第60話 悟りの片鱗

「傭兵になって分かったんですか、仏教の本分は」

 ハルトもエジマと同じように窓に目をやる。ガラスの後ろに闇が広がる。ガラスには二人が映り、視線が合った。エジマは表情を緩めて言った。

「分からなかった」あけすけに言った。

「寧ろ戦場で仏教の事など考える間も無かった。日々を生きる事に精一杯で只々生きて行くだけの毎日だったね」

 ガラスには恐々とカップ酒に口を付けるレイも映っている。雀が糊を舐めるように含むと、以外と言った表情で目を大きくした。

「戦場と言う超非日常に身を置けば悟りの切っ掛けを得るかと思ったけど甘かったね」

 エジマは席を立つとさっきの倍のカップ酒を火鉢に置いた。

「悟って言うのはどういう状況なんですか?悟れば一切の苦しみから解放されるんですか?」

 エジマは眉間に皺を寄せて困った表情を作った。

「ハルト君、簡単には説明できないよ。ブッタて聞いた事あるだろ」

 ハルトは酒のカップを空けると小さく頷いた。

「日本で言う御釈迦様のこと、ブッダはサンスクリット語で悟った人と言う意味だ。そして悟った人を仏と呼ぶ、釈迦とはネパールのシャーキャ族を指す。お釈迦様ってのはシャーキャ族の聖者って意味になる。仏教ではブッタ、すなわち仏、名をゴータマ・シッダールタと言って、日本は神仏を混合して考えるから混乱するけど、イエス・キリスト同様にブッタは実在した人物なんだ。仏教では悟りの境地に達したのはブッタ只一人だとしている。ただ、仏僧は皆悟りを得る為に厳しい修行を行っている。特に臨済宗なんかは座禅修行と師との公案と言う問答によって悟りを開くんだ。インドの達磨が中国に臨済宗を伝えたと言われ、その達磨は長時間の座禅によって足が腐って無くなったそうだよ、それだけ悟ると言うことは難しい。しかも悟りとは上がりの様なものでは無くて、一度悟れば良いと言うものでもない。僧によっては生涯に大悟十数回、小悟数知れずと言う人も居るくらいだ。悩みや煩悩の数だけ悟りもまたある。けれど未だにその境地に至ったのはブッダだけだ」

 エジマはハルトに酒のカップを渡して話を続けた。

「悟とはどういう状況か、それはまた難しい質問でね、僕自身もこれは悟りだと言えるものを得たことは無いし」

 レイにも同様に酒のカップを渡す。

 何時の間にかレイも酒のカップを空けている。

 レイは申し訳なさそうにカップを受け取ると、前髪で半分隠れた上目遣いで言った。

「瞑想すると自然に考えが浮かんで、悟れるんれすかぁ?」

 顔が赤い、呂律が怪しい。

「レイちゃん、もう吞むの止めておこうか」

 エジマの伸ばした手をするりと躱してレイは酒のカップを胸に抱えた。

「酔ってまへん!」

 エジマは困った顔で本当にぃとレイを見たが、レイはうんうんと力強く頷くので引き下がった。

「瞑想と座禅は違うものなんだ、瞑想は目を瞑って世界を遮断し自分自身と向き合い、想像を巡らせる事を瞑想と言うらしい。座禅は呼吸を整える程度で目も瞑らないし、想像を巡らす事も無い。精神の安定、不安定とも無関係、座禅が修練だと狭い境地でいるうちは悟りを得られない。無心で続けたその先に言い表せない悟りがあるのだそうだ」

「その先にどんな悟りがあるんですか!」

 ハルトは縋るように聞いた。

 エジマはハルトの目を見て言った。

「何も、何も無いのだそうだよ影も形も意味も無い。無いものに執着し、虚像を掴もうとする無意味。意味の無いものに意味を与えるのは自身であり、その意味に苦しむのもまた自身であると聞いた事がある。どういう意味なんだろうね?ただね、見える事もあるそうだよ」

「悟りが見えるんれすか、さっきは何もないって言ったのにぃ」

「そう、座禅によって神経が研ぎ澄まされて世界と一体になったような気になる。枯葉が枝から離れる音や虫が地を跳ねる音、聞こえる筈のない音が聞こえてきたり、周囲の光が強くなって全体を白く包むと地から水が湧き、蓮の葉が水面に次々と浮かぶ、蕾が膨らむと続いて花が開き、仏が次々に体現する。神々しい後光を湛えて目の前に立ってあの瞳で見下ろしている。君達ならどう思う?」

「悟ったと思います。仏が悟りを教えに来たんだと思います」

 ハルトの意見にレイも首を縦に振って同調した。

「そう、まるで悟りの境地に達したような幻覚がみえる。それは魔境と言って修行などしなくても肉体的に追い込まれれば誰にでも見える。悟りはその魔境を当たり前のことと受け流したその先、何も無いそこにあるのだそうだよ」

「むずかし過ぎます。悟りも仏教も」ハルトは肩を落とした。

「悟りは難しいね、けど僕自身は悟りなんて言葉で言うと難しくなるけど、簡単に言えば気づきだと思ってる」

 気付きですかと言ってハルトは顔を上げた。

「道元って昔の坊主が正法眼蔵しょうぼうげんぞうって書にこんなことを書いている」

『自己をはこびて万法ばんぽう修証しゅしょうするを迷いとす』

「これはね、自分を基準にしていっさいの現象を認識しようとするのが迷いというものであると言う意味で、例えばあの人は性格が悪いから嫌いだと言ってみても、その判断で苦しむのは自分自身であって、言われている本人は何の苦しみもない。ならどういう認識が正しいのか、道元はこう書いている」

『人、船にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく船につくれば、船のすすむをしるがごとく、心身を乱想して万法を辨肯はんけんするには、自心自性は常住じょうじゅうなるかとあやまる。もし行李あんりをしたしくして箇裏こりに帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。』

「船に乗って行くときに岸を見れば、岸が動いているように間違って見える。けれども、素直に船の方を見れば、船が進んでいるのだと分かる。このように心と身が乱れたままで現象を認識しようとすれば、その認識が不変で確かなものだと誤ってしまう。もし素直に日常の事象をしっかりと反省してみれば、現象そのままを見る事など、自分の認識力にはないと明らかになる。と道元は人間の不確かさを述べている。この様な気付きの体験が悟りの片鱗なんだと僕は思うな」

 ハルトは両手で頭を抱えた。エジマの言葉が体に沁みいる様に入って来る。自身の過去の行い、サクラへの思いや行為を言葉が煙の様に燻し、明らかな認識の誤りを燻りだして顕在化していく。何て愚か、何て浅はか、何て幼稚で身勝手。慙愧の念が涙として伝った。

 サクラが生きていれば不幸になる。先に待つのは苦しみのみであると決めつけ、自分の生き方でサクラを計っていた。自分が守れないならサクラは必ず敵意にされされ、悪意を持って人害にさらされると思い込んでいた。あの時、俺は船の上からサクラを見ていた。どんどんと進んで行く船の上から、寒風吹き晒す砂利の岸辺で、サクラは一人黙々と石を積んでいる。幾ら呼んでも、幾ら叫んでも、サクラは顔も上げてくれない。小さく小さくなっていくサクラに焦りだけが募る。

「サクラーそこに居たらダメだ!いつまでもそこに一人でいたらダメだ!」

 俺は船を追ってこないサクラに不安と焦りを覚える。そして、同じ船に乗らないのなら、乗れないのなら、、、殺してしまった。あの時にサクラを失って得たのはサクラの永遠の幸せなんかじゃない。自分の身勝手な安心だけだ。サクラの未来などあの時まだ何も決まっていなかったのに、何も無かったのに、まさに無、無限で無形であったのに、自分の誤った認識でサクラを責めた。サクラが時に置いて行かれていたのでは無い。俺の流行る気持ちがサクラを置いて行っただけだった。あのときに正しく反省して現象が見れれば、俺が船を降り、水面を掻き分けて岸に上がり、サクラの隣に座ってやるだけで良かったのに、ただそうして、サクラと同じ空気を感じて、風が強ければ上着を掛けてやり、雨が降れば傘を挿してやり、眠たければ膝を貸してやれば良かった。そこにはそのとき俺だけじゃなく、父さんが居て、母さんが居て、そして婆ちゃんがいたはずなのに、進んだ未来にはもっと多くの人がサクラの傍らに腰を下ろしたかもしれないのに、俺はサクラの居場所をサクラが居た場所に代えてしまった。

 閑散とした寒々しい河原に今更船を降りて一人濡れながら立っている。そこにはもう誰も居ない、誰も立ち寄らない。ただ一つサクラの積んだ積み石が一つ。

 頭を抱えるハルトの瞳から嗚咽と共に大粒の涙がぼたぼたと零れた。

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