第16話 ミズキとヒカル、ハルトの元へ 1
ミズキは車を止めると、バックから携帯を取り出しヒカルにコールした。三十秒程コールは続いたが出ない。
携帯を助手席に投げ出して微かに聞こえるコールをよそに外をみている。
五分は続けただろうか、ようやく無機質なコール音がんだ。携帯を拾い上げる。
「みっちゃんごめーん、重箱詰めていたから電話に気がつかなかった」
のんびりとしたこの声を聞くと何だか和んでしまう。
「何で重箱なんて詰めてるの?」
重箱に料理を詰めながら電話しているのだろう、受話器の向こうで話し声に混じって作業する音が聞こえる。
「ハルトの所に行くって言ったらさ、ハルトのおばぁちゃん入院していてハルトが一人で居るから、美味しいもの作って持って行ってやれってうちのおばぁちゃんに言われたからさ」
確かヒカルのおばぁちゃんとハルトのおばぁちゃんは昔からの友人だと聞いたことがある。
「ふーん、行くけどさ、今ハルト居るかわからないよ。居なかったらどうするの?」
「玄関にでも置いて帰るか、二人で食べちゃおうか?」
いつもながらヒカルの考えは場当たり的でふわふわとしている。
「ハルトに電話して今何処に居るか聞いてみようか?」
それが一番確実だと思う。しかしヒカルから賛同は得られなかった。
「いいよー行ってみれば分かるじゃん。面倒くさーい」
子供のようにヒカルは言った。
何が面倒臭いのか?今日はふわふわを通り越してすでに何処かに脳みそが飛んで行ったのか?この状態のヒカルを説得する方がよっぽど面倒臭いので、そう、と返して話しを変えた。
「ヒカル、携帯見てみな」
何?と言って受話器の向こうでヒカルの気配が遠のいた。
しばらくすると急にヒカルの一段ボリュームの上がった声が響いた。
「ちょっとーみっちゃん!どれだけ鳴らしてたのよー、もう携帯の電池無くなっちゃうよ!変なイタズラしないでよ」情けない声がした。
抗議しているのだけれど、何故か楽しそうに聞こえてしまう。
「早く電話に出ないからこうなるのよ。はははははは」意地悪く笑って見せた。
「私のせいなのーうぅ」
わざとらしい小芝居が始まる。これが始まると大抵は長くなる。
あえて冷たく「もう出て来れるの?」
「あぁ、はい。これから出ます」
畏まった口調のヒカルが敬語で私の小芝居に付き合ってくれる。
「みっちゃんさん。これから出ますので門を開けておいて頂けませんか?」
「なぜじゃ?」
「重箱で両手が塞がっておりますので、お手数で無ければお手を、お借りしたいのですが構いませんでしょうか?」
正しいのか、誤っているのか判らない敬語でバカ丁寧にヒカルが懇願した。
「うむ。よかろう、今から開けて進ぜよう」そう言って携帯を切った。
車を降りてヒカルの家の門前に立った。寒い。上着のファスナーを締めた。
正に門と呼ぶに相応しいから正門。まるで武家屋敷のような門構えだ。この重々しい門を見るといつかヒカルが話してくれたことを思い出す。
ヒカルのお父さんは書道家で、お母さんは日本舞踊の師範をしている。どちらもその世界では有名な人だそうだ。ヒカル自身も幼い頃に書道と舞踊を厳しく仕込まれたらしい。筋が良く、日々、目に見えて上達したらしい。自分で言うのも、と少し照れながら話をしていた。
しかしそれが良くなかった。どちらも人並み以上にこなし、才能の片鱗をみせるヒカルを両親は取り合った。このまま書道に専念すれば国の宝になる。このまま舞踊に専念すればこの国の伝統を守る礎となる。ヒカルは親の期待に応えれば応える程そのどちらかを傷つけ、軋轢を産んでしまうことに心を痛めたのだそうだ。どちらかに偏らないように双方をこなし、機嫌を伺うような日々が続いたそうだ。
それに加え、ヒカル自身の中でもあるズレを感じていた。そのズレは年々大きくなり、高校に上がる頃には決定的なものになっていた。好きな人が出来たのだ、その相手は、同姓だった。何かの間違えだと自分に言い聞かせ否定してみたが、その胸の高鳴り、話すだけで詰る息、紅潮する頬、体が恋だと証明していた。
体の性別と心の性別が一致していないのだ。とそのとき確信した。一度そうだと認識してしまえば男として生きて行くことは、男と言う身動きの取れない程キツイ着包みを纏っているようなものだ、日々大きくなる女性としての自己意識に日増しに苦しみは増していった。
一人で抱えておくにはとっくに限界が来ていたそうだ。ヒカルは両親にその事実を打ち明けた。しかし、今まで男として育ててきた我が子が、今日から女です。それは受け入れられなかった。何度も話し合った。ヒカルを理解してもらうための話し合いは、お互いに認められない部分を確認する作業でしかなかった。厳格な二人には男であるのに女であると言うヒカルの気持ちが理解できなかったし、性同一性障害という知識もなく文化人としてのプライドから、誰かに相談することも無かったようだ。結果、両親はお互いの教育を責め、最後にはヒカルを責めた。ヒカル自身も自分を責めた。
男として生きて行けない自分を悩み、責めた。自分自身が救われたいが為に家族を犠牲にしてしまったと。危機的なバランスで保たれていた家族と言う形がヒカルのカミングアウトで形骸化した。家族の形は社会への最低限の体裁を保ってはいたがその役割は完全に崩壊していた。両親との会話はなくなったが、そんな中にも救いは有った。唯一家族の中でおばぁちゃんだけがヒカルの味方をしてくれた。ヒカルを認めてくれた。
おばぁちゃんに告白したときだって。
「気づいていたよ。こんなに悩むまで話を聞いて上げられなくてごめんね」と謝られたそうだ。いつも以上に優しいおばぁちゃんの声に、表情にヒカルは堪えきれずおばぁちゃんの胸の中で子供のようにしゃくりあげて泣いたという。おばぁちゃんも両親に対して何度も説得を試みてくれたそうだが、その思いは届かず、それ以来今でも家族の中ではおばぁちゃんだけが唯一の理解者だ。
自分は家族にとっての恥なのだとヒカルは悲しそうに言う。この門の中へは入ったことは無いけれど、血の繋がっているだけの他人の様にヒカルはよそよそしく、実の親に扱われているのだと思う。
ヒカルは一方で、お父さんの書いた書画がテレビCMで放映されるのを見るとそれは嬉しそうな笑顔で観ている。いつかヒカルの家族全員が同じ笑顔で笑い合える日が来れば良いのにと、心の底から思う。
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