第15話 コタツの苦悩

 車は何処と無くセピア色の街を走り抜けた。

 流れる景色を眺めていると、病室での婆ちゃんとの会話が甦った。

『あの子が本当に殺したのかしら?』

 考えたことなど無かった。母さんが犯人じゃないなんて、警察だってちゃんと捜査しているし何より母さんは自供し犯行を認めている。もし母さんが犯人で無いのなら誰かを庇っていることになる。いったい誰を?

「何考えてる?」俺の様子を気にしたのか唐突に話しかけられた。  

 運転をするソウゴの横顔に思った。この話しをソウゴにしたら何て言うのだろうか?

 その興味は口を出てソウゴに語り出していた。

 ソウゴは俺の話を聞きながら話の長さに合わせ適当に車を走らせ、家への到着を調整して、俺からの相談と言う重苦しい形式を取らずあくまで、ドライブの一環とい雰囲気に仕立て上げてくれた。一通り病室での婆ちゃんとのやり取りを話し終えると同時に俺の家の前で車が止まった。

 今まで黙って聞いていたソウゴが口を開いた。

「おやじだろ」

「え?」何を言い出したのか?

「何が?」

「だから、ハルトの親父さんが殺したんじゃねぇの?妹をさ」

「なんで?」ソウゴには質問ばかりだ。

「わかんね。けどハルトの母ちゃんがもし誰かを庇っているのなら、お前の親父しかいないだろ」ソウゴはあっさりと言い放った。

 あの事件の後に俺が考えもしなかった臆説がこの短時間でまた一つ眼前に並べられた。今日までの間本当は、考えなかった。思わなかった。と言うよりもむしろ意識的に避けていたのかも知れない。

 頭の芯が微かに痛んだ。痛みが強くなるのを恐れ、思考を止めて俯き瞼を閉じ、痛みの疼きに意識を傾けた。

 調べてみようぜと言ってソウゴは俺の返事を待たずに車を降りて行った。後ろのドアが開きソウゴを追ってレイも車を降りた。

 小さな空間に一人押し込められたような気分になった。

 冷気から隔絶された車内、頭痛が収まるとガラスを抜けて日差しがチリチリと左頬を炙っているのに気がついた。開こうとしたオレンジ色の瞼の裏に不意に家族の顔が浮かんだ。

 サクラの伏し目がちで、常に不安を湛える横顔が。

 母さんの瞳が見えなくなるほど目を細める笑顔。

 病室のベッドの上で時より顔を歪める婆ちゃんの瘠せた寝顔。

 わずかな記憶の中の父さんが怒気を含んだ瞳で見下ろす顔。

 俺達はまだ家族と呼べるものなのだろうか?あの事件の日以来、俺達は家族では無くなってしまったのか?それとも家族へと再生する過程にいるのか?

 思考を遮るように外でソウゴの呼ぶ声がした。

 目を開き家族の残像を振り払った。調べたところで何も出ては来ないし、これまでの毎日が何か変わる訳でもない、形だけ調べてみよう。

 ソウゴに付き合ってやるかと言う気持ちで車を降りた。

 誰も待っていない家は寒いと言うよりも、冷たく感じる。婆ちゃんが入院してからはそれを毎日感じていた。だから久々に誰かと一緒にこの家に入ることは単純に嬉しかった。

 さっそく調べようと2階に上がって行くソウゴを引きとめ、コタツとストーブにまず電源を入れると、ソウゴはコタツに入って落ち着いた。

 昔から何度もこの家に来ているソウゴにとって、勝手知ったる他人の家ってヤツだ。

 そう言えば昔、俺よりも先に婆ちゃんがソウゴと友達になったのだと話していたことがあった。何の負けず嫌いだと真意は問わなかったが本当の事だったのかもと二人の親密な関係を見ていると思う。

 婆ちゃんはソウゴの裏表の無い性格に反りがあうようで、ソウゴが来ると本当に喜んだ。二人だけでも話が弾むようで、ソウゴは俺と話しているときよりも、婆ちゃんと話しをしているときのほうが、会話がスムーズに見えるくらいだ。気が合うのだろう。そんなことも有ってソウゴ自身、婆ちゃんの心残りである事件の真相をハッキリさせてやりたい気持ちがあるのかもしれない。

 レイは初めて入った家の勝手がわからない様子でタンスの上の写真立ての写真を眺めたり、置物を指先で突いたりして狭い部屋をウロウロしている。

「レイちゃんも適当に座って」と促すとピクッと肩を上げ、そのままの姿勢でソウゴの横にチョコンと座った。

 ソウゴと二人であれば無言であってもお互いに気にならないが、レイちゃんが居ると何かを話さなければと無駄にソワソワしてしまう。とりあえずお茶を入れ、煎餅なんかを盆に載せて出す。いつもなら婆ちゃんがしてくれていたことだ。それを終えると他にもてなしの方法も思いつかないのでコタツに入りお茶を啜った。

 特に会話もなく、間延びした感覚で時計の秒針が時を刻む。特別な力が時間の流れを塞き止め、ポタポタと滴下するようにじれったくしか時間が流れていかない。もしそんな能力を持った誰かがいるのなら、婆ちゃんの処に行って時間の流れを塞き止め、ガンの進行を遅らせて欲しい。それ以上の力が有るのならいっそ時間を止めて欲しい。けど時間が止まることは死んでしまうことと同義か?止まった時間の中で生きることは永遠の命とは呼ばないか?云々と世の理の外へ思考が浮遊していると意外にもソウゴが口を開き俺の名を呼んだ。

 突然の呼びかけに「はい」と「へ」が混ざった間抜けな声が出てしまった。笑いをかみ殺したレイちゃんと目が合った。恥ずかしさを誤魔化す為に咳払いをして「ん?」と両眉を上げてソウゴに向いた。

 ソウゴはコタツに突っ伏し、目だけを上げて俺の無駄な緊張とは反対に完全にリラックスした姿勢で聞いてきた。

「ハルトはさ、母ちゃんが本当はサクラを殺してないってことになったらどうする?」

 そんなにリラックスして言うことか?そんな質問をされるとは思わなかった。No motionでいきなりストレートパンチを食らった気分だ。

 どうしよう?正直そう思った。婆ちゃんに頼まれはしたが実際は本気で調べる気など無かったし、調べたところでやっぱり母さんが犯人だなっと、婆ちゃんの希望を否定する報告もしづらかった。要するに、適当に誤魔化すしか無いのかなと本当は思っていた。婆ちゃんの言っていることが、現実になる場合のことなど考えてもみなかった。

「どうしよう?」とりあえずそのまま口に出してみた。

「知らねっ」ソウゴが食い気味に返す。

 何だか冷たくあしらわれてしまったので、イジケル様にコタツ蒲団を肩まで掛けて首をすぼめた。

 なんとなく煎餅の小袋を手に取り、袋の中で砕く、食べる気は無いのでそのままテーブルへ放った。今度は足の先に意識を集めてみる、じんわりと暖められた血液が足先から廻り、体を暖めている。血流が脈動する度に足先がじんじんとする。

 暖かいなぁと思いながら、今度は自分の頭の中へ意識を向けてみる。母さんがもしもに対する名案は何も浮かんでは来ない。あんなに騒々しかった血液の脈動すら頭の中には感じられなかった。俺の頭の中には脳みそなどは入って居らず、鍾乳洞のような暗い空間があるだけなのでは?とまた迷走してしまう。何も入っていないのでは、もしもなんてことを想定することが出来るわけが無い。たっぷりと間を取ったにも関わらず結局ソウゴに同じ質問を返してしまった。

「ソウゴならどうする?」

 ソウゴは変わらぬ体勢でコタツに突っ伏していたが、もうこちらに目も向けず答えた。

「まずはお前の母ちゃんに会いに行くだろうな」

 かもしれない。

「そんで、自分で殺してないのに何で刑務所に入っているのかを聞いてみるな」

 確かに。

「やってもいないことで刑務所にいるのだから、それなりの理由があるのだろう。それからお前の母ちゃんがどうして欲しいのかを聞く、それによってその後の行動を決めるだろうな」

 おっしゃるとおり。

 俺もそれに賛成、賛同。

「よし、そうしよう。それがベストでベターだな。もしもの場合の対応はこれで完璧、考えるのはおしまい。次は行動だ」

 ソウゴの意見に完全に乗っかり、元気いっぱい拳を突き上げた。

「お前は何も考えてねぇだろ?」

 ソウゴの茶化すような目がこちらを向いた。その横でレイがまた笑いを噛殺していた。

 ストーブが効いてきたからなのか、場の雰囲気が和んできたからなのか室内が暖かくなった。

 突き上げた拳を下ろし始めると同時に来客を知らせる呼び鈴が不意に鳴った。あまりに不意だったので驚き、下げかけた拳をビクリとまた突き上げてしまった。きっとレイちゃんは俺を見て笑いを噛殺しているのだろう、そう思ったが確認するにはあまりにも恥かしかったので、あえてレイちゃんの方を見ずに玄関へ向かった。

 コタツを出ても、もう寒くは感じなかった。

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