第61話 八つの苦しみ
「何か一つの悟りを得たようだね」エジマは呟くように言った。
レイは同情する表情でハルトを見た。
「俺はどうすればいいんですか?どうやって償えば良いんですか、、死んでやるくらいしか思いつかない」
レイはその言葉に表情を変えた。持っていた酒を一息で空けると口を堅く結んでハルトを睨んだ。
エジマはすかさず次のカップ酒を開けてレイの前に置き、ハルトに声を掛けた。
「ハルト君仏教では人生は苦しみだと説いている。そして八つの苦しみを数えている『生・老・病・死・
ハルトは俯いたまま、首を振った。レイはそれを怖い顔で睨んでいる。
「
ハルトは首を振って答えた。
「分かりません。今までだって死ななかった理由なんて無かった」
ハルトは言い捨てる様に言葉を吐いた。
「ただ生きていただけです。今は死ぬ理由が出来たから死ぬだけです。幼かったから、忘れていたから、誰も責めないからって罰を受けなくていい理由にどれもなりません。償いの方法が他に無いのなら残った方法で償うしかないじゃないですか!」
エジマが口を開きかけたその刹那。火鉢の淵に空の酒瓶がガツンと置かれ、同時に大声が響いた。
「甘えるんじゃねぇよハルト!」
立ち上がり、上半身を屈めて両手を握ってレイが力いっぱいに言い放った。
エジマもハルトも何も口を挟めずにレイを見上げた。
レイは上半身を上げると、その場でコップに挿したストローの様にクルクルと揺れた。明らかに酔っている。
「死ねば償えるなんて簡単に考えないで!死ぬことなんて償いにならない!ただの逃げだよ。一瞬の苦しみに耐えれば無かった事に出来るなんて都合が良過ぎるよ!責苦を受けるのは残される親しい人達だよ!ハルト君だけが苦しみから解放されて、残された人達が代わりにそれを背負う。ハルト君が死を選ぶことはそれもまた新しい罪だよ!」
レイは身振り手振りを加えながらハルトに猛烈に言葉をぶつけた。
エジマはあらあらあらと楽しそうにレイを見上げながら、もう一本酒のカップを開けてレイの前に置いた。
お酒ありがとうございますと口早に言ってレイは一口立ったまま呷った。
エジマは何処からかスルメを取り出すと千切ってレイに持たせて着席した。
「あぁスルメありがとうございます。大きい声出してすいません。ハルト君、死んだらダメです。えっとちょっとゆっくり話ます」
そう言いながら恥ずかしそうにそろそろとレイは腰を下ろした。
エジマはその様子を楽しそうに見ながらハルトにもスルメを千切って投げた。
「私が死のうとした時の事を話します。ソウゴ君以外の人に話すのは初めてです。出来れば思い出したくないし、話したくないけれどそれ以上にハルト君に生きていて欲しいから話します!」
酔っているのは確かだが、決意を決めたしっかりとした口調でレイは言った。片手にはカップ酒、片手にはスルメを握り締めている。
エジマは椅子の背に体を預けて、浅く座り楽しそうにレイを眺めた。
「いいよレイちゃん、何を話すのか知らないけど、言いたくないことなら言わなくて、もう死ぬとか言わないから」
ハルトはうんざりと言う表情でレイから顔を背けた。自身の身勝手から二人に迷惑を掛け、更にはレイにまで身を削るような真似をさせようとしている自分自身にうんざりしていた。
「止めません。私はもう後悔しない生き方をするって決めたんです。私の話を今しなくて後悔したくありません」
「そうだよハルト君、人の過去を聞くのは面白いじゃないか、聞いてみようよ」
興味を示すエジマとは反対にハルトは苦痛に近い表情で床を見つめていた。
「ハルト君のためじゃなくて、自分の為に私は話します。だからハルト君も私の為を思って耳を傾けて下さい」
ハルトはその言葉に何の反応も示さなかったがレイは語り始めた。
エジマが炭を足すと、下の炭が勢い良く跳ねて赤々とした断面を晒した。
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