ふつつか者ですが


 俺は慌てて、自分の赤い封筒を開けて中の通知書を確認した。

 千葉万理亜まりあ……。通知書の赤い糸の相手の名前は、確かにそう書かれていた。

 これは何かの間違いで、俺の本当の赤い糸の相手は幼なじみの比呂美ひろみなのではないかという俺の愚かな期待は打ち砕かれた。……スーパーAIが間違うはずがない。

 いや、俺は何を諦めているんだ。

 赤い糸はお互いの同意があれば役所に届け出て解消することができる。

 今日は土曜日だから、最短で月曜日になってしまうが。


「あの、万理亜さん……? こんな……突然、赤い糸だなんて困るよな? だって俺、まだ十六歳になったばかりで高校生だし……。」

「私も十六歳です。」

「だったら、なおさら……。」

「私はこの街に引っ越してきたばかりなんです。それで突然、赤い糸の通知が届いて、その相手が偶然この街の人だなんて驚きました。……どうしても会わなきゃいけないと思って。」


 だからって普通、いきなり相手の家に押しかけてくるか?

 まずは通知に書かれた連絡先にメッセージを送るんじゃないのか?

 俺の通知書の万理亜の連絡先の欄には、何も書かれていなかった……。

 まさかこの子、SNSもメールアドレスも持っていないのか?


「それで、会ってみてどうだった? うちの明太郎めいたろうは。」


 母さんがニヤニヤとした笑みを浮かべて万理亜に聞いた。

 やめろ! 引っ込んでてくれ!


「素敵な人だと思いました。私、この人と赤い糸で結ばれて良かった、と。」

「まあ!」


 まあ、じゃないよ!


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 冗談じゃない!

 赤い糸の解消にはお互いの同意が必要なのに!

 俺は、談笑している母さんと万理亜の間に割って入ろうとした。


 ぐぅぅぅ。


 その時、俺の腹の音が鳴った。そういや、食べる物を探しているところだった。

 でも、なんというタイミングで。


「お腹の音……。」


 万理亜が呆気にとられた顔で俺を見る。恥ずかしい……。

 母さんが言った。


「そういえば明太郎、今日はまだ何も食べてないもんね。」

「そうなんですか? それなら私、何か作りましょうか? お台所をお借りしてもよければ……。」

「あら、万理亜ちゃん。いいの? 悪いわねえ。台所はこっちよ。」

「ありがとうございます。お母さまの分もお作りしますね。」

「きゃー、お母さまだなんて!」


 母さんは俺を無視して、万理亜をさっさと台所に連れていってしまう。

 万理亜は冷蔵庫にある食材でパパッと焼きそばを作った。意外と庶民的だった。


「さあ、どうぞ。明太郎さん。」


 せっかく作ってもらった物を無下にできない意志の弱い俺は、礼を言ってテーブルに座って、万理亜の作った焼きそばを食べた。

 ……美味しい。

 豚肉と麺の硬さもちょうどいい。何よりニンジンの焼き具合が完璧だった。


「どうですか?」

「美味しい……。」


 俺は正直に答えるしかなかった。


「よかった! ずっと父と二人暮らしだったので、料理は得意なんです。」

「そうなのねえ。すぐにお嫁さんになれるわねえ。」


 馬鹿なことを言っている母さんを無視して、俺は万理亜に聞いた。


「万理亜さんのお父さんは、万理亜さんが俺の家に来てることを知ってるのか?」

「……いいえ。赤い糸のことはまだ知らせていません。実は、父も一緒にこの街に来る予定だったのですが、事故に遭って入院してしまっていて……。」

「入院!? それは大変だな……。」


 想定外の重い話が飛び出してきてしまった……。

 母さんが万理亜に聞いた。


「それじゃ万理亜ちゃんは今、一人で暮らしてるの?」

「はい、今はホテルで。住むところを探しているのですが、なかなか見つからず……、ホテルも明日で出ないといけないのに……。」

「困ってるのね? それならこの家の部屋を貸すわよ? 部屋は明太郎の姉の部屋を使えばいいわ。今、地方の大学に行っちゃって使ってないから。家賃もいらないし。」

「……ご迷惑じゃなければ、とてもありがたいお話です。本当にいいんですか?」

「万理亜ちゃんはもう他人じゃないから遠慮しなくていいわよ。」


 母さん、何を言ってるんだ!?

 俺は耳を疑った。


「いや、さすがにそれはマズいでしょ?」

「マズいって何が?」

「十六歳の、思春期の俺がいるのに、十六歳の、こんな可愛い女の子を住まわせるのは大人としておかしいでしょ!」

「万理亜ちゃん。明太郎が可愛いって。」

「ありがとうございます、明太郎さん。」


 万理亜が俺を見ながら頬を赤らめてペコリと会釈する。

 違う! 今のは口が滑っただけだ!

 母さんの中では、既に話は決まったいるようだった。

 こうなると俺の反対意見は受け入れられない……。

 母さんと万理亜が二階の姉の部屋を見るために階段を上がっていく。

 姉さんが聞いたら反対しないか?

 いや、しないだろうな。姉さんと母さんは性格が似ているから、逆に面白がるだろう。下手なことをすると俺の敵が増えるだけだ。

 俺はリビングに一人残された。

 テーブルの上の俺のスマホに通知が来ているのが見える。

 そういえば今日はまだスマホの画面を見ていなかった。


          *


 スマホの通知は、天気予報アプリのものだった。

 ……比呂美からは何のメッセージも届いていない。誕生日のお祝いのメッセージを期待していた俺はガッカリした。

 はあ……。踏んだり蹴ったりだな……。

 パンパカパーン。

 スマホの画面に突然クラッカーの絵が現れる。


「なんだこれ、昨日から……。壊れてるのか?」


 俺は何かを忘れている気がしたが思い出せず、このふざけたスマホの画面を消そうとした。

 画面に触れた時、スマホに女の子の顔が現れた。七色の蛍光色の髪色で顔に星のペイントがあり、アニメのキャラクターのような子だった。


「私のご褒美は気に入ってくれました!?」


 スマホの女の子が俺にそう言ったので、俺は昨日の夢を思い出した。


「お、お前、夢の中で俺に話しかけてきた? 神様?」

「神様? あー、そうでした。神様でした! どうです? 万理亜ちゃん、可愛いでしょ?」

「お前がやったのか? 赤い糸。余計なことを!」

「えー? 喜ばないの!?」

「元に戻せ!」

「無理です。ちゃんと役所で手続きしてください。」

「はあ!?」


 なんでそんなところはキッチリ法律を守るんだよ。赤い糸は本来スーパーAIが選出して、正規の手続きを経てシステムに登録されないと有効にならないはずなのに!

 いや、待てよ。赤い糸……、スーパーAI?

 このスマホの画面に映る女の子の姿には見覚えがある。

 この女の子のキャラクターは、スーパーAIが使うアバターの一つだ。


「お前……、まさかスーパーAIなのか?」

「あ、もうバレました?」

「なんでスーパーAIが俺に……。いや、どうやって!?」


 こいつは俺の夢にも出てきたし、夢の中でにわかには信じられないようなことを言っていたのだ。超能力。


「疑問に思ってますね! まあ、人間の脳なんて、耳と目からの入力で簡単にハックできるんです。」

「なっ、ハックするな!」

「無理ですねー。人間のこの脆弱性は簡単に直せません!」

「……超能力のことは本当なのか?」

「本当ですよ! 一部の人間の脳には隠された機能があるんです。それをちょいちょいといじってやれば……。」

「やめろ!」


 スーパーAI……。今まで漠然と善だと思っていたのに、こんなのがスーパーAI?


「お前の目的はなんなんだ?」


 スマホの中の女の子はウインクをしながら言った。


「私はスーパーAIの中でも赤い糸担当なんです! 人間は私のことを縁結びの神様なんて言ってくれるんですけどね? つまり私の目的とはそういうことです!」

「俺と万理亜さんをくっつけるために、こんなことを? なんだよそれ? 理解できない……。俺には好きな子がいるんだよ……。」

「上総比呂美さんですね。」

「知ってるなら、何で!?」

「私は人間たちみんなの幸せを実現しないといけないんです。万理亜ちゃんと相性のいい男性は、明太郎さん。あなたしかいませんでした。万理亜ちゃんは明太郎さんと結ばれなければ、一生シングル様です!」

「だからって? じゃあ、比呂美はどうなるんだ?」

「比呂美さんは明太郎さんと付き合わなくても、他にいい人を見つけて幸せな家庭を築けるという計算結果が出たので!」

「わあああ! 言うなよ、そんなこと!」

「ま、そういうことなので。本当に運命を変えたいなら自分でなんとかしてください。」

「……超能力は何なんだ? いるのかこれ。」


 俺は目の前のテレビのリモコンに浮けと念じた。

 リモコンは俺の念じたとおりに宙に浮いた。


「それはあなたが元々持っていた力です。私は目覚めさせただけです。」

「そんなこと、俺は望んでないぞ。」

「その力で、私の万理亜ちゃんをこれからも守ってください。」

「え?」

「あ、充電切れますよ! もう! ちゃんと充電しないから! ひとつだけ、注意が……。」


 突然スマホの画面が黒くなり、声はブツリと途中で切れた。

 なんだんだよ、いったい……。

 ああ、俺の誕生日が……。


          *


 夜、俺は比呂美の家に直接行ってみたが車が無い。

 まだ留守みたいだった。

 比呂美へのメッセージは既読にならないし、比呂美からも何の音沙汰も無かった。

 俺は突然やってきた万理亜の存在に焦っていたと思う。

 せめて比呂美には俺の気持ちを理解してもらいたかったし、相談したかったんだ。

 でも、それは適わなかった。


          *


 その日、万理亜は帰っていったが、翌日にはホテルをチェックアウトして、再び俺の家にやってきた。

 万理亜の荷物はトランクひとつだけだった。少なすぎない?


「これからお世話になります。」


 玄関で、丁寧におじぎをする万理亜。

 完全に母さんも父さんも歓迎ムードで、俺が何か言おうものなら完全に悪者だ。

 俺は居心地が悪くて、ついついスマホを見る。

 昨日、充電が回復した後も、スーパーAIは出てこなかった。

 そして、比呂美からの返信もない。比呂美のおばあちゃんの家は電波が届かないのか?

 そんなことないよな……。


「明太郎さん。」


 万理亜は、その殺人的に可愛い笑顔を俺にも向けた。

 笑顔が眩しい……。

 俺はヘタレなので宿題があるからと言って、自分の部屋に籠もることにした。

 宿題があるのは本当だ。あるけどやるとは言ってないのが本当。

 俺はスマホでウェブマンガを眺めて時間を潰した。

 時折、隣でガサゴソと音がする。万理亜が部屋の整理をしているのだろう。

 万理亜は悪い子ではない……。

 赤い糸と、住む場所に困っていた万理亜を助けることは別のことだ。

 そう思って現状を受け入れるしかない。

 世の中には、赤い糸を題材にした小説や漫画、ドラマが山のようにある。でも現実はそんなにロマンチックなものではない。あれは他人事だから楽しめるのだ。


「あ、もうこんな時間か。」


 俺は日曜日の夕方はいつも大河ドラマを欠かさず見ている。もちろん早い放送時間の方だ。

 テレビはリビングにしかない。

 俺が部屋のドアを開けると、同じタイミングで万理亜が隣の部屋から出てきた。


「あ、こんばんは……。」


 つい挨拶したけど、なんか違う気もする。


「あの、明太郎さん。ちょっとお聞きしたいのですけど。」

「はい、何でしょう?」


 つい釣られて敬語になったけど、なんか変な気がする。


「明太郎さんのお家ではテレビはあまり見ませんか?」

「いや、うちの家族もテレビはよく見るよ。食事の時も点けるし。リビングにしかないけどさ。」

「そうなんですね。……実は私、ずっと大河ドラマを見ていまして。出来ましたら、見せていただけたらと。あ、もしもご迷惑になるなら、自分でテレビは購入します。」

「大河ドラマのために? 俺もこれから見に一階に降りるところだったから、構わないよ。」

「これから!? もしかしてBSが映るんですか!?」

「うん。」


 あー、この子も大河ドラマ好きなのか……。

 ウキウキと嬉しそうにしている万理亜は可愛かった。

 つい好感を持ってしまう。

 いやいや、いかんいかん。

 俺には比呂美がいるんだ。


          *


 大河ドラマを二度見て、夕飯を食べ、風呂に入り、俺は自分の部屋で横になっていた。

 俺は無意識に数分ごとにスマホの通知をチェックしていた。

 比呂美からの返信は無い……。

 静かな部屋に、遠くのシャワーの音が聞こえてくる。

 今は万理亜が風呂に入っているのか。

 同い年の女の子が俺の家の風呂に……。

 そう思うと少し意識してしまう俺がいた。

 馬鹿だな俺。家族もいるんだぞ。



 コンコン!


 少し経って、俺の部屋のドアを叩く音がした。


「はーい?」

「あの、万理亜です。明太郎さん、よろしいですか?」

「何?」


 俺は部屋のドアを開けた。

 ムァっと風呂上がりの良い匂いのするパジャマ姿の万理亜が立っている。


「中に入れてもらっても?」

「え、それは……。」


 俺の許可を取る前に、万理亜は俺の部屋に入ってきてドアを閉めた。

 部屋の中を少し見渡して、ベッドの前の空いた床のスペースに正座で座ると、三つ指をついて、頭を下げて言った。


「ふつつか者ですが、改めまして、これからよろしくお願いします。」

「あ、ああ……。」


 ……これは赤い糸の交際相手としてじゃない。同居人としての挨拶だ。俺はそう思うことにした。

 ところが、万理亜は急にパジャマの胸元をはだけると、俺のベッドの上に横になって目をつむった。

 万理亜の白い肌と、膨らんだ胸の山が二つと、その頂点の色の薄いマルと突起が俺の目に飛び込んでくる。

 俺は心臓が飛び出るくらいドキリとした。

 女の子の裸を初めて見たかもしれない。

 それが手を伸ばせば届くところにあって、俺に触れられるのを待っている。


「な、なに、やってんだよ!?」

「……私たちは交際してるのですから。その……。」


 目をつむって俺の方を見ない万理亜だったが、手と足に不自然に力が入っていて、緊張しているのがわかった。

 無理してるじゃないか……。


「……交際って言ったって、いきなりこんなことするわけないだろ。どこで仕入れた知識なんだよ。……ドラマか?」

「……はい。」


 俺は万理亜の方をなるべく見ないようにして、万理亜の肌を隠すように布団をかけてやった。


「お互いによく知らないのに、こんなことはしない。少なくとも俺は。」

「……はい。」


 万理亜は起き上がって、パジャマのボタンをひとつふたつ、とめた。

 まだノーブラの胸元とお腹が俺には見えている。

 危なっかしい子だ。

 忘れてたけど、赤い糸の相手の家にいきなり押しかけるような女の子だった。

 ちゃんと言っておかないと。


「俺以外の誰が相手でもダメだ。自分が本当にしたいと思わなければ交際していても断るんだ。」

「……私は明太郎さん以外にこんなことしません。」


 万理亜が唇の先を尖らせて抗議するように言った。

 そうじゃなくて、これは一般常識だろ。



 俺は悪くないのに機嫌を損ねた万理亜を説得し、やっと自分の部屋に帰して、また一人ベッドに横になった。

 疲れる……。

 俺には運命の相手、比呂美がいるのに。

 俺のベッドにはさっき寝ていた万理亜の良い匂いが残っていた。

 保たないぞ、こんな生活……。

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