第2話 江島と言う歯車

 休憩のため持ち場を交替し、更に増えた参拝客を抜けて境内の事務所脇に設置された白い仮設テントへ入った。

 外の喧騒は中にも聞こえた。ダルマストーブが一つと長机が一つそれにパイプ椅子が四脚置いてあるだけの四畳程のスペースだ。


 外とは違い人が居ない分広く感じる。いや、良く見ると誰かいる。一人中年の男がパイプ椅子に両足を投げ出しストーブの前で暖をとっている、紺色の警備員の制服にジャンパーといった俺と同じ警備会社の制服を着ている。

 どうやら上司と言う感じではない。同じ時間にバイトを開始し、同じ時間に休憩となったようだ。

 四脚しか無いパイプ椅子の二脚は既に男によって使用されている、俺は中年の男とパイプ椅子を一つ挟んで無言で椅子に腰掛けた。ストーブの小窓から時たま頭を出す炎を見ているとすぐに顔が火照りだした。

 少し上体を起こし椅子に背を預けると、中年の男がストーブの上で燗をつけていたのであろうカップ酒を指先で摘むのが視界の隅に見えた。外では除夜の鐘が鳴り続け、すぐ隣でカップ酒の蓋を剥がす音が鳴った。

 中年の男は外した蓋をジャンパーのポケットに突っ込みながら美味そうに酒を啜っている。

 他に気をやるところもなく、つい男の行動を見つめてしまっていた。

 ストーブの熱に当てられてボーッと見つめる俺の姿は、それは物欲しそうに見えたのだろう。

 視線に気づいた中年の男が「兄ちゃんも飲むか?」とカップ酒を近づけて見せた、その声はジブリ映画【紅の豚】で主役の豚をしていた声優の声を少し高くした様な声だった。名前が出て来ない。

「お酒飲んでもいいんですか?」と当たり前のことを聞くと中年の男はもう一度酒を煽って「ぷふぁー」と息を吐いた。

「事故を防ぐためにいる人間が酒など飲んで仕事していいと思うか?兄ちゃん常識無いのか?」

 ふざける様な口調で言って蓋の開いていないカップ酒をストーブの上にトンッと置いて「兄ちゃんの分」と片頬を上げた。

 ハルトは暫く置かれたカップ酒を見ていたが、手に取り、蓋を開けて中年の男と同じように煽って「ぷふぁー」と息を吐いた。

「仕事の休憩中に酒を飲むなんてことは非常識だと認識しています」

 わざとはきはきと言ってニヤリと視線を送る。

「最近の若い奴にしては感心、感心、一般常識はあるようだな」

 と返す中年の男と初めて目が合った。そして同時に酒をあおった。


 中年の男は肌の質感から予想するに五十台の後半くらいだろう、ほぼ頭髪は白くなっているが量は多く張りが有り、若さが残っている。座っていても長身だと判る程四肢は長く特にカップを握る指は男の俺でもうっとりするくらい細く美しかった。   その指が俺の前に差し出され、中年の男は江島ですと名乗った。

 江島の手をとり上下に振りながら高神ハルトですと答えた。お互いの顔に強張りは無く、気が合うだろうという予感すらあった。

「元旦から交通整理のバイトなんて若い子のすることじゃないだろ」

 江島はカップを口に当てながら言い、言い終わると酒を口に運んだ。

「何をするべきでしたかね?」

 その質問に江島は大して考えもせず、さも当たり前といった様子で答えた。

「まぁ一般常識のあるやつなら、彼女と手を握り合いながらラブホテルに入って満室のランプを灯すために尽力するだろうね」

「ホテルに行く相手はいるんですけど・・・その発想は無かったです、僕アウトドア派なんで」

 もちろん冗談だ。

 アウトドア派のフレーズが気に入ったようで、ひひひと下卑た笑いを江島は火照ったテントに響かせていた、俺も釣られ笑いを響かせる。

 笑いが収まると「金が必要なのか?」と少しトーンを下げて江島が聞いた。

「いや、特には、ただ社会の歯車になりたくないって言うか・・・」

 ストーブは相変わらず暖かく、酔いに拍車をかける。自分でも口にしていることが思っていることなのかどうか自信がないが。

「元旦にバイトしているお前はすでに社会に歯車じゃないのか?」

「いいえ、毎日満員電車に突っ込まれて、決まった時間働いて帰ってくる。正月は仕事を休んでわざわざ普段来ない神社に並んでまで初詣にくる。そんな人間が公私共に社会の歯車ですよ」

 テントの外を指す。

「そうかこういう場合はあっちが社会の歯車だったか」

 なぜか残念そうにしている。

「江島さんは何で元旦にバイトなんて?」

 お年頃の中年男性にはしてはいけない質問だったかもしれない。

 しかし嫌な顔をせずまた、さも当たり前といった様子で答えた。

「金が欲しい。その為に働ける時間と肉体があるうちに働く、そして社会の歯車になって社会を回したい」

 言い終わるとカップの酒を空けトンと置いた。

 その歳までどうしたら社会の歯車にならずに要られたのか、参考に聞いてみたかったがさすがに失礼になりそうなので控えた。

 江島が続けた。

「小さな歯車じゃなくて大きな大きな歯車になりたいんだよ」

「大きな歯車ですか?」

「そう。小さな歯車を沢山回す大きな歯車になりたいんだ。そんな歯車だったらカッコいいと思わないか?」

 酔っているためだろうか、随分と大きなことを言う。けどその横顔はなんだかカッコいいと思ってしまった。

 ワンカップを二本空けたところで休憩時間が終わった。休憩に入る警備のバイトと入れ替わり、先ほどとは違う横断歩道の警備に着いた。

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