四章 ままならぬ人の生よ
第29話 生を受けた意味
バイトの前に少し早目に家を出た。
文房具店は何処も正月休みの為に閉まっていた。仕方が無くコンビニでありきたりな鉛筆と鉛筆削りを婆ちゃんの為に選び、江島さんに先日のお礼にワンカップを購入した。これはちょっとした仕掛け付きだ。
本当であればせっかくなので高価な鉛筆が欲しかった。正月休みが明けたら文房具店で一番高級な鉛筆を沢山買って婆ちゃんをビックリさせようと企み、値段を聞いた時の驚く表情を想像して一人破顔した。
バイト先の高幡不動へ向かう為バイクを走らせていると一軒の子供用品店が開いていた。三箇日中に営業している商店も珍しく、特に何を買うでもなくバイクを止めた。
店内には意外にも親子連れの買い物客の姿が多く賑わっていた。
壁の高い位置まで配置された子供服を柄の長い棒を操り、母親が取り下ろしている。器用なものだと感心していると足に何かが触れた。視線を落とすと俺の膝上程度の身長の少女が見上げていた。俺の顔を見るとパチパチまばたきをした後、何も言わずに反転してトテトテ走り去って行った。
何て愛らしい後姿なのかしらんと男の俺ですら母性が芽生えてしまう。当時のサクラ位の年齢だろうか、そう思う。そんな後には必ずサクラの姿を投影し、重ねてしまう。そして堪らない気持ちになる。あんなに小さかったサクラを殺すなんて、当時の両親がどれだけ追い詰められていたのかは母さんの日記からもわかる。けれど、どれだけ追い詰められていたとしても理解することはおろか、容認などできる筈も無い。そう考えていると自然と考える事は父さんの遺書に行きついてしまう。それを今考えるのは止そう。婆ちゃんに意見を仰ぐと決めたのだから、それについての思索を止め、足を進めた。
店内をフラフラと見て回ると子供向けの文具なども陳列されていた。何かのキャラクターが鉛筆の周りを彩っている。これを婆ちゃんに買って行っても面白かったかなと思う。
更に店内を回るとオムツや子供用の椅子、食器に玩具、ベビーフードに前掛けなど様々な子供用品が並ぶ。
キャラクターで装飾され、サイズは小さく作られているが基本は大人でも使用する物を子供が使いやすい様に工夫されているのだと気付く。自由に体を操るようになれるまで子供は不自由だ。その補助を道具の機能に頼り、補佐を親の愛情に頼って成長してゆく。そう考えると子供用品は不自由な大人にとっても使い勝手が良いはずだ。婆ちゃんの病室での様子を思い起こす。
自然と進める足が速くなった。
痛む体を起こして、コップの水を婆ちゃん飲んでた。
食器のコーナーへ駆け寄る。ストロー付のコップ。良い!柔軟にストローが屈曲し、尚且つ水路が閉じない。これなら寝たままでも水が飲める。
いつも婆ちゃんのコップには氷が入っていた。たまに氷だけを口に含んでいたこともある。きっと毎回自分で廊下の製氷機へ取りに行っていたんだ。大変だったろうに。
それなら、保冷水筒が良い!早足に氷が入れ易い口の大きな水筒を探す。俺が見舞の度に氷を水筒にいっぱいにしてあげよう。良い考えだ!
着替えも大変な筈、食事をこぼして着替えたりしなくていい様に涎掛けも買おう。これはばぁちゃんさすがに嫌がるかな?
それに手が汚れたりしたら直ぐに拭けるようにウェットティッシュもいいな!
一つ、また一つと買い物籠に用品を入れる度に婆ちゃんの不自由を取り除いている様な気になれた。婆ちゃん自身が出来ないことを俺がしてあげられる。婆ちゃんの事だけを考えて婆ちゃんの為だけに使っているこの時間が幸せだった。俺にしか婆ちゃんにしてあげられない事をしていると言う自負が胸を熱くした。
今までだって有った。婆ちゃんと旅行をしたり、プレゼントを贈ったり、婆ちゃんの為にしてあげたことは幾つもある。けれどそのどれとも違う。幾らお金を使おうが、幾ら時間を使おうが、その量と長さで恩返しという実感を得られたことなど一瞬たりとも無かった。今こうして婆ちゃんが出来なくなってしまい不自由を感じる事を補う。俺にしか出来ないことをしている。それが俺に恩返しの実感を与えてくれている。俺がこの世に生を受けた意味ですらあると、今本気で思っている。
金額はそれなりになった。バイトの時間もとっくに過ぎた。バイクで運ぶには不安定な程の荷物の量だ。それが何だ。それがどうした。そのどれも俺の胸に満たされた多幸感を削ぐ要因になり得なかった。俺が婆ちゃんを助けるんだ!俺が婆ちゃんを守るんだ!
「ジャマできるもんならしてみやがれー」
一人空へ咆哮をあげてバイクをとばした。
冬の空はただ青くそこに有って全てを吸い込む様だ。
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