それでもさ ~生きるべき理由~

語理夢中

一章 灰色の冬

第1話 神は居ない

 人の波が高幡不動尊の境内から最寄り駅まで絶え間無く続いている。

 正午を過ぎた頃から人の波は増え続け、今は満潮の様相を見せている。境内には多くの照明が高い位置に設置され、温もりの無い冷めた光が人々を照らし出していた。

 本堂の裏に広がる山々は照明の後ろで暗さを際立たせている。照明の光で黄色く見える息が、あちらこちらで吐き出されては消える。

     

 沢山の話し声が相乗し喧騒へと変質し誰の話も聞き取れず何を話しているのかは分らない。元より、聞こう。などという気が更々に無いのもあって耳に入らない。ただ皆、一様に楽しそうに見える。


 一年が無事終わることを喜んでいるのか、新しい一年の始まりが嬉しいのか、どちらにしろ、元日だけ神に詣でれば一年の無事息災が叶うならここで俺達が交通整理などする必要はなく、俺達がここで事故の無いように気を配っている時点でこんな処にご利益がないことを証明している。

 神の取りこぼした善男善女様を救い上げ事故を防ぐとは結構なバイトだと、そんな皮肉を思いながらハルトは手にした赤色灯を横断歩道の白線と平行に並べ、歩道からの人波をせき止めていた。


 横断歩道の横断を繰り返し誘導しているが一向に参拝客は減らず、むしろ増え続けている。砂浜で穴を掘ろうとする様なものだ、掘り返しても次々に側壁が崩れて際限がない。放っておけば穴は埋まってしまう。

 真冬の路上で真夏の浜辺を想像しているうちに横断歩道の信号が点滅を始めた。

 横断歩道へ進入しようとなだれこむ人波を、体全体で遮り赤色灯を歩道の白線と平行に構え横断歩道への進入を防いだ。


 完全に信号機が赤に変わる前には横断歩道上から人の姿は無くなっていた。しかし足を止めた人達の間を縫って一人の青年が横断歩道へと向かってきた。

 青年は「どかせよ!」と俺の赤色灯を叩き下げた。完全に赤になってしまった横断歩道へ歩み出た。

 信号待ちをする全ての人の視線を集めて肩で風を切ってわざとゆっくりと歩を進めていく。

 バイト先の責任者からは、歩行者の安全確保が仕事だと言われてはいるが、自分から危険に身を晒す奴に追って縋って諭す程俺は仕事に対しても社会に対しても誠実ではない。    

     

 そろそろ横断歩道を無事渡りきろうという青年のスタジャンを着た大きな背中に、乾いた視線を向ける。


 こんな奴でも神は救うのか?


 無言で問いかけた。

 一つか二つくらい年は下だろうか、二十歳前後の歳の子を見ると、いつも妹の成長を重ねてしまう。もし今生きていたらと。

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