第38話 ハルト遁走

 ミズキとヒカルがハルト家に着いた頃には雨脚は激しさを増していた。雨の飛沫は霧の様に霧散し、視界をぼかしている。

 家の正面に車を止めて玄関を伺うと、扉横の明り取りから光が漏れている。

「ハルト帰って来てるんじゃない」ミズキが言った。

「明かり点いてるもんね、行ってみようか」ヒカルが車のウィンドウから空を伺いながら言った。暫く空を伺い、ミズキの方へ頭を向けながら「踏ん切りがつかない!」と情けない事を言った。

「何雨なんかに挫けてんのよ、折角来たんだから行くよ」

 ミズキに促されて車を降りようと体制を変え始めたとき、強い雨音を裂いて玄関の扉が激しく開く音が届いた。

 ミズキとヒカルが音の方向に目をやると、ハルトが飛び出して行く姿が見えた。雨の飛沫で表情までは伺えないが、急いでいるとか、慌てていると言うよりも逃げて行ったと言う印象だ。傘もささずにあっという間に雨に煙る街に走り去って行ってしまった。

 その背を追った視線の隅で玄関から前屈みにヨロヨロともう一人が出てくるのが見えた。そちらに視線を移して姿を捉えるとハルトの父だった。激しく咳込み、首元を抑えている。ただならぬ雰囲気に二人は今度は躊躇せず車を降りて駆け寄った。

「大丈夫ですか」ミズキの問い掛けに返答出来ない程咳込んでいる。

 咳が落ち着くと今度はハルトの父が二人に問いかけた。表情にはまだ苦悶が漂っている。

「君たちは?」

 ハルトの交友関係に疎く、二人が誰か分かっていなかった。

「ハルトの友達です。お婆ちゃんが亡くなってハルトが落ち込んでいるかと思って来たんだんですけど、そしたら・・・」

 ヒカルはどう続けるべきか分からずそこで言葉を止めた。

 そうかありがとうと言ってハルトの父は顔を上げた。だいぶ息が落ち着いてきているが、しきりに首を摩っている。

「何があったんですか」ミズキが物怖じせずに聞いた。

 ハルトの父は慌てて首に添えた手を降ろした。先程よりも表情が曇ったのは明らかだ。

「ハルトを探してくれないか」その表情には悲愴と懇願が両棲している。

「探すのはいいですけど何があったのかを教えてください」

 ミズキがそう言うとハルトの父は視線を下げて地を睨んだ。その視線の先では雨樋からあふれた雨が地を叩いている。そして暫くして口を開いた。

「ちょっとした親子喧嘩だよ。他人に言う程大層な理由じゃないよ」

 歯切れの悪い口ぶり、明かに何かを隠している。そもそも只の親子喧嘩であるなら、相手は小さな子供でもあるまいし、わざわざ探しに行く必要も無いだろうと思う。それに、飛び出して行ったハルト、それを追って現れたハルトの父の様子は只の親子喧嘩では無かった。何よりもミズキに腹を立たせたのはハルトの父が言わずに済まそうとする何かよりも、『他人に言う程』と言ったその台詞だった。ハルトの父とミズキ達は紛れもなく赤の他人だが、ハルトとミズキ達は友達以上、家族同等と思っている。それを他人だとは、親のくせにそんな事も知らないのかと大いに腹が立った。

「只の親子喧嘩なら暫くすれば勝手に戻って来るんじゃないですか?では他人の私達は帰りますので後は御勝手に。じゃ」

 ミズキは吐き捨てて、ヒカル帰るよと車に向かって踵を返した。

 ハルトの父は慌ててミズキとヒカルの向かう先に回り込み二人を制した。雨が容赦無くハルトの父を打ち付ける。

「済まなかった。許してくれ。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。君達がハルトの心配をして来てくれたのに、失礼なことを言って悪かった。しかし」

 申し訳なさそうに二人から視線を外した。

「ハルトが出て言った理由は言えないんだ。本当に済まない。勝手だと分かっている。分かっているけど一緒に探してくれないか」深く頭を下げた。

 ミズキはその様子を何も言わずに見ていたが、見かねたヒカルが口を開いた。

「みっちゃん、頼まれなくてもどうせ探しに行くんだからさ、意地悪しないで協力しようよ」

 怖い顔のままのミズキの頬をヒカルが指で突いた。

 フンっと鼻を鳴らして黙ったままのミズキを他所にヒカルはハルトの父と携帯番号を交換し、それぞれ心当たりを手分けして探すことにした。

 ミズキとヒカルはよく行くファミレスやコーヒーショップ、公園などを探して回ったがハルトの姿は無かった。ハルトは携帯を持たずに家を出てしまっている。直接見つける以外に方法が無かった。

 二人がソウゴの家かも知れないと気が付いたのは探し始めてから一時間が過ぎた頃だった。車内からヒカルがソウゴに電話を掛けた。三回ほどコール音がするとソウゴが出た。

「ソウゴ今家にいる?」

「ハルトって来てない?」

「え!来たの!分かった私達も今行く」

 短い電話のやり取りを終えるとヒカルはせっかちに電話を切り、同時にミズキに言った。

「みっちゃん、ハルトがソウゴの処に来たって、行ってみよう。私おじさんに連絡する」

 言い終わると同時に携帯を耳に当てていた。口を挟む余地もない。ヒカルはハルトの父に丁寧にソウゴの家の場所を伝え、安心してくださいねと慰めの言葉を電話に向かって掛けている。ミズキはその横でハンドルを切った。ここからなら十分もあれば到着できる。

 ソウゴのアパートに着いた頃には二一時を廻っていた。雨脚は相変わらずだ。アパートの駐車場は砂利を敷いただけの地面の為、雨が降るとあちこちに大きな水溜まりができる。なるべくアパートの近くに車を寄せて停めた。

 薄暗いアパートの階段を上がる。二階の廊下のひさしは狭く、並んで歩くと確実に濡れる。この雨の勢いでは並んで歩かなくとも雨が吹き込んで来て肩を濡らす。

 壁に沿って一番奥のソウゴの部屋へ向かうミズキの後ろに続くヒカルは雨に濡れて庇の意味が無いとか、レインブーツで来るべきだったと独り言をいっている。

 「五月蠅い!」とミズキに一喝されるとヒカルは「だってー」と頬を膨らまして黙った。

 部屋の前に着くと扉が開き、顔を出したソウゴがヒカルに「五月蠅い!」と再度一喝した。「しゅいません」ヒカルは首をすぼめた。

「ハルトは?どんな感じ?」ミズキが尋ねた。

「もう居ないぜ」当たり前のようにソウゴは答えた。

「えー!居るって言ったじゃん!何で居ないの?」

 先程の怒られた仕返しとばかりに責める口調でヒカルがソウゴに食って掛かった。          

「ヒカルに来たかって聞かれたから、来たとは答えたけど、今居るとは言ってない」ソウゴは動じることなく返答した。

「な、何よ、ならもう居ないよって教えてくれても良かったじゃない」

 ヒカルの勢いが鈍る。

「それを伝える前にお前が切ったんだろ」

「な、何よ、ならもう一度かけ直して伝えてくれても良いじゃない」

「かけ直したけど、話し中だったろ」

 そのどれもこれもに心当たりのあったヒカルは、頬を膨らまして首をすぼめて黙った。

 やれやれと言った表情でヒカルを一瞥するとミズキが聞いた。

「一度は来たんでしょ」

「来た」

 ヒカルがまた会話に割って入った。

「何時?何しに来たの?どんな様子だった?何処言ったの?」

 捲し立てて質問するとソウゴは嫌なものを見る様な表情を浮かべてヒカルを見た。

「お前が男と続かない理由がまた一つ分かったわ」

「何それ!その理由から先に話しなさい」

「ヒカル黙って!あんたが入ってくると話が進まないから」

 ミズキは肘でヒカルを庇の外へ追いやった。

 ヒカルは「冷たっ、冷たっ、雨とみっちゃん冷たっ!」と場違いに騒いだ。それを無視してミズキは話を戻した。

「ハルトは何をしにここへ?」

「車を貸してやった」

 言われてみれば確かに駐車場にはソウゴのハイラックスサーフが無かった気がする。

「何処に行くって?」

「聞いて無い」

 ソウゴのことだ、予想通りの返答だ。

「そう、ハルトどんな様子だった?」

 ソウゴは様子を思い出す様に間を置いた。

「濡れた柳の木みたいだった。びしょ濡れの」

 雨に打たれるに任せ、この寒い夜に頭の先からつま先まで濡らし、この薄暗い玄関先でうなだれて佇むハルトの姿が想像出来てしまう。親子喧嘩如きでそんな状態になるとは考え難い。やはりハルトの父に何があったのかを聞いておく必要がある。期待はしていないがソウゴがハルトに尋ねていないか聞いてみた。

「何かあったのか聞いてみた?」

「聞かなかった」

 やっぱり。

「逆に聞かれたんだ」

「何を!」

『もしも俺達家族をバラバラにした奴が手の届く処に居たとして、今まで真実だと思っていたことが全てそいつを守る為の嘘だったとしたらソウゴならどうする?』

 家族をバラバラにした奴?あの事件の犯人のこと以外には考えられない。その犯人が。イヤ、新犯人が、そいつが今ハルトの手の届く処にいる?ハルトは今そんな状況にいる?ミズキは導き出せる推理を脳内で展開した。

「それで?ソウゴは何て答えたの」

 ミズキは怖い顔でソウゴを睨んだ。

「質問が長い」

 ソウゴやっぱあんたバカなの?

 ねぇっと後ろでヒカルが出した間の抜けた声が二人の会話を遮った。

「それってさーサクラちゃんの事件の事だよね。真犯人が出てきたってことだよね。ハルトとお父さんの喧嘩もそれが原因なんじゃないの?てか、状況から言って真犯人ってお父さんの事なんじゃないの?」頭に浮かんだとしても軽々しく口に出せないことをヒカルは軽々と言ってのけた。

「何の話だ?ハルトに何かあったのか?」

 ソウゴが訝しむのも当たり前か、家に押し掛けてから質問ばかりで何も説明をしていなかった。勝手にソウゴも知っているものとして話をしてしまっていたのだから当然の質問だ。ミズキは目にしたものと今に至る経緯を一通りソウゴに説明した。

 話しを聞き終えたソウゴは「ハルトのおやじさんが真犯人じゃねぇの?」とヒカルと同じ見解を示した。

「やっぱりソウゴもそう思う?じゃなきゃあんなにフラフラになるほどの喧嘩にならないよね。絶対そうだよ」

 ヒカルはソウゴを人差し指で指しながら、名探偵にでもなった気で断定している。

 短絡的だ。これはそんなに簡単に決めてしまって良い問題じゃない。ヒカルは勢いそのままに喋り続けている。

「どうする?お父さん捕まえてハルトに引き渡す?もしかしたら真実に気付いたハルトを口封じしようとしたのが喧嘩の発端なんじゃないかな!」

「ヒカル!」ミズキが一喝するとビクリと肩を上げてヒカルが黙った。

「勝手に決めつけて話を作っちゃダメだよ!面白半分で言って良い事じゃないよ。ハルトもお父さんもあの事件の後どんな気持ちで生活してきたのか考えてごらんよ。誰が亡くなって、誰が捕まっているのか思い出してみなよ、他人じゃないんだよ。ハルトの妹とハルトのお母さんなんだよ、家族なんだよ。私達が根拠の無いでたらめで、面白半分で、探偵ごっこしてたらまたハルトを傷つけちゃうんだよ」

 ごめん。ヒカルはゆっくりと指をたたんだ。暫く俯いて黙ったが、上目使いにミズキの様子を伺うと小さく口を開いた。 

「あのさ、いい加減なこと言ってごめん。みっちゃんの言う通りだな。調子に乗り過ぎちゃった。私、軽率だった。反省します。けど思ったことだけ言っていい?」

 何と短くミズキが吐き捨てるとヒカルは首を竦めて口を開いた。

「ごめんね、けど言いたいこと言わないと気持ち悪くて」

「お前が男と続かない理由がまた一つ分かった」

 軽口を叩くソウゴをヒカルが上目使いに睨む。

 そのヒカルをミズキが見下ろすように睨む。

 その視線に気づくと慌てて話を続けた。

「あのね、お父さんが真犯人じゃないとしても、ハルトはやっぱり真犯人が誰だか分かったんだと思うんだよね。多分その真犯人の所へ行くためにソウゴの車を借りに来たんじゃないかな?じゃなきゃソウゴにあんな質問しないよね?ハルトは真犯人に会ってどうするつもりなんだろう」

 それは正しい見解なのかも知れない。真犯人に会いに行く。何の為に?謝罪させるため。イヤ、今更言葉で済む話では無いだろう。捕まえる為に行ったのか、もしくは・・

「復讐かもしれないな」ソウゴはミズキの頭に浮かんだ言葉を口にした。

 何だかイヤな気がする。胸騒ぎがミズキを焦らせる。

「とにかくハルトを探さなきゃ、ソウゴ、ハルトの行きそうな場所に心当たりは無いの」

 問いかけたミズキの肩をヒカルがトントンと叩いて呼んだ。何よと振り向くとヒカルはあれあれと階段を指差した。挿した先に傘で表情は伺えないが男性がこちらに向かってくる。あの服装は、ハルトのお父さんだ。

 声の届く距離に来るとハルトの父は傘を上げた。その顔は蒼白だ。寒さのせいだけとも思えない。肌の中から青白い。ハルトの父は三人の間に視線を泳がせ、焦点の定まらない様子だ。

「ハルトはここに居ないんですか」

 今の状況を説明した。ハルトがソウゴにした質問のこと。車で何処かに向かったこと。その時のハルトの様子を。

 ハルトの父はそれを聞くと顔を強張らせた。その口から小さく漏れた。

「ハルトは死ぬ気かも知れない」

 は?ハルトの父の視線を中心に誰もが動きを止めた。

 ハルトが死ぬかも?直ぐには理解できない。確かにそう聞こえた。聞きたいことはそれぞれに有ったがいち早くヒカルが口を開いた。

「どうしてですか?何があったんですか?何でハルトが死ぬかもしれないんですか、もう理由を言えないって言うのは無しにして下さいよ!」

 詰め寄るように質問を重ねた。

 ハルトの父は固く眼をつむると、何かを堪えるように黙した。

 三人はハルトの父が自ら口を開くのを待った。

 廊下には雨がアパートを叩く音と大粒の滴が落ちる音が暫くの沈黙を埋めた。

 ハルトの父はきつく瞼を閉じて眉間に皺を寄せた。


 そして数時間前の出来事を語り始めた。

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