第9話 人体実験♪ 3
「知らないかい?これはね、グラフって言うんだよ。集めたデータを視覚的に表現するツールさ」
並べられた用紙の中から、数字が羅列された一枚を僕の前へ置いた。
50m走やスクワットなどの名称の下に三回分の記録がメモされている。記憶力と書かれた名称の下には正解率が記入されていた。どうやらこれは僕の絶食テストの記録用紙のようだ。
「こんなメモ見たって結果がどうだったか良く判らないだろ?」
確かに判りにくかった。違う数字が並んではいるが、それだけのことだった。絶食前と後の試験結果に大した違いは無いように思えたので首を縦に振った。
次にグラフの書かれた用紙が僕の前に置かれた。グラフのタイトルはメモ書きと同じ名称になっている。
一つのグラフには色の違う二つの線が表示され、青線が絶食前の測定値。赤線が絶食後の測定値を表現している。大体のグラフは赤線の最初の測定値が青線の値に比べて低く、その後測定の度に右肩下がりに青線の傾斜よりも激しく下降していた。
「どうだい?同じ数字を表現するにしても、グラフで見ると数値の変化が一目瞭然でしょ?ただの数字の羅列にすぎなかったのに、グラフにした途端、結果について自ら雄弁に語り始めるでしょ!」なんだか楽しそうだ。数字を扱うのがばあちゃんは好きなのかもしれない。
「反復横飛びのテストなんてさ、絶食後の測定の一回目の記録が明らかに低下しているのが見て取れるわ。その後も挽回出来ずに回を重ねるごとに記録は悪化している。明らかに絶食が運動能力に影響を与えているわね」
ばあちゃんはグラフを指でなぞりながら説明してくれた。
「反復横飛びの絶食前の記録なら、一回目の測定値よりも三回目の測定値が上回ることもあるのね」
グラフに表現された事実を、本当に楽しそうに拾い上げている。僕もグラフの語る何かを見つけたくて目を凝らした。
「これは?」
何だか他と違う推移を見せるグラフが有ったので指差した。判断力と書かれている。
「うん、うん、これは面白いグラフだね」
なんだか僕が褒められているみたいで嬉しかった。判断力のテストは、例えば赤と言う漢字を黄色で書いたカードなど、様々な組み合わせのカードを見てその色の方を瞬時に答えるもので、一分間の正解率を記録したものだ。
このグラフは絶食後の結果が絶食前のテスト結果の全てを上回り、毎回向上し、グラフは右肩上がりに並んでいる。
「他のグラフと違って食べないでテストした方が結果いいもんね。お腹空いているほうが判断力にはいいってこと?」
僕もグラフを見るのが面白くなってきていた。
「そうなるね。この判断力テストの結果は明らかに絶食後が優位を示しているものね。空腹時の方が判断力は高まるってことね。ハルトは知らないかも知れないけど、空腹で集中力が高まることは広く知られていることで、断食修行って宗教慣習もあるくらいだからね。まぁこれは宗教に依って目的は違うから一概には言い切れないけれどね。もしかしたら生存本能として、獲物が取れず腹が減る、減れば死ぬかもしれない。それなら普段以上に精神を研ぎ澄まし集中して獲物をとらざるおえない。そんなことなのかもしれないけどね」
饒舌に説明するばぁちゃんを横目に、自分がそのきっかけを作ったことに密かな優越感を感じた。
「けれどテストの度に数値が優位を示すとは思わなかったわね。ハルトは人とは少し違う特別な何かが有るんじゃないの?」
茶化すように悪戯な笑顔で僕を覗き込んだ。
僕は何だか照れ臭くて急いで視線を外して話題を変えた。
「こっこれは?このグラフは絶食後のテストで最後の三回目に一番良い記録が出てるよ!」
50m走のグラフを指した。
「このグラフは更に面白いね」ばぁちゃんの顔が真顔に戻る。
「逆にハルトに聞いてみたいんだけどね、この最後の50m走を計るとき何か今までと違うことを意識して走ったのかい?」
思い返してみたが、特別なことをした記憶は無かった。それまでと同じ様に、そのとき出せる全力で走った。ただそれだけだ。なので、そう答えた。
「なるほど、無意識に走って最後の記録だけが上がったわけだね」
また悪戯な笑顔に変わって行く。
「私はね、それまでと違うことをハルトに一つだけしたんだよ」
違うこと・・・
思い返してみるが、やはり自分でした特別に心当たりがないように、ばあちゃんにされた特別にも心当たりは無かった。
「教えようか?」完全にあの笑顔だ。
「言いたいんでしょ?」そう顔に書いてある。
「うん」
やっぱり。
ばあちゃんは勿体つけるように、ゆっくりと座りなおしてから口を開いた。
「私がしたのはね、誰にでも出来る簡単なことよ。50m計測前にあなたに一言声を掛けただけなの」
そう言われてみれば何かを言われたような。あれは確か。
『これが最後だよ。終わったらご飯にしようね』だったかな?聞いてみた。
「そう。その一言を計測前にハルトに言ったこと、それが特別なことよ」
びっくりしたと言うより呆れた。そんな訳はないのだから、そんなことでタイムが上がるなら、陸上競技の監督は皆口々に食べ物のことを選手達に語りかけているはずだ。
僕をからかっている。そう思った。そしてそれを口に出して反論していた。
ばあちゃんは俺の話を最後まで黙って聞き、そして諭すように話始めた。
「いいかい、誰にでも同じ言葉を掛けてやれば良い訳じゃないのよ、この言葉はあのときの状況のハルトだったから効果があったの、この50m走を終えれば食事に有り付ける、それは分かっていたことだけど、再度認識させたの。そうやって走るという完結行為を工程へと変化させ、早くこの工程を行うことが次工程へ。つまり食事に少しでも早く有り付くことに繋がるということを意識させたの」
なんだか難しいことを言っているが僕の頭の中ではニンジンを眼前にぶら下げられて走る馬の姿が浮かんでいた。分かったふりをして頷いた。それを見てばあちゃんは話しを続けた。
「そうやってモチベーションを上げて本来の力が出せるようにコントロールしたの、だから他の人に同じ事をしようとしたら、時と場合によって相手に掛ける言葉は変わるし、もしかしたら言葉以外の何かになる訳。まぁ簡単に言うと、応援とか声援と同じで心に働きかけたのよ」
分かった?と問いかけるように両眉を上げ僕をみた。
あのとき実際はどうだったろうか、そんな影響を受けたのだろうか、と天井を見上げて回想していると、その行動がばあちゃんに火をつけたらしく。挟んで座った食卓に乗り出して捲し立てて話し始めた。
「分からなかったかい?そもそもね人は自分自身のコントロールなんて出来ている気でいるだけで、そんなものは唯の驕りよ。無意識に自我の外から心的影響を受けて、行動や判断を大きく変化させる、外的要因によって意思決定は成されるの。意思なんて言うほど決定的なものに成らなくても、心身共に外からの情報に少なからず影響を受けて反応するのよ。要因の影響を助長させるのは感性で、純真であればあるほど要因に強く影響を受ける。その影響を感情で誇張し、自分でも思わぬ結果を招いたりするものなの。良くも悪くも人間はそう言う生き物なのよ」
ばあちゃんの熱を帯びた瞳が話の終わりに一瞬淋しそうに光を失った気がした。なぜだろうか。
外は日が暮れかけていたが、セミの声だけは一日の終わりを惜しむように変わらずに響き続けていた。
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