二章 宿り木

第14話 日系四世

 病院を出ると見計らったように携帯のバイブが震えた。

 液晶画面にはソウゴと表示されている。通話釦を押して携帯を耳に押し当てると『ツーツー』と無機質な機械音が鳴っていた。切れている。

 視線を携帯から上げるとその先で、ソウゴが病院の門に寄りかかっている。まるでこの冬と言う季節自体を纏っているかの様に茶色いロングコートを木枯らしに旗めかして堂々と立っていた。銃を携帯に持ち替えたガンマンのような格好で対峙した。

 さっきまでの涙を悟られないように視線を外して近づく。

 ソウゴは日系ブラジル人の四世だ。詳しい事情を尋ねたことは無いけど、日本の親戚を頼って単身で海を渡って来た男だ。それが小学生一年の頃だから精神年齢で言うと一回りは離れている気がする。泣いていたのを悟られても、それを馬鹿にしてくるようなヤツではないけど、男は易々と涙は見せない。

 185cm以上あるソウゴの隣に立つとソウゴからは俺を見下げる格好になる。さらに俯いている俺の表情までは見えない。それに加え垂れた前髪が更に表情を隠している。ソウゴ自体俺の表情を覗いて伺おうなどと言う気もなく、体勢を変えない。

 声の届く距離にくるとソウゴが言った。

「婆ちゃん死にそうなのか?」

 相変わらず直接的な物言いをする。これが、ソウゴが人に野卑で野蛮だと誤解される原因の一つだろう。また、日系ブラジル人のソウゴの外見がそんな印象を他人に与えるのだろう。ガッチリとした体躯に少々褐色の肌、癖毛に堀の深い角ばった顔立ちと茶色い瞳。ポルトガル人の父の遺伝を色濃く引き継いでいるのが分かる。日本に来た当時は拙かった日本語も今では一切の訛りも無い。語学力含め学力は平均以上だ。その証拠に今は高専に在籍している。ソウゴの場合語彙が乏しいとか、気遣いや察することができないのでは無く、歯に衣着せぬ物言いしかできないだけなのだ。気遣いや、思いやりは言葉で表現しようとすると大袈裟になる、嘘が混じる、それが相手を更に傷つけることもある。上手く扱えないのであれば振りかざすべきでは無い。それをソウゴは理論ではなく感覚で理解しているようだ。

 察することだって人並み以上に出来る。俺の様子を見て取り察し、気遣い、ソウゴなりに選択して出てきた言葉がこれだ。つまり、心配してくれているのだ。

 どうせ表情を隠したところでソウゴには悟られている。下手な意地を捨て笑顔で向いた。

「イヤ、元気だったー。ソウゴも会ってくれば?今なら相撲が出来るくらい元気だったぞ」

 ソウゴは鼻で笑った。

「昨日、三番勝負して全敗したばかりだ」

「へへへ、そっか、今日は婆ちゃんの作った餅食ってきたよ。病院で餅なんてどうやって焼くんだって思うだろ?」

 ソウゴは寄りかかっていた門からトンと背中を離すと歩き始めた。自然と俺が付いていく形になった。 

「よかったな、正月に餅が食えて、今は電子レンジで餅が焼ける時代だからな。それに納豆でも乗せれば立派な一品だもんな」

 淡々とさっきまで特別だと思っていたことを言い当てていく。こうも言い当てられると何だか気恥ずかしい。しかも納豆を乗せたことまで言い当てるなんて。

 ソウゴに気付かれないように掌にハァーとやって口臭を確認したが自分では判らない、臭ったか?

「ソウゴ昨日来て見たんだろ?」

「相撲に夢中で見てない」真顔で言う。

「イヤ、電子レンジとは限らないぞ」と無意味な反攻に出る。

 ソウゴは少し考えるように空をチラリと仰ぎ、それだろとキッパリ言った。

 直感的な単なる勘なのか、論理的に考察した推理なのか、そのどちらをも場面で使い分けているのか、未だにソウゴの複雑な性質を判じきれないと思うことが多々あるが、そこに人を誑かしたり、惑わせたりするための悪意はなく、天候が日によって変わる、風向きが刻々変わるみたいな自然な変化だ。違和感や嫌悪感を他人に与える要素では無い。そんな捕らえきれない一面こそがソウゴの最大の魅力なのだと思う。ここに待ち合わせもせず居合わせたことがソウゴの人間性を物語っている。

 送って行くよと促され、背を追ってソウゴの車に向かった。

 ブラジルは移民が大勢流入している国だと聞いた。白人と先住民との子をマルメッコやカボクロ。白人と黒人の子をムラタ。先住民と黒人の子をカフーゾと呼ぶらしい。異民族で構成された国でブラジル人のハーフと言う表現には意味がないらしい。ソウゴの様な日本人との混血児にも呼び名があるのだろうか?何時かソウゴに尋ねてみよう。

 車のラゲッジルームでシートの背に半分隠れる様にレイが居た。助手席に乗り込む際に目が合い、「よお」と声を掛けたが、レイは会釈をしたのかシートに隠れただけなのか曖昧な速度で頭を下げてシートの裏へ見えなくなった。

 シートに腰を下ろしミラーを覗くと、レイの上目づかいの目がシートの上端からこちらを伺っている。まるで子供の様な仕草だ。

 レイは極度の人見知りだ、ソウゴや俺たち以外と話しをしているところを見たことが無い。

 ソウゴと俺は垂れた鼻水舐めながら走り回っていた頃からの付き合いだが、レイはと言えば正直いつの間にかソウゴの後ろに居たという印象しかない。

 ソウゴは聞かれないことに対して自分から説明するような人間じゃないし、聞いたところで聞いたことにしか答えない。

 確かレイについて尋ねたときは『病院にいたから連れてきた』と答えにならない答えが返ってきたと思う。

 まぁソウゴが連れて歩く子なら悪いヤツじゃないだろうと思うし、わざわざ攫って来る様な無法者でも無い、ソウゴもお年頃なのであまり野暮なことを聞くのも無粋だと、心の中の暴れ野次馬をなだめて「ふーん」と興味の無さを演出しながら返事をして、クールな男を演じていたら聞くに聞けず、そうしているうちにレイの存在が当たり前になってしまった。

 ソウゴが運転席に乗り込んだ。

「レイ挨拶したか?」と父親のような質問をした。

 レイはうんと小さく返事をして更にシートの影に顔を沈めた。

 どうやらさっきのレイの行動は挨拶だったらしい。

 ソウゴは自分で聞いておいて返答にまったく興味が無いらしく、車のルーフを左の掌でドゴンドゴンと何度も叩き上げていた。

 まったく説明の無い唐突な行動にレイと同時にビクリと肩が浮いた。

「ど、どうしたソウゴ?」尋ねながら表情を伺った。その表情に怒りの色は無く、何故か怪訝そうな顔でルーフを突き上げている。

 よく見ると運転席の上のルーフが落ち窪んでいる。どうやらそれを元に戻そうとドゴンドゴンやっているらしい。しばらくするとソウゴの中で納得の行く状態になったのか、ようやく手を止めて説明を始めた。

「さっきまでさ、レイと公園でサンドイッチ食べていたから」

 言い終わるとエンジンをかけた。

 説明は終りらしい。さすがに何も分からない。何故公園でサンドイッチを食べると車のルーフが凹むのか?余計に気になるので更に聞いてみた。

「サンドイッチって食べるとルーフが凹んじゃう食べ物だったっけ?」

「お前は何を言っているの?そんな訳無いだろが」

 だとは思っている。

「じゃなんでサンドイッチ食っただけでルーフがそんなに凹んじゃう訳?」

 ミラー確認のついでに俺の方をチラリと見て車を発進させた。

「始めは地面に座って食べていたんだけどさ、ケツが冷たくて。そしたらレイが車のルーフなら太陽に当たってて暖かそうだって言うからさ、上で食ってたらこうなった」上を指差しながら当たり前のように言った。

 何かを尻の下に敷くなり、ベンチに座るなり他に座る場所はいくらでもあると思ってしまうのは俺だけなのだろうか?                    

 なっ!とルームミラー越しにソウゴがレイに同意を求め、その表情を俺もミラー越しに盗み見たが、巣穴から外を伺う小動物のような仕草でシートから顔を覗かせ、何とも可愛らしい笑顔で楽しそうにうんと返事をした。あんな顔もするのかと少しドキリとした。

 正月に車のルーフでサンドイッチを食べているような人間が、病院で餅を食べたと聞いたところで特別なことだと感じないのは納得だ。

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