第62話 ハルトの夢
車は相変わらずの景色の中を進んでいた。坂道を登ったり、降りたりしながら時折遠くに海が見える。車内からガラス越しにその景色を眺めながらハルトの父はこれからの事を考えていた。
ハルトに会って何を言ってやるべきか、俺はハルトにどうあって欲しいのか。伝えるべき言葉を選んでいた。取るべき行動を迷っていた。人を想うことは自然に出来る。しかし、想いを伝えるには努力がいる。只想っているだけでは時間の激流に押し流されてしまう。想いを伝えるためには物理的に距離を縮めなくてはならない。自らの足で歩き、対象に近づいて言葉にしなくてはならない。
今ハルトに想いを伝える為には、心の距離を縮める為には悠長に歩いてなどいられない。走っていって掴まないと二度と近づけない処へハルトは行ってしまう気がした。けれど、何をしてやれば良いのだろうか?何を言ってやれば良いのだろうか?
思慮に没頭していると前方でおじさん、おじさんと数度、呼ぶ声がしたので顔を向けた。
ヒカルが後部座席に体を向けている。
「おじさんやっと気づいた。おじさんさぁハルトに会ったら何て言うの?」
「ばか!ヒカル、今それを考えてますって顔で外を見てたじゃない。邪魔をするんじゃない。あんたは本当に空気が読めないわね」
ストレートなヒカルの質問にハルトの父は困惑した。今正にそれを考えていたところだ。私はハルトに何を言ってやれば良いのだろうか?私が伝えたいことは何だろうか?苦しんでいるハルトをどうすれば救えるのだろうか?私は今更ハルトを責める気はない。むしろ責められるべきは私で、許しを請わなければならないのも自分の方だと思っている。私もユキもハルトに罰など望んでいないのだから他の誰からもハルトが責められる必要も無いし、ハルトを責める権利も無い。それをハルトの友に問うてみた。
「君たちはハルトの人格に直すべき点はあると思うかい?ハルトはこれから罪を償うべきだと思うかい?」
ソウゴが車外に向けていた顔をゆっくりとハルトの父に向けた。
「ハルトは何時も自分自身に罰を与えながら生きてましたよ。バカを言って笑っている時だって、どこか楽しんではいけないって、淋しい表情をするときが有った。今だって定職に就かずに正月だって言うのにバイトして、まるで世を捨てた様に社会から距離を置いている。それでも周りに悟られて余計な気を使わせないように口では前向きで、明るく振る舞っている」
ミズキもヒカルも口を挟まない。敢えて今ソウゴが語る内容を三人で口にして共有したことは無かったけれど、それぞれが感じていたことだ。
「俺にはハルトが敢えて人生を楽しまないように、カスみたいな生き方を選んでいるように見えましたよ。あいつ自身が自分に罰を与えながら今日まで生きてきました。きっと家族の中で一人人生を謳歌するなんて出来ないとかバカなことを考えていたんだと思います。もちろん全てを思い出してあれだけの罪を犯していたのだから、ハルトは罪を償うべきだ」
車内の空気が一気に重くなる。ハルトの父も表情が硬い。ソウゴは続ける。
「けれど、受けるべき報いはもう十分に受けた、今のあいつに正すべき点があるとすれば、後ろ向きに送ってきた人生の生き方だけですよ、あいつが異常人格者だなんてことになるなら、この世にまともな人間なんて一人として居ない事になる」
ヒカルはうんうんと首を大きく縦に振って続けた。
「そっかぁ、私もハルトって頭も良いし、誰にでも優しいし、本気になれば何だって出来そうなのにどうして燻ぶっているのだろうって思ってた」
ミズキが言葉を継いだ。
「そうだよね、ハルトの生き方って自分だけ充実した人生や楽しい人生を送る事は許されないって思って生きていたんじゃない?サクラちゃんが死んで、お母さんが投獄されて、お父さんは生活の為に身を粉にして働いて、お婆ちゃんは残りの人生をハルトの為に使い生きている。そんな中で自分だけが人生を謳歌するような行いは、家族に対する裏切りだと思って生きていたんじゃないかな?家族はバラバラになっても何処かで共通点を持って繋がっていたかったんじゃないかな、勝手な意見だけど本当にそんな不器用な生き方を選んで生きて来たのなら、そこは直すべきだよね」
ハルトの父は三人の意見を悔悟の念に苛まれながら聞いていた。仕事に熱を持って打込み過ごした時間、やはりそれをハルトに向けるべきだったのだろうと。
過ぎた時間は取り戻せない、開いた距離は計り知れない。いったいどうするべきなのか、まったく答えが出せずに俯いていた。その頭をヒカルの質問で上げた。
「おじさんハルトの夢って知ってますか」
「ハルトの夢?」
「そうです。ハルトが抱く夢です」
ハルトの父はしばらく過去のハルトとの出来事に思い巡らせると自信無さげに言った。
「仮面ライダー・・・?」
車内に笑いが起こる。
「いやっおじさんっ!おじさんの中でハルトの成長幾つで止まっているんですか、違いますよ、家族ですよ!自分の家族を持つこと、何処にでもある普通の家族を持つことがハルトの夢なんですよ」
「家族?それがハルトの夢なのかい?」
ハルトの父は息子の平凡な夢に戸惑いを隠せない表情を浮かべている。
「そうです。家族です。前に酒呑みながら話しているときに言っていたんです。面倒見が良いけれど、少し口うるさい奥さんが居て、自分はだらしないから何時も怒られている。けれど機嫌が良いときはキッチンで子供達と踊りだす様な奥さんなんですって、子供は三人居て、一姫二太郎、小さい家だけど一軒家を建てて家族皆で狭い狭いって言いながら賑やかに暮らすんですって」
「そっか、ハルトの夢変わっていたのか」
「仮面ライダーは今流石に言わないです」
ハルトの父は短く笑うと恥ずかしそうに頭を掻いた。
「仮面ライダーは夢と言うより、憧れの時代だったね。そう言えば、ハルトが六歳位の頃だったかな、二人で散歩しているときにね、ハルトが空を飛ぶ飛行機を指差してさ、お父さんはあれに乗っていつも仕事に行くの?って聞かれてね、そうだよ何時間もあれに乗って遠い別の国に行っているんだよって答えたんだ。そしたらね、なら僕はあれの運転手になる。そしたらお父さんと何時間も一緒に居られるんでしょって言ってさ、私を見上げる目がキラキラしてた。あのときのハルトの空を映した瞳が今でも忘れられない」
「それもまた、夢じゃなくて思いつきじゃないですか?」
ヒカルの指摘にハルトの父は残念そうに寂しい表情をした。
「そっか、楽しみにしていたんだけどなぁ実は」
「ハルト可愛いかったんですね、残念がる必要は無いですよ!ハルトの夢は変わってないじゃないですか!」
ヒカルが弾んだ声で言った。
「え?仮面ライダー?」
ぼそりと言ったハルトの父の言葉に運転席から「だから違うって」とさらにぼそりと聞こえた。
「ハルトはお父さんにパイロットになりたいって伝えたかった訳じゃないですよね?お父さんと一緒に居たいって事を伝えたかったんですよ!今のハルトの夢もまた、家族全員で一緒に暮らすことなんですよ!その全員にはお父さんも、お母さんも皆が含まれているんです。皆で狭い狭い狭いって言いながら賑やかに暮らすのがハルトの昔からの変わらない夢なんですよ」
「そうか、ハルトの夢変わってないのか」
ハルトの父は嬉しそうに口角の端をあげて目頭を押さえた。
「ハルトの夢叶えてやりたいなぁ、叶えてもらいたいなぁ」
「そう言ってあげてくださいよ!夢を一緒に叶えようって、幸せになろうって、ハルトに言ってあげて下さいよ!もう十分苦しんだ、今度は幸せになる番だって」
ハルトの父は勢い良く顔を上げた。
「そうだよね!ハルトは、私の息子は幸せになって良いんだよな!幸せになるべきだよな!これから人生は幾らでも取り戻せる、よしっ、ハルトを抱きしめて言ってやるぞ!あいつを子供みたいに抱きしめてやる!嫌がったって続けてやる!ユキとサクラとお婆ちゃんの分までハルトを抱きしめてやる!今それをしてやれるのは私だけだものな、待っていろよハルト、今父さんが行くからな!運転手さん飛ばしてくれ!」
「ミズキです!」
笑いながら声を張った。
何も考えずに発言しているように見えて、ときにヒカルは真意を突くような聡明さを見せる。そのことに本人は気づいているのか、居ないのか、ミズキが脇目に伺うと無邪気な笑顔を後部座席に向けて笑っている。
ミズキは頬を上げてハンドルを握り直した。
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