第35話 日本のママ 3

 ソウゴは一つ息をいれると、背もたれに体を預けた。

「その日にパイは死んだよ」

 ソウゴは抑揚無くそう言った。

「死んだ?何で」

「俺のせいで片付けが遅くなって、押し入った強盗に鉢合わせてさ、腹部を撃たれたんだ。そのまま失血死した」

「そうだったの、、、ソウゴに父さんはもう居なかったんだ」

「ああ、日本に来る前に死んだんだ。パイが死んで、当然そんな状況で日本行なんて消滅したと思ってた。俺自身パイが死んだ責任を感じていたから、ブラジルで家族の為に力を合わせて生活して行かなきゃと思ってた」


 ソウゴ達は父を河の畔の墓地に埋葬し、白い十字架を立てた。突然の父の死を受け入れられず、皆言葉数も少なく十字架を見つめていた。この下に数日前に抱きしめてくれた父が居るなんて受け入れられなかった。

 そんな中、母がソウゴに歩み寄り、帰ったら日本に行く準備を始めなさいと言った。

 ソウゴは見上げて母の表情を伺おうとしたが、陽光がそれを遮り、眩しさに目を細めた。

「マイ、俺行かないよ。ブラジルで一緒に頑張るよ!」

 ソウゴはそれが当然の選択だと思った。正しいことだと。だが身をかがめた母の表情には怒りが籠っている。どうしてだろうとソウゴは思った。

「ソウゴ、あなたの助けは要らない。日本に行きなさい」

 拒絶。そうとれる言い方だ。

「どうして?俺だって家族の助けになれる。パイの代わりにレストランで働ける」

「ソウゴ、パイはそんな事望んでない。パイとの約束を果たしなさい。パイは死んでしまったけど、パイとの約束は死んでいないでしょ!」

「そうだけど、皆が大変な時に俺だけ日本になんて行けないよ。お金だって掛かるんでしょ。パイが居なくなってどうやって生活していくの」

 それを聞いて母は烈火の如く声を荒げた。

「いい加減にしなさい!あなたがここで出来る事は何も無い!日本に行かなければパイに嘘を付くことになるのよ!何が起きたとしても言い訳の理由にはならない!パイとの約束をパイのせいにして破る気なの!それは卑怯者のすることよ!あなたはそんな男なの!それでパイの息子だと胸を張って言えるの!家族の為に何かをしたいなら、日本で何かを成せる男になって来なさい!パイとの約束を果たしなさい!」

 言い終わる頃にはボロボロと母は泣き、両手で顔を覆った。ソウゴは父が自分にしてくれた様に母を抱きしめた。

 母の涙に、母の心情を察し、覚悟から発せられた虚勢と言動の真意を汲んだ。小さく震える母に、父の白い十字架に、約束に違わぬ男になると誓った。そして言った。

「マイ、わかったよ。ごめんね。暫く行ってくる。離れていても心はマイ傍に。僕も、パイも」

 足元の白い砂がスニーカーを沈めるが、両足で踏みしめて母を抱く腕に力を込めた。


 そして日本に来た。見たかった日本の風景を見て、行きたかった場所の雰囲気を感じ、立ち直った日本の今を知った。


 そして方向を見失った。最初は祖父の夢のバトンを受け取って、受け売りの夢でもハッキリと日本に行きたいと方向は決まっていた。しかし、目下の本懐を遂げてしまえば、次の『自分の力で稼げるようになってブラジルの地を踏む』と言う目的は余りにも漠然としていて、何をすれば良いのか具体的な目標が無かった。それはまるで大海の漂流者が見えない陸地を目指すような行為に等しかった。

 具体的な目標を持てずに日本の小学校へ通い始めたが、授業の中から目標を見つけられる気もしなかった。なによりソウゴを落胆させたのは同窓生の存在だった。彼等はブラジルでは信じられない程、子供ながらに多くの物を持っていた。服、ゲーム機、金、携帯。全てあるにも関わらず更に欲する欲深い姿。嫌悪感すら覚えた。こんな奴らと共に過ごす時間が無益だと感じ、ましてやこいつらの中から仲間など現れないと早々に結論付けた。自然と小学校へ通う足は遠のいた。

 ただし、パイとマイとの約束を諦めた訳では無い。学校へ行くと言って家を出て、その道を外れ川沿いなどで時間を潰し、図書館が開くとヒントを得られそうな本を片っ端から貪り読んだ。小学生がこんな時間に何故と訝しんで様子を伺う人も居たが、ソウゴの容姿を見て声を掛けてくる人は居なかった。所詮外国人の扱いなのだ。ただ、例外もあった。

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