          *


 昨日の夜、俺は部屋で万理亜と比呂美のことを考えていた。

 比呂美が万理亜を無視している。俺はそれがショックだった。

 俺の知っている比呂美は明るくて、誰とでも仲良くなれる女の子のはずだ。

 二人の関係がこのままで良いわけがない。

 あれから何度かスマホに呼びかけているが、スーパーAIの反応は無い。

 俺はスマホの画面とにらみ合った。

 どれくらいの時間が経ったか……。


 コンコン!


 停滞したような空気に満ちた俺の部屋に、ノックする音が響く。


「万理亜です。明太郎さん、よろしいでしょうか?」

「……どうしたんだ?」


 俺はドアを開けた。

 ドアの外にはパジャマ姿の万理亜がいた。


「中に入れてもらっても?」

「いや、それは……。」

「上総さんのことで相談したいんです。」

「……わかったよ。」


 万理亜の顔は元気がなかった。

 その原因に負い目のあった俺は、万理亜の相談を断れなかった。

 万理亜は部屋の中に入ると、俺のベッドに座った。

 ん……?

 万理亜が来ているパジャマは薄手の生地で、胸の形がくっきりわかった。

 この子、またノーブラじゃないか!

 男の部屋に入るのに、なんで無警戒なんだよ!


「明太郎さん。」

「な、なに?」


 俺は自分の視線を咎められたのかと思って一瞬焦った。


「私、上総さんとも仲良くなりたいです。これも縁ですから。」

「……縁。」

「でも、上総さんに嫌われてしまいました。私が赤い糸を解消したくないと言ったからですね……。」


 万理亜が困った顔をして言った。

 自分にはどうすることもできず、もう笑うしかないといった顔だった。


「比呂美が万理亜さんを嫌ってるって……。それは違う! ……と思う。比呂美はこんなことで人を嫌う子じゃない。今はきっと、どう接したらいいかわからなくて混乱してるだけなんだよ……。」


 そうであって欲しいと俺は願っていた。


「明太郎さんは上総さんのこと、よくわかってるんですね。」

「……ずっと一緒にいたからな。」

「いいですね、そういう関係。」


 万理亜が微笑む。

 儚げで、まるで今ここで風が吹けば消えてしまう蝋燭の火のような微笑みだったが。

 きっと、赤い糸のことさえなければ、万理亜と比呂美は普通に友達になれていたと思う。

 赤い糸さえなければ……。


「あのさ、どうして俺との赤い糸にこだわったんだ? 正直言って、万理亜さんは可愛いし、みんなからも好かれてる。俺じゃなくても他にいくらでもこれから出会いがあるよ。」


 俺がそう聞くと万理亜は答えた。


「私、ずっと夢見てたんです。最初に赤い糸で結ばれた運命の人と結婚するって。それがようやく叶った……。」

「え? そんな……。」


 そんな子供みたいな理由で?

 そう言おうとして俺は言葉を飲み込んだ。

 違う。万理亜は真剣だったのだ。

 真剣に赤い糸を信じて、そしてようやく結ばれた相手に会いたくて、居ても立ってもいられず、相手の家まで訪ねてきた……。


「明太郎さんは、私のことを助けてくれました。ああ、運命は本当だったんだって。私、浮かれてました。最高の縁に巡り会えたのだと。」


 万理亜がうつむいて首を横に振る。


「でも……、それで誰かを傷つけるなんて思わなかったんです。」


 万理亜は悲痛な面持ちで言った。


「私、上総さんが傷つくのなら赤い糸は辞退します。」


 辞退だなんて。何もそこまで思い詰めなくても……。

 いや、引き留めてどうするんだよ俺。

 それで全て解決するじゃないか。

 少しの沈黙の後、万理亜はお邪魔してごめんなさいと言って俺に頭を下げ、自分の部屋に戻っていった。


          *


「千葉さんは可愛いもんね。一緒に住んで楽しいでしょ?」

「急に何、言ってるんだよ? 比呂美。」

「私だってわかんないよ!」

「どうしたんだよ? お前らしくないよ。」

「私らしく?」

「そうだよ。俺の知ってる比呂美は、どんな関係だろうと千葉さんを無視したりしない。仲良くなろうとするはずだ!」

「……!」


 比呂美は少し考え込んで、空になったオレンジジュースの容器をゴミ箱に捨てた。

 比呂美は空を見上げて言った。


「……私らしくない、か。……ありがとう明太郎。私、千葉さんと話してみる。」


          *


 クラスは騒然としていた。

 万理亜が急に立ち上がって伊東を見据えたかと思うと、万理亜は深々と伊東に頭を下げた。


「私と明太郎さんの赤い糸は……間違いで……、私たちは本当に付き合っていません。……もう話題にしないでいただけますか? 迷惑をかけてしまう人がいるんです。」


 俺にはその万理亜の姿をただ見ていることしか出来なかった……。


「伊東君、サイテー!」


 次第に、クラスの女子たちから伊東に対する非難の声が上がり始めた。


「わ、悪かったよ。謝るよ。だから頭をあげてくれ。」


 伊東は頭を下げてお願いし続ける万理亜に謝ると、すごすごと自分の席に戻っていった。



 次に万理亜は、比呂美のところに行って言った。


「上総さん、ごめんなさい。私のせいで傷つけてしまって。だから私は、明太郎さんとの赤い糸を辞退することにしました。」


 万理亜が再び比呂美に頭を下げた。

 万理亜の目は潤んでいて声は震えていた……。


「……待って、違うの、千葉さん!」

「え?」


 比呂美が、俺と万理亜の手を引っ張って教室を出た。

 もうすぐ次の授業が始まる。

 比呂美は俺たちを誰もいないところまで連れてくると言った。


「私ね、自信がなかったの……。明太郎と赤い糸になれたのに本当にこれでよかったのか。恐かったの。明太郎を千葉さんに取られちゃうんじゃないかって。」

「上総さん。」

「わかってるの。千葉さん良い子だもん。だから余計に苦しかったの。どんどん自分が惨めに思えてきちゃって。」

「比呂美……。」

「でも、明太郎の言うとおりだった。逃げてるだけだった。ちゃんと二人に向き合ってなかった。こんなの私らしくなかった。」


 比呂美は万理亜と正面から向き合って言った。


「だから千葉さん。逃げたらダメだからね。私、千葉さんに勝たなきゃ。今こんな気持ちで明太郎と付き合っても、私のせいでダメになっちゃうと思う。」


 万理亜の目に精気が宿り、湧き上がるような喜びの表情に変わっていく。


「それでは、上総さん。私のことを友達……いいえ、ライバルだと思ってくださるんですね!」

「……え、うん。ライバルかな?」


 万理亜が比呂美の手を取って言った。


「嬉しいです、上総さん。上総さんの気持ち、わかりました。私のことは万理亜と呼び捨てにしてください。」

「じゃあ、万理亜……。私のことも名前で呼んでいいよ。」

「比呂美さん!」


 万理亜が嬉しそうに俺を見て言った。


「そういうことなので明太郎さん、赤い糸辞退は取り消します。これからもお願いします!」

「え!?」


 どさくさに紛れて、万理亜が俺に抱きつこうとする。

 それを比呂美が慌てて止めた。


「ちょっと待って万理亜! 明太郎との赤い糸は私の物だからね!」

「わかってます。勝負ですね!」


 二人はどこかスッキリした顔をしている。

 いや、待てよ?


「待てよ、比呂美。勝負って、俺の気持ちは無視なのか?」

「ううん、明太郎! ちゃんと私を選んでってこと!」

「明太郎さん! 私、振り向かせてみせますから!」

「こら、万理亜!」


 どちらかを選べと言われたら、俺は比呂美を選ぶ……。

 違うのか?

 俺は俺の気持ちがわからなくなった。

 万理亜と比呂美は戯れるようにして笑い合っていた。

 やっと取り戻した笑顔。

 俺は今、目の前の二人のどちらかが悲しむことになるのなら、この曖昧な関係がずっと続けばいいと思っていた……。

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