第59話 現代の僧兵

 風呂から上がった三人は薄暗い廊下を抜けた。狭い割に天井が高く、長く垂れた電燈が等間隔に吊られている。

淡い光を放つ電燈は丸い形の赤い傘を被り、色抜きで菊が描かれている。電燈の光に照らされて菊が黄色く咲いている。床に向かって徐々に照度が下がっていき廊下の四隅には闇が溜まっている。

 淡い廊下を進むと奥に格子襖の入口を持つ客室が並んでいた。エジマは玉手箱の間と札の掛った部屋に入った。

 玄関を上がり襖を開けると8畳の部屋に卓袱台が置かれ、床の間には掛け軸が下げられている。そこには柳とツバメが花札の絵柄を思わせる様な構図で描かれてる。花瓶に花は無く、その時を待って只口を開けている。

 部屋を仕切る襖には白地に黒い墨を纏った鯉が舞うように泳ぐ姿が清流のせせらぎと共に描かれている。欄間を見上げれば龍宮へと亀の背に乗り向かう浦島太郎の姿が透かし彫の意匠で施されている。その襖を抜けると六畳の和室。その先には障子襖があった。

 エジマは障子襖を開けてどうぞと二人に席を進めた。エジマの開けた室内からは炭の焼ける乾いた香りと温かな空気が漂ってくる。四畳半程の板の間に四角い桐で出来た火鉢が置かれ、炭が赤々と燃えている。五徳の上で鉄瓶がシュッシュッと蒸気を吹くのに忙しい。それを囲み四脚の皮張りの椅子が置いてある。その奥は大きなガラス窓が四枚並んでいて、画角いっぱいに闇夜を映している。

 ハルトは椅子に腰を降ろして火鉢の炭を見つめた。

 レイは大きなガラス窓に身を寄せた。冷たいガラスに額を当てると夜気がガラスを通して触れてくる。眼下に駐車場や先程居た墓地、歩いてきた林道が見えた。この龍宮楼は崖の様な場所に建ち、この部屋の窓は岸壁に面している、ここからだと墓地の地形が良く分かる。丸い形に墓地がありその三分の二を木々が囲い、残りは海に落ち込む崖に囲まれている。闇よりも暗い海が音も無く動き続けている。陽が昇ればどれ程に美しいことかと思う。この墓地に眠る故人達は昼夜どちらの景色をここで見るのだろうと考えると肩が小さく震えた。

 レイはガラスに手形を残して窓から離れた。

 エジマは二人の前にペットボトルの水を置くと火鉢の端にワンカップの酒を数本差し入れて自分も席についた。エジマの前にはハルトが座り、その横にレイが座っている。エジマは火箸で炭をカップ酒から丁度良い位置に寄せると火箸を灰に挿して背もたれに身を預けた。

 静かな室内に椅子の革がギィと鳴り、炭が爆ぜ、エジマがすこし僕の話をしようかと口を開いた。

「ここに来る時に寺を通っただろ、あの寺の住職は今僕の弟が務めている。本当は僕が住職になる筈だった」

 エジマは火鉢の灰に語るように続けた。

「子供の頃から寺に産まれ、仏教に触れて育った。仏教には興味も信仰心も有ったけれど、いざ住職になると考えたときに仏教を人に説く立場の住職が破戒を自然に受け入れて生活していることに矛盾を感じたんだ」

 エジマはペットボトルの水を半分ほど飲むとキャップを締めずに足元に置いた。

「本来仏教には宗派毎に違うが八正道や五戒と言った厳しい戒律がある。明治五年太政官布告で僧侶の肉食・妻帯・畜髪・平服着用が認可された。するとそれをおおっぴらに行い始めた。本当なら僧侶の破戒など、その僧侶個人の問題だろう。しかし、政府が許可したからと言ってそれを行うのはどう理解すればいいのか。宗教は政治を超越した次元にあるのでは無かったのか。政府が何を指示しようが僧侶は自らを律するのではなかったのか、仏の道は誰かの指示によって曲がる道では無いはずじゃ無いか?そんな疑問を置き去りに僧侶の破壊が一般的になって今を迎えている」

 エジマはカップ酒を摘み上げるとハルトとレイの前に置いて、自分も蓋を開けるとチビリと啜った。

 二人は小さく頭を下げるとエジマに視線を戻した。

「僧侶は自ら悟りを求める為に出家する。寺はその修行の場で単なる住処ではない。自分の父を否定し、自身の出生までも否定することになるけど、修行の場である寺で衆民と同じ様な生活を送る住職である父への懐疑心は日々募ったよ。仏の悟りを得るためには全ての執着を捨てろと教えにあるんだ。その教えこそが戒律で、全てとは正しく全てを指すんだよ。衣食住どころか、人を愛することさえもだ、愛着は言い換えれば執着であり、執着すればそこに欲望が産まれる。大小の欲望が行動・言葉・思いと絡まり、他を押し退けたり、辛辣な言葉で他人を貶めたり、他者と比べて嫉んだりと、苦しみを形成して自身も他人も苦しめる。そう説くはずの僧侶が禁忌を犯して、説法を語る資格があるのかとね」

 愛が苦しみを産む。ハルトには否定できない現実との符合にエジマの言葉を聞き流すことは出来ず、心に大いに引っかかった。カップ酒を開け、大きく流し込むと苦い顔で飲み下した。

「しかしね、仏教の日本での歴史を顧みれば、父を特別責めることも出来ないと思いとどまった。幾ら綺麗ごとを並べても日本の仏教は政治の道具でもあった。最初から権力者達と利害関係で結び付いていた。仏教僧侶であることは、権力をもつことでもあった。その権力を誇示するために、暴力を厭わなかったのが日本の仏教宗派だ。仏の道を行こうとするものだけが僧になった訳ではない。戦国の世、野心を持つものは僧となることで立身を企てた。衣食の贅を求めて僧になる者もいた。彼らはそうして寺の軍人である僧兵となり、腕力によって政治力を実現する役割を担った。仏教の研鑽や修業とは無縁の輩だ。有名どころだと武蔵坊弁慶とかね、僧兵は軍事力で政治に関与し、武士ともしばしば激しい戦闘を繰り返した歴史がある。有名な織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちもそれだ、開祖は無私無欲・奉仕こそが世を浄化し、人を救う道であると説き、世人はその教えに感銘し様々な特権を与え、王方は、仏法を侵さずとなった。しかし、宗教・宗派は代を重ねるうち、宗門が変貌を遂げ宗徒に布施を強要し、時に戦闘に参加しなければ極楽浄土に行けないと脅しに使う事さえあった。財物を貪り、戒律を破って酒色にふけり、淫楽に溺れ、戦国末期の世の乱れに乗じて宗僧の堕落は頂点に達した。仏法が王法を侵す感があった。膨れ上がり過ぎた宗僧の既得権を破棄し、世に知らしめる為に信長は比叡山に居た僧侶・神官・老若男女問わず全てを皆殺しにした。止める光秀を退け悪僧愚僧に天罰の一つも与えぬ仏像・経典に是非も無いと言って一切を灰にしてしまったそうだ」

 エジマは一気に語ると酒をあおって一息入れた。

「話は逸れたけど、仏教の歴史から見ても僧侶の破戒なんて当たり前で僧侶本人も檀家さえもそれを責めたりしない。そうやって仏教の歴史を知ると、仏教を信仰することに意義はあるのかと思うようになった。そう思ったら仏教の本分を知りたくなって、気づいた時には傭兵になって戦場に身を置いていたよ、現代の僧兵だな」

 エジマは空になったカップを置くと、ガラス窓へ視線を投げた。

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