第53話 ハルトの後を追う 1

 あの頃に比べれば少しずつではあるが変わって来れた、誰とでもと言う訳にはいかないけれど、ソウゴとなら笑ったり、話をしたり、そんな当たり前のことが出来るようになった。

 何よりも大きな変化は日々が楽しいと感じることだ、けれどそんな日々の中にも葛藤はある。このままではいけない、こんな日々は何時までも続かないと分かっている。ソウゴの生活に寄生する生き方は、いずれお互いを苦しめる結果になるだろう、私が居ればソウゴの自由を奪うことになる。足枷に、制約になる。そうなってまで一緒に居たくはない。私自身にとっても以前より症状は改善されたが、人と話すと言ってもソウゴがほとんどで一人で生活できるレベルには程遠い、ソウゴに守られているのが現状だ。何時かソウゴを私から解放してあげなければと分かっている。ソウゴと離れ、自分の足で歩き始めたその時が、私の本当の意味での第二の人生のスタートなのだと考えるようになっていた。

 

 滔々と過去を振り返っていると運転席のドアが開く音がした、慌てて振り返るとハルトが車外へ出て駐車場の隅の小道へと向かって行く。その背中は項垂れ、夜の闇をその背に背負っているかの如く見えた。わらわらと葉の落ちた枝が集る小道へと入って行く。その背を見てレイは決した。

『後を追わなくちゃ!』嫌な胸騒ぎがした。車内で感じたハルトの鬱々とした雰囲気、その正体が歩いて行くハルトをみて分かった。レイにはありありと見えた、この暗がりでも尚くすむ、あれは死の影だ。

 どうしてハルト君が、いつも飄々としていて落ち込んだ姿など見せたこともなかったのに、何故死に憑りつかれているのだろうか?考えたところで分かる筈もない。今は私しか居ない、私が止めなきゃ!後部座席へ移ると外へ出た。ハルトを追うのを遮るように寒風が吹きつけた。急激な気温の低下に加え重圧に胸が不規則に高鳴る。呼吸も乱れる。木々の作り出す一層に深い闇に膝が笑いそうになるほど怖い、体はハルトを追うのを拒否している。

 レイは体の反応に耐え、今居る場所をソウゴへメールをすると素早くコートのポケットに携帯を押し込み、ハルトの抜けた小道を睨んだ。その横顔は精悍だ、意を決して小道へ向かうレイの背には死の影は微塵もない。

 林の中を縫って続く小道は落ち葉に埋もれている。舗装されていない地面は雨を吸ってぬかるんでいる。土と枯葉の混ざった匂いがする。所々に出来た水溜まりを避けて小道を抜けると開けた場所に出た。潮騒も大きく聞こえる。周囲は木々と錬鉄のフェンスに囲まれ、フェンスの先は崖になっているようだ、下で広がる波が闇を揉んでいる。

 この開けた空間には数えきれない程に姿や形が様々な墓石が整列している。

 ハルトの行方を追ってレイは闇に眼を向ける、数メートル先にハルトの背が見えた。先ほどと変わらない姿勢で墓石の間の小路を進んでいる。

 レイは一定の間隔を保ちながら、その悲愴な背を追った。足元に目を凝らすと花壇やアーチが所々に配置されている。晴れた昼間に来たならそれは美しい所なのだろう、この闇夜では近づかなくては何が植わっているのか判別できない。顔を寄せると花壇には紫色の花をつけたサイネリアや白い花弁のスイレンなどが植えられている。 

 アーチには椿の幹が掛かり、黄色い雄しべが赤い花弁を纏って凛と咲いている。よく手入れされていると思ったその時、暗幕を引き剥がした様に光が射した。月に掛る雲が晴れ、月光が地に降り注いだ。夜光と言えど月光は眩しく、注ぐに留まらず墓石を濡らした雨や花弁に滴る雨粒が一斉に空に向かって瞬いた。死と正が対峙するその一種異様な刹那の光景にレイは息が詰まり動けなくなった。どれ程の時間その光景に目を奪われていたのだろうか、一瞬であった気もするし、とても長い時間であるような気もした。ブルブルと身震いする自身の感覚で自由を取り戻すとハルトの位置で経過した時間を計ろうと姿を探した。僅かな時間だったようだ二人の間隔は先ほどとそう変わらない。

 ハルトは一番崖に近い一つの墓石の前に立ち止まっている。目を伏せたままだ。

 レイはその墓石の後ろの列から近付き、ハルトの後ろの墓石まで来ると墓石に手を合わせて小さな声ですいません、すいませんと唱えてその身を隠した。墓石にすがる様な格好で顔だけを出してハルトの様子を伺った。

 ハルトは石段を上がると墓石の前で跪き手を付いて土下座の様な格好で項垂れている。花立の花と卒塔婆が海風に揺れている。まだ新しい卒塔婆が手向けられている。 

 墓誌にはハルトの妹サクラの名前、そして祖母の名前が刻まれている。レイはやっとハルトの目的地を知った。祖母と妹の眠る場所、でもどうして今?その背中を凝視するが理由など見えてはこない。

 不意にハルトが声を発した、レイは突然の事に悲鳴をあげそうな程驚いたが、寸前のところで堪えた。どうやらレイに気が付いた訳では無く、そこに眠る故人に語り掛けている。レイは後ろめたい気持ちを抑えてハルトの様子を伺いながら、その言葉に聞き耳を立てた。

「サクラごめんな、苦しかったよな、痛かったよな、怖かったよな、お前の事を守らなきゃって思っていたのに、、、」

 今日、先程まであの事件の真相を一切忘れていたと言うのに、今ハルトの手の中にサクラの胸を押し付ける感覚がありありと蘇っている。徐々に弱くなる呼吸、失う体温。声が、肩が切なく震える。

「こんなに冷たく、こんなに冷たい所に俺が、、、」ハルトの爪が拝石を掻く。

「今なら分かるんだ、俺のしたことがどれだけ愚かで取り返しのつかない行為だったのか、あのときサクラの寝顔を見ていて、この幸せな時間が永遠に続けば良いと思った。けれどいつか、いつかお前は目を覚まし、この世の非情に苦しめられる時が来ることを知っていた。だから俺はあのまま時間を止めたかった、そんな俺の身勝手な解釈でサクラの命を奪ってしまった。きっと俺の心の何処かではサクラを救いたい気持ちよりも、俺自身が救われたかったんだ。あの時本当に時間を止めたかったのなら、死ぬべきは俺だった。サクラを犠牲にして俺は自分を救ったんだ。サクラ、お願いだこの卑怯な俺を許さないでくれ、出来る事ならこの場で俺がサクラにしたように俺を殺してくれ」

 ハルトは汚れるのも構わずに額を地面に擦り付けて泣いた。




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