第40話 事件の場所

 足の行きついた先は閉鎖された公園だ。

 老朽化が進み団地全体が封鎖され、付帯する公園もまた同様に人の足が踏み入れぬ場所となった。

 この公園で幼かった日々サクラと遊んで過ごした。あの頃の温もりは今の公園には無い。電燈は無意味にそそり立ち灯りを灯さない。先端に取り付けられた時計は時を刻んでいない。

 闇の中では夏の間に縦横無尽に生い茂った名の知れぬ野草達が色を失い朽ち立っている。ただし、照らし出されなければそこには何も無いのと変わらない。ただ一人その闇の中で雨水と泥を跳ね上げながら地を殴りつけていた。

「父さんを殺そうとした。家族なのに、バカなことを、くそっくそっくそっ」

 打ち付けた拳には小石が食い込み皮と肉を抉っている。

 闇の中で雨音に交じり拳と懺悔が重なり鈍く響く。

 父の首に手を掛け締め上げ、そして見えたもの。もう分かりかけていた。知りたかった真実の姿がぼんやりと濃霧の中に輪郭が浮かんでいた。色彩と装飾などディテールは分からずとも、何で有るかはぼんやりと見え始めている。あのときに封は切られ、いくつかの記憶のピースはこぼれ出た。記憶のピースはその姿を形成し始めている。残りのピースも頭の中にある。ぶちまける切っ掛けさえ有れば、放たれたピースは雨が地に落ちるように、煙が空へ昇ように自然と収まるところへ収まるのだと直感していた。そしてココがその契機の場所。

 闇に沈む公園から脇へ視線を移すと闇の中に四角い建造物が浮かんでいる。

 一階の窓にはベニヤ板が打ち付けられ、その役目を禁止されている。その横には同じ意匠の階段が闇の入口の様に並んで口を開けている。

 壁に入った亀裂の補修ヵ所以外には特に変化も無いような階段だ。その一つにハルトは迷わず足を踏み入れた。

 階段の乾いたコンクリートに足を降ろす度に濡れた靴音と共に雨が染み出す。どの階の扉も同じ形、同じ色味をしているのに自分たちの住んでいた部屋の前では階を数えなくともここだと不思議と分かる。

 一つの扉の前に立った。

 家族が揃って暮らしていたあの頃の懐かしさと、今の寂々とした雰囲気の落差に胸が圧迫されて苦しい。

 ハルトは胸を鷲掴み、強く握るとドアノブに手を伸ばした。冷たいノブは錆びついた音を立てて回り、そして扉は開いた。

 外気よりも温かな空気が留まっていた。黴臭さの中に家の匂いが残っていた。この家に住んでいた母さんの匂い、父さんの匂い、サクラの匂い、自分の匂い、家族の匂いだ。住んでいた時には感じる事も無い程に馴染んでいた筈の匂い。それが今はこうして分かる。それ程にここを離れてから時間が経過してしまっているのだ。玄関へ入り、瞳を閉じて呼吸をすると、もう家族の匂いしか感じない。涙が勝手に頬を伝う。

 頭の中に記憶の粒が散乱している。散乱したその場所は水面に渦が発生するように、この場所に立った事を契機に変形し、下向きに円錐を形成してゆく。円錐の形成と共に平面だった面は傾斜を持ち、記憶の粒たちは蓮の葉を滑り落ちる雨粒のように動き始め、同じ処へ一斉に向かう、その途中小さな記憶の粒たちはぶつかり合い、次々に一つになって行く。円錐の傾斜を下る頃には幾つかの大きな塊になり、やがて一つになって円錐の下点から滴下した。その滴は足りないピースの隙間に落ちて収まり、封じられた記憶のディテールを浮き彫りにした。

 目を開くとそこは俺達が住んでいた家では無く住んでいる家で、今ここに立っているのは俺では無く、僕だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る