第45話 記憶の想起3

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 桃の節句はばあちゃんの家で祝うのが恒例。居間の引き戸を取外し隣の和室と一続きにする。その奥に御内裏様と御雛様、三人官女の二段飾りを置く。この雛人形は元は母さんが子供の頃に、死んだじいちゃんが買ってくれたものらしい。

 食卓にはひし餅、蛤のお吸い物、甘酒など雛祭りに代表的な食事と和食が次々にばあちゃんと母さんによって運ばれてくる。二人は終始何か話をしながら作業をしていて賑やかだ、話題が尽きないらしい。

 父さんはサクラを抱いて桃の花を花瓶に活けている。サクラは桃色の着物姿で雛人形をポカンとした表情で見つめている。口開いてる、なんて可愛らしい。

 僕は甘酒は飲まない。酒と言うものに対するドライなイメージと甘酒の甘い香りとのギャップが嫌いだからだ。優しい顔して近づいてきて、本当は人を騙す悪い奴。甘酒を擬人化して例えるならそんな感じだ。

 母さんはアルコールは入ってないから大丈夫だと言って勧めるけど、対面で甘酒を啜る父さんは確実に顔が赤らみ始めて心地良さそうだ。きっと騙されている。隣ではばあちゃんがちらし寿司を取り分け始めた。

「サクラ、昔から季節の変わり目のことを、【せつ】と言ってね、その中で奇数月の、月と日が重なる日を取り出して祭事を行って来たのよ、三月三日とか五月五日とかね。一月一日の元旦は別格みたいだけどね」

 サクラは雛人形からばあちゃんに目を向けた。

 「その祭事を【避邪ひじゃ】と呼んでね、奇数は本来なら陽とされているけど、陽が重なると陰になってしまうから、季節ごとの旬の食べ物を食べることによって、生命力をもらい、その力で陰の邪気を払うのよ」

 サクラの前にちらし寿司を置いた。

「一月七日が七草の節句。三月三日が桃の節句。五月五日が端午の節句。七月七日が七夕。九月九日が桃の節句。五回あるから五節句って呼ばれているのよ。一年を無事に乗り切る為に節目にこうやって旬のものを食べるの。沢山食べなさいね」

 くりくりの目でばあちゃんを見ていたサクラは「あい」と返事をしてちらし寿司に手を伸ばした。

「お母さんまたそんな難しい話をして、子供にはまだ分からないわよ」

 言いながら母さんがサクラに箸を手渡す。

 僕もそう思う。

「何を悠長なことを言っているんだい。ならあんた何時から話すんだい。この子達は何時になったらあんたにとって子供じゃ無くなるだい!何時まで経っても子供なんじゃないのかい」

「始まっちゃったよー屁理屈がー」

 母さんは額を抑えて天を仰いだ。父さんは赤い顔で地を睨んだ。

「私はね、あなた達夫婦には子供に犬をわんわん、猫をにゃんにゃんだなんて教える様なバカな親にはなって欲しくないんだよ。どれだけ子ども扱いして、子供のままで居てくれることを望んで維持しようとしたって必ず子供は成長して行ってしまう。そのとき子供達はバカな親が教えた幼稚な言語を一々変換する無駄な作業をしなければならない。最初から犬は犬。猫は猫と教えておいたら良かったのに。日本人にしか伝わらないような擬音で動物を表現して子供に教える行為は子供に足枷をするのと同じことだよ」

 父さんの前にちらし寿司を置いた。

「お母さーん議論が飛躍しすぎ、私はただもっと嚙み砕いて説明してあげれば良いと思っただけ」

 言いながら母さんが僕に困った顔をしながら箸を手渡す。

「咀嚼するのは聞き手の役目。私のすべきことではない。今は分からない言葉でも日常的に周囲に溢れていれば自然と意味を理解するものよ。ある日急に今日からあなたは大人だと言われて難しいことを言われたらそりゃサクラだって難しいなぁと思って尻込みするだろ、昨日までわんわんだったのが、今日からこれは犬だって大人が言うんだ、どんな了見だって思うわね。その逆私達がサクラとハルトに語り掛けた小難しいことも最初は分からなくても知識が増えると共にこんなことを言っていたのかと理解できるようになるでしょ。一見私の方が厳しいことを言っているように聞こえるけど逆よ、私は子供たちに緩やかな坂を上らせようとしている。あなたは急に大きな壁を乗り越えさせようとしている。さてどちらが良い事かしら」

 僕の前にちらし寿司を置いた。

「んんん、お母さん私のこともそうやって育てたの?」

 いいながら母さんが箸で自分の顔を指す。

「そうよ、だから貴方は聡明で健全。自慢の娘よ、沢山食べなさい」

 ばあちゃんが母さんの前にもちらし寿司を置いた。

 それを母さんは「あい」と言って手を伸ばした。

 このやり取りが好きなんだよな僕。ばあちゃんが語る独特の観点と価値観。それに言いくるめられてまるで子供に戻っちゃう母さんの姿。板張りの壁に背を預けて眺めていると背を放す瞬間に思い出すんだ。板と板の隙間に後頭部の髪が挟まって痛いんだってこと。

「痛って」

 頭を摩る僕を見て皆が学習しないなと笑った。恥ずかしさを紛らわすように僕はちらし寿司を掻き込む。言い訳が出来ない程口いっぱいに。

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