第18話 ミズキとヒカル、ハルトの元へ 3
エアコンの吹き出し口から全力で温風が吐き出されている。風向きを、かじかんだ手に当たるように調整しながらミズキが聞いた。
「おばぁちゃんはさ、ハルトが家に居るの、知ってるの?」
さっきの自信に満ちたおばぁちゃんの顔を思い出していた。
「イヤー知らないと思うよ、何となくそんな気がするだけなんじゃ無いかな?」
ミズキはハンドルを持ち替えながら送給口の前で左右交互に手ひらひらして温めていた。
「けど自信満々って顔していたよ」
「うん、あのばぁさんは、そういうこと良く言い出すんだよねー」
多分おばぁちゃんの声色を真似ようとしているのだろう、芝居がかった言い方でヒカルは続けた。
「根拠は無いけど自信はある。みたいなことを言うの、けどそう言うときのおばぁちゃんの勘って不思議と当たるのよこれが。ちょっとスピリチュアルなとこあるのよ」
へぇーとおばぁちゃんの意外な一面にミズキが驚いているとヒカルはバックから携帯を取り出した。
やっぱりハルトに連絡してみるのだろうか?横目でチラリと覗くと、どうやらメールをチェックしているようだ。
「みっちゃんが変なイタズラするから充電が切れそうだよー、使えなくなると困るのにー」アヒルの様な口をして拗ねている。
私もあんな仕草が自然と出来れば、少しは女らしくなれるのかなと思い、自分のアヒル口を想像してみたが、可愛いアヒルにあの愛らしい口が付いているから似合うわけで、私みたいなどちらかと言えば肉食獣の様な女に、似合うはずなどなかった。
例えるならアヒル口のワニ・・・バカバカしい。
「誰かの連絡まっているの?」
「うん。カ・レ・シ」
凄く嬉しそうだった。聞くんじゃ無かったと思ったが、もう遅い。ヒカルは一人で浮かれ始めた。
「一週間前に駅前でナンパされちゃったの、そのままご飯食べに行ってね、私のこと凄く愛してるって言ってくれるの、話も合うし、優しいから流れで付き合うことになったの。背も高いし、どことなく若い頃の加山雄三に似てるのー渋いでしょー?彼から連絡が来るかもしれないからさ」
つい最近も何処かで同じような話を聞いた。この話の続きも知っている気がする。確かこうだ。
「けどね、直ぐにホテルに誘われるの、けど私体は男のままだし、そういうのは言うといつも喧嘩になるからまだ言ってなくて」
予想は的中。何回だろうか同じ話を聞くのは、相手は違えど話の内容は変わらない。毎回話を聞く度にヒカルに苦言を呈している。
本当の幸せでは無いと、本当の愛では無いと言うことを何度も言っている。それを体験したことは無いけれど、ヒカルのしていることが、それに当てはまらないことだけは分かる。今日はとことん言ってやる。
ヒカルはまだ何かを喋り続けていたが、ミズキがバカじゃないの?と遮った。
「ヒカル。毎度も同じ様な男に引っかかってさ、いつも言ってんじゃない、そいつらはヒカルのことを愛してなんかいないって」
ミズキの剣幕にヒカルも言い返す。
「みっちゃんは慎重過ぎるんだよ。先の未来なんて進んで見なければわからないじゃない。私は石橋を叩かないで渡るタイプだけど、みっちゃんは石橋を叩いても渡らないタイプだよね石橋を渡った後に落とし穴があるかもぉーって心配して結局同じ場所から動いてないじゃん。人の石橋まで叩くの止めてくれない?」
ミズキはハザードを点けて車を路肩に寄せた。これから何が始まるのかヒカルも察したらしく助手席で慌てている。
「えぇ?みっちゃん、怒ったの?ごめん、ごめんね、ごめんなさい。今回は大丈夫だから、今回は気を付けるから叩くから石橋叩いて渡るから」
「前回も言った」
ミズキは大声で突っぱねた。車が完全に止まる。
「イヤー止めないで」
ヒカルが悲鳴のように叫んだが、ミズキは構わずサイドブレーキを思い切り引く、ギギーとブレーキ音が車内に響くとヒカルは取り乱した。
「やめて、やめて、お説教に集中しないで、せめて運転しながら、ながら説教にしてよ」
懇願されたが聞く耳を持たず、ミズキはヒカルに向き直った。
「あんたね、嫌われるのが嫌だから本当の事を言わずに誤魔化すなんて、いつかばれるに決まってるじゃない。現にばれたこともあるし、それでキレられて殴られたことだってあったじゃない。そんなことをする関係になる前にヒカルのことを全て知って、それでも愛してるって言ってくれる相手を探さなきゃ。いつまで経っても同じことの繰り返しでしょ、どうしてそんなことが分からないの!」
一気に言い放った。子供の頃からの付き合いである、ヒカルには幸せになって欲しい。人よりも生きにくい性質のヒカルだから、傷つけられ易い体質なのだから。幸せを感じることが無くとも、せめて辛い思いをこの先しないでほしい、出来るなら誰よりも幸せになって欲しい。そう切に願うあまり自然と口調が強くなってしまう。
「私にはヒカルが自分で苦しみに進んでいるようにしか見えない。バカにしか見えない。意味が分からない」
だってーと、いじける様な口調で唇をとがらせてヒカルが言い訳を始めた。
「一人で居ると寂しいじゃん、好きだって言われると私も好きかなーって思って来ちゃうし、好きな人の求めることなら何でもしてあげたいじゃん」
ヒカルはフロントガラスの先、何処とも分からない所をみつめ、ポソポソと小さな声で言った。
自分の気持ちを告白しているヒカルの横顔を見ていると、その素直な生き方が羨ましく思うこともある。ヒカルのことを認めてくれない両親との確執や、自分の思うままに生きることで角が立つ場面もあるが、それを意に介さなければ自分の思いや考えに誠実に生きているだけで、私みたいに親に決められた道を外れないように進む、向けられたライトの光線のように進路を使い手に委ねる生き方に比べれば、その自由な生き方が特別で、輝かしく映った。
自分の行動を疑わないことと、他人に従う自分を疑わないことは違うことだと私は思う、その違いがどれだけ大きなことなのか気がついていないヒカルを案じて、こうして語気を荒げ良い方向へ導けるように助言しているつもりでいるが、心の何処かではヒカルの様に生きられない私が、ヒカルへの妬みや、嫉妬心から当たっているだけの浅ましい人間なのではないか、そう思ってしまうこともある。しかし、今はそんなことは棚に上げる。自分のことは一時置いておく。今は腹に抱えた言葉を吐き出さなくては気が済まない。
「ヒカル!あんたの言っていることは勘違い!あんたはあいつ等のことなんて好きでも何でも無いの!ヒカルが言っているのは訪れた季節に心奪われる様な刹那的な感情と同じなのよ」
ヒカルは納得出来ないと言う渋い顔をしている。
「例えばね。あぁ夏だ、肌を焼く日差しが心地いいなぁ。私。夏が好き!とか、あぁ冬だ、雪が全てを覆い隠し世界を白く染めてゆく、この世の罪が全て許さてゆくみたい。私。冬が好き!って言っているのと同じで季節全体を捉えずに良い側面だけで評価して、簡単に佳と結論に結び付けちゃう。その癖過ぎた季節を振り返って懐かしむことも、戻らぬ時間の愛しさに胸を痛めることもしない。それと一緒でしょ?今までの付き合った男で、過ぎた季節を思い返し、過去を追懐したときに浮かぶ笑顔がある?今も胸が締め付けられる相手がいる?居ないでしょ!ヒカルはね本当は薄情なんだよ!最初から本気で付き合う気が無いからそんないい加減な恋の始め方ができるんだよ!ヒカルが好きなのはその男じゃなくて、恋が好きなんでしょ?その男も好きなのはヒカルじゃなくてSEXだよ。男と女ならそんなお粗末なスタートだったとしても本当の愛に発展する可能性もあるけど、男どうしじゃそんなことも期待できないし、ヒカルのしようとしていることは無償の娼婦だよ」
ヒカルは両耳に人差し指を押し込んでフロントガラスの先を睨んでいる。どうやら本気で話を聞く気は無いようだ。ミズキにはその態度が癇に障った。
「ヒカル!聞いてんの?」
ヒカルの耳から指を引っこ抜いた。
「あんたが女ならヤリマンだけど、体は男だからヤリチンなの?あぁややこしい、あんたみたいな人間も学名でHomo sapiensと呼ぶべきなのかしらね?次の論文のテーマにでもしようかしら。とにかくあんたは、あばずれのろくでなしだってことよ!」
まるでヒカルに恨みでもあるかのような口ぶりだ。
言い放った後でハッと我に返った。流石に言い過ぎた。調子に乗ってヒカルの人格を否定するような言葉を軽率に口走ってしまった。ヒカル自身が一番悩み、苦しんでいることを引き合いに出して、侮蔑する言葉を放ってしまった。
ヒカルはどう感じているだろうか・・・?
考えると急に怖気づいた。今まで自分のことは棚に上げて感情に任せて吐き出した言葉がどれだけ傷つけたのか、ヒカルの為にと掛けた言葉でヒカルを蔑み、ヒカルの為にと導こうと手を引いた先で人格を否定して貶めるだけの責苦へ追い込んだだけだ。だれよりも近くで、誰よりも強くヒカルを傷つけ、悲しませたのは私ではないのか?
ヒカルは先ほどと変わらない態勢ではあるが、何処となく表情が暗い。目を細め更に遠くを見ている気がする。
不意に名前を呼ばれた。
「ねぇ、みっちゃん」
私を呼ぶヒカルの声も何処か沈んでいる。気がする。ヒカルに何を言われても仕方がない、言い過ぎた私が悪いのだから、どんな悪口雑言も甘んじて受けようと覚悟を決めた。
しかし、いつまで待ってもヒカルは何も言っては来ない。ただ、フロントガラスの先を見ている。最早、凝視している。ときに小首を傾げたりしている。
「ヒカル?」
こちらから声を掛けてみるが反応が無い。
「ヒカル!」
今度は声を掛けて肩を叩くと、ヒカルはビクリと小さく肩を上げて反射的に私の名を、うわごとのように呼んだ。しかし、視線は前に向けたまま茫然自失の体だ。
私はなんてことをしてしまったのか、責める言葉を失う程にヒカルを追い詰めてしまった。あやまろう、そしてこれからもヒカルとは友達でいたい。今回のような私の態度を反省し、改めよう。純粋な友を口汚く罵り、罵倒して傷つけてしまった。私の愚かな行為をかけがえの無い友に謝罪しよう。
その思いは口より先に体が反応した。瞳に涙が瞬く間に溜まり、流れ落ちた。口元は歪み思う通りに動かすことが出来ず、謝罪の言葉を口に出すことができない。何とか言葉を絞り出そうと悔恨の気を飲み下し一息入れた。その瞬間。
「ねぇ、あれ芸人の三井・ワールドじゃない?」
語尾が妙に下がるイントネーションで言って、こちらにヒカルが振り向いた。その表情には私が危惧していたような哀しみや怒りの色は一抹も無い。むしろ今まで視確しようとした対象が、ハッキリと認識できた清々しさすら漂っている。
思わず私の口を衝いて出た言葉は謝罪。では無かった。
「いつから話聞いて無かったのよ!このばか!」だった。
涙を流し歪んだ顔に心からの安心が加わり、泣き笑いのくしゃくしゃの顔で虚勢を張る私の顔を見て、ヒカルは何が起こったのか分からないと言う顔をしていたが、私の状態がさぞかし面白かったようでヒカルはたっぷりと三分は大口を開けて白い歯を全て見せながら、それに見合うだけの声量で笑い続けた。
「みっちゃん何か言ってた?聞いて無かったーごっめーん。すっごい顔怖いよ」
全く私の言っていたことを聞いて無かった様子で素っ頓狂で的外れな返事が返ってきた。
「何でも無い・・・」
くしゃくしゃの顔に涙を撫で付けて笑顔を作った。きっと泣いているときよりもいっそう不細工で怖い顔をしている思う。
謝るつもりが謝られ、大泣きさせるようなことを言ったのに大笑いしている。そんな、人と感性のずれているヒカルに結局私は今日も救われる。
ヒカルが胸元からハンカチを出して私の涙を可哀想にこんなに泣いてと言いながら拭ってくれる。良い匂いがする。
ヒカルが三井・ワールドでは?と言っていた人物は、ヒカルがたっぷりと三分も笑い続けていたお蔭でとっくにその姿は無く、私が実際に確認することは出来なかった。どうやら偶然にも車を止めた場所は、ハルトのおばぁちゃんが入院している病院の正門付近だったようだ。
「この病院に通院している噂本当だったんだ」
私の横で写真撮れば良かったとか、携帯の充電がやばいから無理かとか一人で話している相手に、諭す為の議論を続ける気にもならなかった。
ヒカルの恋愛は私自身が例えたとおりで、それは四季の移り変わりのように自然な現象であって、人智の及ぶところではないのかもしれないと自説に論破されるような形で諦めた。
私はどんな時でもヒカルの味方でいる。それだけが正しいことなのだと、今回の一人相撲で悟った。それで満足だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます