第33話 日本のママ 1

 ソウゴは日系四世だ1908年、高祖父母が産まれたばかりの曽祖父を連れて神戸湾より笠戸丸にて新天地ブラジルを目指して海を渡った。

 総勢781人の移民団だった。サントス港で下船しコーヒー農園で働いた。

 当時は奴隷に近い様な扱いで労働を強いられたが一生懸命に働き曽祖父の代ではマリンガと言う土地に自分の農園を持った。祖父は次男だった為、農園は継がず学業に励んだ。その頃は日本人学校も誕生し教育の必要性が見直され始めた時期でもあった。元々勉学が好きだった祖父はサンパウロ大学の教授を務める程になった。

 ソウゴの家では家族が集まる度に祖父が語る昔のエピソードがある。

 当時祖父が学生の頃の話だ。1945年第二次世界大戦が日本の敗戦で終戦を迎えた。日本の年号にすると昭和20年の出来事だ。

 祖父も日本の敗戦を知った。日本で過ごした記憶など無かったし、親戚達の顔も知らない。けれども日本人としての誇りと自覚と自国を愛する愛国心は他の日本人と同じだった。日本の敗戦は悲しかった。日本はどうなるのか、残った親戚たちはどうなるのかと熱いものが込み上げてきた。ブラジルの街は平和が訪れる御祝で賑わっていた。

 祖父は喧騒を離れ学校の校舎で隠れるように泣いていた。そこに校長が来て大きな手をうずくまった祖父の小さな背に置いて言った。

「その様に悲しむのは当たり前のことだ。君の民族、君の国が負けたのだから。そんな気持ちを持つ君を尊敬する。しかし、惨劇は終わった。挫けてはいけない。泣くな。日本の海が無くなった訳では無い、日本の空が無くなった訳では無い、日本の人も残っている。日本はきっと立ち直る、君はその日の為に勉強しておかなければならない」

 祖父はその言葉に勇気と目標を貰ったそうだ。日本とこのブラジルに貢献できる男になろうと誓い実践した。終戦後日本人移民受け入れの再開にも尽力し、サンパウロ大学では地元学生の教育に貢献した。そんな祖父がそのエピソードの最後に必ず口にする常套句がある。

「今の日本を自分の目で見てみたい」そう締めくくる。

 言葉とは裏腹に祖父は日本の復興と立ち直る姿を見ることを、人生の夢として生きて来た男だ、その本願を自身の目で見て叶えてしまっては夢は終わりを迎えると知っているから実現しようとはしない。

 生きている間は夢の中。ロマンチックなのだ。幼少期からその話を繰り返し聞かされてきたソウゴは自然と日本に興味を覚えた。


 その祖父の一人娘がソウゴの母で、ソウゴの父はポルトガル人系だ。ソウゴは男ばかりの三人兄弟で、当時長男が一五歳の高校生、次男が十歳の小学四年生、末っ子のソウゴが七歳で小学二年生だった。

 両親は結婚後にレストランを初めた。食堂に近いような店だがよく流行っていた。客には日系人はもちろん、様々な混血人種の地元の人達が利用した。

 ブラジルにはこんな言葉がある。『ジャポネス・ガランテード』信頼できる日本人と言う意味だ。勤勉で実直な日本人はブラジルの国でその立場を確立していた。

 その信頼に加え、両親の作る料理が人気を呼んでいた。ブラジルではポピュラーな料理。フェイジョアーダ(豆の煮込み)、タピオカ(ブラジル式クレープ)、ポン・デ・ケイジョ(スパイシーな団子)などはもちろんのこと、オリジナルで大豆をサトウキビで煮た甘納豆やヤキソバ、いなり寿司などを提供していた。そのメニューのバラエティーが客を飽きさせなかった。

 ブラジルは多くの移民が流入して出来ている国だ、その潮流にのって食文化も持ち込まれる。それはブラジルの気候と風土に合わせてアレンジされ受け入れられて食されてきた。そんなブラジルの雰囲気に店がマッチしていた。


「俺はあの店が好きでさ、夜になると仕事を終えた人達が料理と酒と会話を求めて集まってくるんだ。暑さが和らぐ夜は過ごしやすくて、皆その時間を楽しみにしてるんだ。店の軒先に並んだ机で、料理と酒を楽しみながら夜を過ごすんだ。大きな声で会話する人達もいれば、飲んでいるのか寝て居るの分からない様な客がいたり、みんな思い思いの時間を過ごすんだ。そんな人達に交じって日本の話を聞くのが好きだった、いい加減な日本像を語る人もいたけど、今の日本を知っている人も居てさ、写真で見た原爆で焼け野原となった日本はもう無いんだって、ブラジルよりも経済発展を遂げているって聞いて益々日本に興味が湧いたんだ。あの店は俺に夢を与えてくれた場所なんだ。夜にさ、少し離れた所から店を見るのが好きだったんだ。暗い夜、闇の中に現れた光のオアシスみたいで、聞こえるか聞こえないか位の声が店の黄色い灯りに乗って闇に寄せたり返したりして安心を運んでくるんだ。遠くの空で稲妻が光ってもここなら安心だって自信が湧く場所だった」

 ソウゴは懐かしそうに手元を見つめて目を細めた。そして話を続けた。


 ソウゴの家はレストランから1キロ程離れたアパートだった。両親はレストランの仕事の為夜は居ない。夕飯は母の用意した食事を兄弟3人でとる。夕飯での話題はもっぱら誰が日本に行くかと言うことだ。両親は父の『立ち直った日本を見る』と言う、温めていた夢を息子に果たさせようとしていた。その白羽の矢は長男のリュウジに刺さっていたがソウゴは納得していなかった。日本には自分が行きたいのだと両親に何度も直訴したが受け入れられず、何よりもリュウジ本人が頑としてその役を譲ろうとしなかった。その為夕食で顔を合わす度に交渉したが前進はなく、しまいには次男のカズマまでもが行きたいと便乗してくる始末で混沌を迎えていた。

 一向に快諾しないリュウジにとうとうソウゴは拳で挑んだが、拳での語り合いはリュウジの一方的な独壇場となり、得た成果は顔に痣を幾つかこしらえただけだ。

 だが今夜は違う。交渉について勉強をしてきた。まずはカズマだ。誰が日本に行くかの話題を今夜も出したがカズマは身を乗り出して俺が行くとは今夜は言ってこない。事前に話をしてある。日本がどんな国か教えてやったのだ。

「忍者や侍がいて腰に刀を挿している。刀って言うのはマグロをさばく包丁みたいに大きなナイフで、侍はその刀の切れ味を試す為にすれ違う人を切ることもあるんだ、バサーって」

 カズマは目をむいて固まっている。

「それに日本は近づく船に大砲を打ち込んで上陸させないようにするんだぞ。もし上陸できてもキリスト教の信仰は日本では禁止されているから、みつかると酷い拷問を受けて殺されるんだ」

 カズマは胸の前で手を組んで祈りのポーズになっている。

「カズマ、日本は辞めておけ」

 そう言ったソウゴの言葉に大きくカズマは頷いた。カズマ、無知は罪だぞソウゴは思う。

 カズマの懐柔は済んでいる。借りて来た犬の様に大人しい。リュウジとソウゴが日本に行きたいと言い合っているのが不思議でならないと言う顔でその場を静観している。

 次にリュウジだ。さすがに高校生のリュウジには過去の日本の話で言いくるめることは出来ない。今までは勢いと自分の主張だけで日本行を得ようとしていたがそれではダメだ。リュウジの主張を聞き、リュウジにバトナを認識させる必要がある。

 バトナとはBest Alternative to a Negotiated Agreementの頭文字を取った言葉で簡単に言えば(相手の提案に合意する以外の選択の中で一番いいもの)と言う意味だ。つまり、日本には自分が行くべきと盲目的になっているリュウジにその選択以外で最もよい選択肢を提案して気づかしてやることだ。

「リュウジ日本には俺が行きたい」食事の手を止めて切り出した。

「黙れソウゴ。その話は決まっている」

 リュウジは聞く耳を持たない。上等だ。

「リュウジが行けばマリアーナはどうなる」

 マリアーナはリュウジのガールフレンドだ。リュウジが好きで、好きでやっと口説き、付き合い始めたばかりだ、これには後ろ髪を引かれるだろう。案の定、食事の手を止めて鋭い視線を投げて来た。

「お前の気にする事じゃない。マリアーナは待っていると言っている」

 そう言ってリュウジは食事を続けようとフォークを取った。

「リュウジ知ってるか、最近リュウジが日本に行く噂を聞いてサムエルがマリアーナにちょっかい出してるぞ、マリアーナも満更でも無い感じだし、日本に行ってる間にあの二人できちゃうんじゃないの」

 リュウジは上げたフォークを再び置いた。眉根が寄っている。効果があったようだ。

「そうなったら仕方がない。諦めるさ、ソウゴ知っているか?日本の女性は素晴らしいんだ、男の言うことに口答えをしないし、並んで歩く時も二歩下がって後を付いてくるんだぞ、そんな従順な女性はこの国にいない。俺も日本で大和撫子を彼女にするさ」

「バカかリュウジ!無理するな、マリアーナの情熱的なところが好きなんだろ、並んでベタベタしながら歩くのがお前大好きじゃねーか」

「違う、俺はマリアーナの女性的な部分に惚れたんだ、ベタベタするのもマリアーナが喜ぶから、、、」

 リュウジは声のトーンと視線を机の落とした。

 よし、リュウジのヤツ何だか寂しそうにしてる。これは効いている!

「マリアーナみたいな女は日本に居ないんじゃねーか?それにさ、リュウジの夢はどうするんだよ」

 今度はリュウジの進路をバトナとしてぶつける。

 リュウジは夢?っと行って、しかめた顔を再びこちらに向けた。

「日本行の話が出るまでは神学校に行く予定だったろ、神父になりたいんだろ?それはどうするんだよ。日本に行って神学校に通えるのか?神父の夢は諦めるのか」

「お前なんでそんな事まで知っているんだクソガキが」

 あきらかにリュウジは狼狽している。情報は力だ。

「日本に行くのはリュウジの夢の遠回りになるんじゃないのか?何をしに日本に行くんだ?全てを失うだけじゃないのか」身を乗り出して訴えた。

 ギャシャンと机の皿が浮く程強く両手を叩きつけてリュウジも身を乗り出してこちらにナイフを向けている。カズマは怯えた犬のような表情で目をむいて固まっている。

「だまれソウゴ!女は日本で探す。神父にも必ずなる。日本へ行く経験は無駄にはならない!俺は行ったことを実現する男だ。日本行もお前には譲らない!」

 そう言ってこちらを見つめる目からは強い意志を感じる。

 優勢かと思っていた交渉だったのに、こんなに準備をして、こんなにも訴えかけているのに頑として譲らない。ソウゴの瞳に熱いものが込み上げて溢れた。

「リュウジ何でだよ、お前はこの国に大切な人がいるじゃないか、叶えたい夢があるじゃないか、俺にはこの国に何の未練も無い。俺の夢は日本に行って日本を見る事なのに、リュウジは自分の夢を捨てて我慢してまで、俺の夢を邪魔するのか!長男の使命感だけで日本に行こうとしてるなら譲ってくれよ。俺がじいちゃんの本願を果たすから」

 涙ながらに訴えるソウゴを静かに見つめながらリュウジは腰を降ろした。ソウゴは皿に涙を落とし続けている。その様子を暫く見ていた。

 リュウジが口を開いた。

「ソウゴ分かったからもう泣くのを止めろ。それがお前の夢なんだな」

 ソウゴは先ほどのリュウジに負けない強い視線で返事をした。

「なら、日本にはお前が行け。譲ってやる」

 リュウジは皿の豆をフォークでソウゴの皿に飛ばした。

「本当かリュウジ!良いのか!」

「ああいいよ、そこまで言われちゃ譲るしか無いだろが、けどなソウゴ、最後に確認するけど外国に行って暮らすんだぞ、家族も居ない場所だぞ、お前が思っているほど甘くないぞ。本当に大丈夫なのか?」

 ソウゴはガッツポーズを繰り返している。

「大丈夫!俺頑張るからな!やっぱり譲らないって言いだすのは禁止だからな」

「お前こそ、ここまでごねたのに、やっぱり行きたく無くなりましたは禁止だからな」

「大丈夫!絶対に言わない!死んでも言わない!」

 リュウジは笑顔で肩を竦めると飯を食べようと促した。

 ソウゴは飯を掻き込み両親のレストランへ、リュウジは飯を掻き込みマリアーナの元へ、残されたカズマは今夜の片付け当番は俺じゃないのにと思いながら食後の皿を洗った。

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