第50話 みんなイカレてる

 口を開けば雪崩れ込んで来るような沈黙を除けたのはヒカルだった。

「ハルト今どんな気持ちだろう」

 ヒカルの発した素直な言葉、表現はそれぞれだが思っていたことは皆一様にそのことだ。

「私達が来たらどう思うかな、私がハルトの立場だったらッてずっと考えてたけど、凄く来てほしい気もするし、凄く来てもらいたくない気もする。全然分からないや、私頭悪いから考えれば考える程ハルトにどうしてあげたら良いのか分からなくなっちゃう」

 ヒカルの太ももの上で強く握られている拳が歯がゆさを強く表現していた。

「ねぇ、みっちゃんなら分かるよね?みっちゃんは頭良いもんね」

 ヒカルが縋るような視線を向けてくる。

「私!」

 私にだって分かるはずが無い。英文を翻訳する訳でも、方程式を解くわけでも無い。妹を殺してしまった友人にどうしてあげれば良いのか?そんな難題、何が正解かなんて分かるものか。答えなんてあるのだろうか、私が今まで勉強してきた事の何て無意味な事か、私の今までの経験の何て無価値なことか、私自身の何て無力なことか。私はハルトを救う方法を只の一つとして考えつくことも出来ず、ただ唇を噛んでいる。

 ヒカルの問いに代わりに答えたのはソウゴだった。

「ハルトは、自分のことを頭のおかしな化け物だって思ってる」

 外の闇を睨んで言い切った。

 その放胆な言い草にミズキは腹を立てた。

「何なのよその言い方は!どうしてそんな言葉が出てくるのよあんたは!頭がおかしいのはあんたでしょ」

 ハルトを救う手立ての思いつかない自分の不甲斐なさも含めてソウゴに強く当たった。口の中に鉄の味が広がる。

「俺は会ったから」

 確かにこの前にハルトに最後に会ったのはソウゴだけだ。しかしそれは何も説明になっていない。

「だから何」

「そんな顔をしてた」

「はっ?そんな顔ってどんな顔なのよ、いつもと何が違えばそんな顔だって判断できる訳?それにもしも、そんな顔をしていたのなら車なんて貸さないで引き留めなさいよ、理由を聞きなさいよ、何でそのまま行かせちゃうのよ!あんたは本当にバカだな!」

 タイヤがアスファルトの継ぎ目を乗り越える音がバスドラムの様な低音で四つ打ちを刻む。

 寸前が騒々しい程、直後の静寂は際立つ。

 目を閉じてしまえば車内には私以外居ないのではではと思わせる位静まり返っている。その静寂は誰が一番の愚か者かを語っている。

 バカは私だ。またやってしまった。怒りに任せてソウゴの気持ちなど考えもせずに怒鳴ってしまった。冷静に考えればソウゴが何も考えなかった訳がない。車を貸す判断に悩まなかった筈もない。ハルトの状況をみて最善と思って出した結論の筈だ。誰だって憔悴して現れた友人がまさか妹を殺したからだなどと思い至る訳はない。普段のソウゴの人格を加味すれば相手が語るまで好きにさせておくのは、寧ろいつもの自然な事だ。あやまろう。

「ソウゴ、、ごめん言い過ぎた」

 被せるように即答で「慣れてる」

 やっぱムカつく。

「ソウゴの言うようにハルトも思っちゃってるかも知れないね」

 目を伏せてヒカルが言った。

 ミズキは怒りを抑えて出来るだけ優しい口調になるように聞いた。

「だから何でそうなるのぉー」

 言葉の最後に下手な笑顔を添えた。

「サクラちゃんを殺したのが自分だったなんて突然思い出したらさ、そんな事をした自分を責めるし、忘れて今日まで来てしまった自分も責めるよ、忘れていた自分自身が信じられない気持ちだと思う。自分の理解を超えたものを怪物とか化け物とかって呼ぶんだよ、そうやって疑心暗鬼になったら他にも何か忘れているかも、これから同じことをしちゃうかもって、どんどん悪いことが頭に溢れて来ちゃうんじゃないかな。ハルトの気持ちが少し分かった気がするけど、私達に何かしてあげられるのかな」

 何かムカつく。

 ヒカルの深刻そうに俯いた横顔。

 ソウゴの珍しく悩み込み外に投げた視線。

 おじさんの全てを抱え込んだ白い顔。

 あぁムカつく。本当に。限界だな。

 ミズキは気が付いた時には思い切り怒鳴り上げていた。

「一体誰の話をしてるのよ!ハルトでしょ」

 全員の視線がミズキに集まる。

「頭のおかしな化け物?だから何!私達だって皆そうじゃない!ソウゴなんて口数は少なくて何考えてるか分からないし、図体はデカいしハーフだし、夜中に後ろ歩かれたら走って逃げるわ!おまけにレイちゃん連れまわして、勝手に人に車に乗せたまま貸して!あんただって一歩間違えば犯罪者じゃない!」

 ミラー越しにソウゴを睨みつけ、何度か肩で息をしてから口撃を続けた。

「ミズキはオカマのうえに色狂いのヤリマンで男が居なきゃ自分の存在価値も認識出来ないような男性依存症じゃん!そもそも男でも女でも無い出来損ないじゃん!」

 隣に向かって吐き捨てると更に長く肩で息をして続けた。

「それとおじさんね、隣で自分の息子が散々言われているんだから黙ってないで言い返しなさいよ!キレなさいよ!それにおじさんが言う程全てがおじさんの所為じゃないよ、自意識過剰!悲劇のヒーロー気取らないで!ハルトはおじさんが思っている以上に大人だし、強いし、もっとちゃんと自分と向き合ってるから自殺なんて馬鹿なことはしないから!そんな顔止めてよ」

 大きく二回深呼吸をして続けた。

「私だってイカレてる!直ぐにカッとなったら怒鳴るし、怒鳴り出したら頭の中に有る言葉全て口に出しちゃうし、出来ることなんてなにも無いし、自分で決められないし、私なんてあなた達が受け入れてくれなかったら誰からもまともに受け入れられない。そのくせ一緒に居たら楽しそうな皆が羨ましいとか妬ましいとか考えちゃう卑しい人間だし、結局誰もが当てはまる普通なんて基準なんて無いし、有ったとしてもそれに当てはまる人間なんて誰も居ないよ。皆誰かからしたら変わった奴なんだから。寧ろ今まで私達の中で唯一ハルトだけがまともだったじゃない。普通の枠の中に居たじゃない。そして私達みたいな変人を受け入れてくれていたじゃない!今度は私達がハルトのことを認めてあげる番なのに、私達が構えてどうする!ハルトが何を考えて居てもいい、まずはハルトに会って今のままのハルトを、今までハルトが私達にしてくれていたように認めて受け入れるだけで良いじゃない。一番苦しんでいるのは絶対にハルトなんだから」

 言い切った。フロントガラスを睨む瞳が潤む。零れ落ちない様に騒がしい程の夜の静寂の中で耐えた。

 正解かどうかなんてわからない。けれど思った事を叫んだ。これで良い、私はこう言う人間だ、誰に嫌われても仕方がない、友達で無くなってしまってもしょうがない、そうなるのだとしても、言いたいことを言わなければ私は私でなくなる。

 ヒカルが伏せていた顔を上げた。

「みっちゃんやっぱり頭が良いな、ボロボロに言われちゃったけど、いつも言われてる本当の事だから仕方がないね、なんかね私ハルトの事を可哀想だとか辛いだろうとかって思っている内に何時の間にか下に見ていたのかも知れない。みっちゃんに言われて分かった。ただハルトに友達として会いに行けばいいんだよね、そしてどした?って、いつもの通りに接すれば良いんだよね。教えてくれてありがとう、みっちゃん」

 ミズキの涙はとっくに瞳からあふれていた。

「うぅぃヒカルー」

 恐かった。本当は言いたいことを言ったが、何を言い返されるのかと内心恐ろしかった。どんなに強がりを言っていても、私が私で居られるのはこんな私を受け入れてくれる友が私を私で居させてくれるのだ。ハルトにだって同じことをしてあげれば良い。さっきの言葉が確信に変わった。

「メールが来た」

 後部座席から先程の件が無かった様な抑揚の無いソウゴの声が聞こえた。

「ソウゴ私の話聞いてた?」

「うん?聞いてた。ミズキが短気で空気が読めないって告白だろ、因みに幾つかミズキが言い忘れている欠点があるから補足したいんだが良いか?」

「良くない!もぉーいいよー」

 ミズキはぐしゃぐしゃの顔に涙を溜めて笑った。

 ハルトの父が小さく噴き出す音が聞こえた。ソウゴは小さく、良い事も少し言ったと呟いた。

「メールは?レイちゃんから?」ヒカルが身を反転させて聞いた。

「ハルトの居場所が分かった、おじさんの予想で合ってる」

 ハルトの父の予想で走らせていた車の目的地が確定した。

 車内には重苦しい雰囲気はもうない。ハルトに対する悩みが消えたからだ。暫く車が走ると雨が止んだ。ミズキは忙しなくガラスを滑るワイパーを止めた。

 流れる木々の隙間から海の姿が見えた。ヒカルが海だと叫ぶ。厚い雲が割れ、月光が空から道の様に海面に射して輝いている。これ以上悪い事は起きない。そんな気がした。

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