神様の縁結び

赤い糸

 パンパカパーン。ベットの横に置いた俺のスマホから、朝の目覚ましアラームの代わりに妙なファンファーレが鳴っている。

 俺——三浦明太郎めいたろうはそのスマホから鳴るファンファーレと、窓から差し込む朝日に起こされ目が覚めた。

 誰だよ、目覚ましアラームの音を変えた奴は……。

 俺はスマホの画面の日付と時計の時間を確認した。

 時計の時間はいつものアラームの時間よりも三十分早い。


「なんだ? まだ寝られたじゃないか……。」


 今日は平日。学校はあるが、俺は二度寝をするため、スマホを置いて目をつむった。

 あ……、まずい……。

 ベッドの端に置いてしまったスマホが滑り落ちそうになっている感じが、布団越しに伝わってくる。

 落として画面を割ってしまったら台無しだ……。

 明日は俺にとって、とても重要な……。

 俺は眠い頭で、手探りに落ちそうになっているスマホを救出しようとした。

 しかし、俺の指は運悪くスマホを押し出してしまい、スマホはベッドから床へダイブしていく。慌てて伸ばした俺の手は空を掴む。

 ダメだ! 落ちるな!

 俺は心臓に響くようなスマホの落下音を覚悟した。

 ……いや、音がしない。

 スマホは落ちなかった?

 俺はスマホの状態を確認するために起きて床を確認する。

 スマホは床の上には無い。

 スマホは俺の目線の高さに浮かんでいる……。


「俺、まだ寝ぼけているのかな?」


 宙に浮いたスマホは俺の目の前でクルクルと回転すると、その画面に何かを祝うクラッカーの絵を映した。

 ……いや、俺の誕生日は明日なんだよ。今日じゃない。

 俺が晴れて十六歳になるのは明日なんだ。


          *


 この国には赤い糸がある。

 赤い糸は国が定めた制度で、スーパーAIが相性の良い人間同士を選出して縁を結ぶというシステムだ。

 もちろん、交際相手は自分で好きに選んでもいい。その場合は赤い糸を役所に届け出る必要がある。

 その赤い糸制度の対象になるのが十六歳。

 十六歳未満は交際同意年齢に達していないので恋愛を禁止されている。



 俺には密かに好きな女の子がいた。

 幼なじみの上総比呂美ひろみだ。

 十六歳になったら、比呂美に赤い糸を申し込む。

 俺はそう決めていた。

 国に運命の相手を決められるだって?

 そんなの俺は受け入れられない。

 運命の相手は自分の心に従って選ぶものだと俺は信じている。

 それは比呂美だ。

 俺たちは幼いあの日、結婚を誓いあった。

 あの日感じた運命を俺は忘れていない。

 一足先に十六歳になっていた比呂美だが、まだ誰とも赤い糸を登録していないと本人から聞いた。


「あー、せっかく十六歳になったのに、なんでスーパーAIは私の彼氏を見つけてくれないのかなー?」

「スーパーAIにだって不可能はあるさ。」

「明太郎! そんなこと言って、私が一生独身だったらどうしてくれるの?」

「……その時は、俺が。」

 俺は、比呂美に聞こえないようにぼそりと言った。

「え? なんか言った?」

「なんでもねーよ!」


 一生独身? 自虐気味にそう言って笑った比呂美を、俺は複雑な気持ちで眺めた。

 俺がいるだろと言いたかった。

 でも、交際同意年齢に達していない俺がそんなことを言ったら、十六歳になっていた比呂美は罪に問われてしまう。

 俺は比呂美を他の誰かにとられるなんて絶対に嫌だ。

 あと一日で俺も十六歳になる。

 あの約束を叶えられる時がくる。

 ようやくその時が来る。


          *


 俺は母さんが作ってくれた朝食を食べ終えて、学校の支度をして玄関を出た。


「よっ! 明太郎! 寝ぼすけだね!」


 俺の家の前で待っていてくれていた比呂美が、俺の顔を見て開口一番にそう言った。

 今日の比呂美は、茶色がかったロングの髪を軽く首元で束ねていた。白い制服が眩しい。そうか、今日から夏服でもいいんだった。


「なんだよ、いつも通りだろ?」

「いつまでも待たせないでよ、ってこと!」

「……そんなに待たせるつもりはないよ。」

「んー?」


 学校へ向かういつもの道を歩く俺と比呂美。

 比呂美が俺の顔を覗き込んだ。

 俺は少し照れてしまって横を向いた。

 比呂美はいつも俺の顔を見て話す。

 比呂美の顔が近い……。


「あ、そういえば、このスマホ見てくれよ。今朝さ……。」


 俺は話題を変えようと、今朝のスマホ浮遊事件について話そうとした。

 ボーン! ところが、突然俺の後頭部に何かが飛んできてぶつかり、俺は余りの痛さにその場でしゃがみこんだ。

 俺の視界の隅に、勢いよく跳ねたサッカーボールが見えた。俺の頭を強打したのはあいつだ。


「明太郎、何やってんの!?」


 比呂美は俺を心配そうに見てから、転がったサッカーボールを拾う。

 比呂美の短いスカートがひらりと揺れて、中身が覗けてしまった俺は慌てて目を伏せた。水色……。いや、これは不可抗力だろ。

 ようやく立ち上がれた俺に、比呂美は拾ったサッカーボールを手渡した。


「くそー。どこから飛んできたんだ? このサッカーボール。」

「もう、ドジなんだから。」


 ドジって、俺のせいじゃねーよ。


「それより、明太郎。明日なんだけどさ。」

「明日……。」


 明日は俺の誕生日だ。

 俺にとっては運命の日だ。

 しかし、土曜日なのだ。

 比呂美に明日会う約束を取り付けなければと思っていた。

 比呂美から話題にしてくれるなんて、もしかして比呂美も……。


「そうだった。比呂美、明日さ……。」

「ごめん、明太郎! 私、明日は家族でおばあちゃんのお見舞いにいかなきゃいけないの! 明日、明太郎の誕生日だってわかってるけど、お祝いできなくて。」

「あ……、そうなのか。」

「今……何か言おうとした?」

「いや、なんでもないよ。おばあちゃん、具合悪いのか?」

「ううん、突然のことでまだわからなくて。検査の結果待ち。」

「悪くなければいいな。」

「うん。」


 しょうがない。俺の誕生日よりも、比呂美のおばあちゃんの方が大事だ……。

 比呂美はあの約束を憶えてくれているのだろうか?

 俺一人の勝手な思い込みだったのでは……。

 俺は急に怖くなって、比呂美に言い出すことができなくなっていた。



 まだ恋も知らない小さい頃にした約束だった。

 もしかしたら比呂美はそんな小さな約束は憶えていないかもしれないけれど、俺はその約束を叶えたかった……。

 運命だと思っていたからだ。

 でも、別に、今じゃなくてもいいか……。

 俺が比呂美を運命の相手だと信じていることは変わらない。

 いつかこの気持ちを比呂美に伝えることができれば……。

 しかし……。

 俺は一生の決意を挫かれたような気がした。

 なんだか力が抜けてしまったようだった。


          *


 放課後、俺は一人で駅の北口から続く寂れた商店街を歩いていた。

 比呂美はバドミントン部。

 俺は帰宅部。

 これは寄り道だ。

 いつも学校帰りに立ち寄る駅前のファーストフード店は、運悪く臨時休業だった。

 この道の先に、俺たちが昔よく遊んでいた公園がある。

 真っ直ぐ家に帰る気にならなかった俺は、懐かしい公園のベンチに座って、風でギィギィと揺れるブランコを眺めた。

 今日の授業は全然頭に入ってこなかった。

 俺はずっと放心していた。

 そりゃそうだ。何年も待ち望んでいた明日の予定が急に白紙になったのだ……。

 小さな公園は俺の他に誰もいない。


 ワンワン、ワンワン!


 いや、いたみたいだ。

 犬かな?


「やめてください!」


 そして女の子の声。

 飼い主かな?

 それにしても、物騒な言葉が聞こえてきたじゃないか。

 俺はさすがに気になって女の子の声がした方を見た。

 何やら身を強ばらせて怖がっている女の子と、女の子の方に向かって吠え続けている犬の姿があった。犬は首輪をしていない。

 なるほどね、女の子はあの犬に怯えていたわけだ。

 女の子は黒髪ストレートで、あまり屋外では遊ばないタイプに見えた。美少女と言ってもいい。青いスカートがよく似合うと思った。

 犬を追い払うくらいなら、俺にだって出来るだろう。


「おい、こら!」


 俺は犬を威嚇するように叫びながら、青いスカートの美少女の方に近寄っていった。

 美少女が俺の方を見て、目が合う。


「た、助けてください!」


 美少女が俺の方に走り寄ってくる。

 そうそう、そうやって犬から離れて……。

 んん?

 美少女の後ろを追いかけてくるこのオッサンはいったい?


「お前は何だ!?」


 オッサンが叫ぶ。

 オッサンの手には物差しくらいの長さの刃物が握られていた。


「は?」


 俺に駆け寄ってくる美少女と、犬と、オッサン。


「ちょ、ちょっとストップ!」


 俺は両手を突き出して制止しようとした。

 もちろんこんなポーズをしたところで、オッサンと犬が止まってくれるとは思っていない……。


 バーン!


 しかし、美少女まであと数歩まで迫っていたオッサンと犬は、何かに突き飛ばされたように後ろに吹っ飛んだ。

 オッサンは背中を打ったのか起き上がれないようだ。犬はどこかに走っていった。なんだかわからないけれど、助かるかもしれない!


「こっちへ!」


 美少女は自分の後ろで何が起きたのかわかっていない。

 不思議がる美少女の手を取って、俺は公園から商店街の方へ走った。



 しばらく走って、オッサンが追ってきていないことを確認すると、俺は美少女に言った。


「あっちに交番があるから、警察に何があったか言うんだ。」

「ありがとうございます。あなたは?」

「俺は……、用事があるから出来ればすぐに帰りたい。」


 用事があるのは嘘だ。でも、帰りたいのは本当。

 何故だか、さっきからすごい頭痛がしている。


「そうですか……。わかりました。助けてもらいましたし、警察には私一人で行きます。」


 青いスカートで黒髪ストレートの美少女は、じっと俺の方を見たあと、何度か振り返って頭を下げつつ、交番の方へ歩いて行った。

 名前を聞かなかったけど、まあ、いいか。その程度の縁だ。



 俺は家に帰ると、そのまま制服から着替えもせずに自室のベッドに突っ伏した。

 頭が痛い。

 このまま寝てしまおう。

 俺は枕に沈み込むように眠った。


          *


 パンパカパーン。眠っている俺の頭の中でファンファーレが鳴り響く。


「今日のあなたの活躍! しかと見届けましたよ!」


 明るい感じの声が、俺の頭の中だけで聞こえる。


「さすが私の見込み通り! これからも期待してますからね!」


 声の主の姿はわからない。

 俺の目は開かなくて、身体も動かせない。声も出ない。

 思考だけが辛うじて声の主に問いかけられる。


「誰だ?」

「私? そうですね、私は神様とでも思ってください!」

「俺に何をしたんだ?」

「何って、ちょっと超能力を目覚めさせてあげただけです!」

「超能力?」

「そう。あなたにはやってもらわないといけないことがあるので!」

「やってもらわないといけないこと?」

「今日、あの子を助けたでしょ?」

「あれは偶然で……。」

「偶然なんて、神様の私にかかればいくらでも。」

「それはどういう?」

「まあまあ。それよりあなたにはご褒美をあげますからね! 明日、楽しみにしててくださいね!」


 ちょっと待て……。

 声の主が遠ざかっていくのを感じる。

 俺にはまだ聞きたいことがあったが、俺の意識は再び眠りの中に沈んでいったのだった……。


          *


 俺の目が覚めたのは翌日の昼だった。

 信じられないくらい眠ってしまった。

 もう今日は俺の誕生日だ。十六歳の誕生日。

 それなのに、いつもと変わらない土曜日の昼だ。


「明太郎。誕生日おめでとう。よく寝てたわね。具合悪かったの?」


 リビングにはいつも通り、母さんがいた。


「ああ、昨日は少し頭痛が。……お腹すいたんだけど、朝ご飯は?」

「え? 食べる? もう片付けちゃったわ。」


 そんなー。何か朝食になるものは無いのか。いや、もう昼食か。

 俺は冷蔵庫の中を物色した。


「そういえば、これ届いてたわよ。」


 母さんが俺にそれを手渡して言った。


「……封筒?」


 赤い封筒……。

 赤い糸制度の封筒だ……。


「……なんで!?」


 いや、頭ではわかっている。

 十六歳になったら赤い糸制度の対象になる。

 国が勝手に知らない誰かと縁を結んで、その通知が届けられる。

 でも俺は今日十六歳になったばかりなのに!


「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないの。私とお父さんもそれで結ばれたのよ。」


 母さんはわかってない!

 俺には運命を信じている女の子がいるんだ!

 そうだ、解消……!

 国に登録された赤い糸でも、役所で手続きをすれば解消できるはずだ。

 一刻も早く相手に会って、解消に同意をしてもらって、手続きを……。



 ピンポーン!


 俺が赤い封筒を開ける前に、玄関のチャイムが来客を告げた。

 母さんが玄関のドアを開けに向かう。


「あらあら、そうなの? いらっしゃい、どうぞ入って。」

「はい、お邪魔します。」


 母さんと、誰か若い女性の声が聞こえてくる。

 俺は嫌な予感がした。

 俺がいるリビングに、母さんと一緒に入ってきたのは、昨日助けたあの黒髪ストレートの美少女だった。


「あ、あなたは! そうですか、あなたが三浦明太郎さん。……縁がありますね。」

「……どうして、君が俺の家に?」

「申し遅れました。私、千葉万理亜まりあと言います。今日、あなたと赤い糸で結ばれました。これからよろしくお願いいたします。」


 万理亜は、俺に聖女のような微笑みを作ってそう言った。

 万理亜の手には、俺の元に届いたのと同じく赤い封筒が握られていた。

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