それぞれの目的
第19話 正義
単にカメラ映像を介した遠隔会議と比較して、仮想世界で全身を再現したアバターを使ってコミュニケーションをすることの利点。それは相手の視線や表情以外に、その体の姿勢や態度、相手との距離などから醸し出される、「空気感」というモノの有無かも知れない——
重い空気の中、仮想世界の秘密会議室で二人の男が向かい合っていた。片方は、ダブルのグレースーツに身を包み、青いネクタイをしっかりと締めた金髪碧眼の白人男性の姿、もう片方は白いシャツになんの飾り気もないダークグレーのジャケット、ノーネクタイの男の姿だった。
「お前は追い詰めた相手を取り逃がすのが本当に得意なようだな。見事な仕事ぶりに敬意を表するよ。」
金髪碧眼の男が、もう一人の男を見やる。胸をそらせ、見下ろすような視線で旭を見下ろすその顔は、怒りというよりも諦めに近い表情をしていた。
「ちっ、まさか一般人が仮想世界で反撃してくるなんて思うかよ。」
「浦幌御影が何を持っているかはお前も知っているだろう。権限を使ったアバターへの介入、攻撃は容易に予想できた。なぜ、お前にレイヤー2の権限を委譲したのか、まったく理解出来ていなかったようだな!」
今までかろうじて保っていた紳士的な雰囲気は完全に崩れ、金髪碧眼の男――ORCAシステム管理局の副支局長、ウィルターヴェ――は、その仮想の手を、仮想の会議室の、仮想の机に叩きつけた。
「そうは言うがなぁ、バーチャルオフィスの方には浦幌御影はいなかった。女のイルカと、未だに正体の掴めない、小さなガキだけだった。権限を使った攻撃は予想出来ねぇだろ?」
「で、その刀で攻撃してきたという少女の正体は何かわかったのか?」
旭は決まり悪そうに目をそらした。
「わからねぇ。だが、イルカのウィムアルゼムィンスェと数か月前からたまに外出しているのが、市中センサーに映っていた。
「わからない、で済むとは気楽な仕事ぶりだな。一応公安警察ということになっているんだから、部下でも何でも使って調べさせれば良い。それで、問題は浦幌御影だ。看護師の姿で、鹿追の部屋に来たと言うが……会って会話までして、正体に気がつかなかった人間がいたそうじゃないか?」
ウィルターヴェはわざとらしく首を傾げた。
「ちっ、病院ではアバターが使えないのが普通だろ?お前だって絶対にわからねぇよ。それに、本当に良く出来たアバターだったんだ。病院イルカも気が付かなかったんだぞ。」
「落ち着け。私だって、君の失態を指摘するだけが仕事ではないんだ。そう、君の失態をね。私が着目しているのはそのアバターだ。浦幌御影がそんな高級アバターを持っているのはおかしいとは思わないか?」
やっぱり嫌味なやつだ。旭は無言で、両の掌を上に向け、「さあ?」というジェスチャーをした。旭がどう答えても、目の前のイルカは新たな嫌味に繋げる才能の持ち主であり、考えるだけ無駄だからだ。
「お前は正規分布の下側の人間だな。何が、とは言わないが。つまり、鹿追士郎の娘、
「鹿追白木だって?アイツは有名すぎるから手を出すのは様子を見ろって、お前が言ってたよな。中途半端に父親だけ消すからだ。だから、俺は最初から疑わしいやつは全員消すべきだって言ったんだぜ。」
旭は少し得意になってウィルターヴェを指差した。だがその指先の相手は表情一つ変えず答えた。
「ああ、確かに私の判断ミスだな。多少強引でもそうすべきだった。だが白木は全世界のVIPを顧客に抱える有名デザイナーだ。迂闊に手は出すのはリスクだった。とはいえ、白木が人間中心主義者であることが分かったのは前進だ。今後はヤツも警戒しよう。」
こちらが反撃しようとするといきなり素直になる。そして、こちらは拳の下ろし先を見失う。いつもこうだ。悔しいが自分はこのイルカには勝てないのだと、認めざるを得ない。旭は空回りする自分を苦々しく思いながら、黙るしかなかった。
「白木が浦幌御影を使って、父親の部屋から何かを回収させたのだ。大方、遺伝子配列の情報といったところだろう。問題は、浦幌御影が自分の能力を知って、活用しているという点だ。インテルフィン教団と人間中心主義者、その両方が既に接触し、コードVのことを知ったはずだ。事態は切迫しているぞ。最初に浦幌御影を消しそこなったのが痛いな。」
失敗を掘り返され、旭はまた目をそらした。
「でも、俺のおかげで奴らの仲間を一人始末して、隠れ家も見つけられただろう?」
「ウィムアルゼムィンスェの死体と空のポッド以外は何もなかったがね。データも全て消去されていた。現場に軍用ポッドの足跡が多数あった事を考えると、浦幌御影を確保したのインテルフィン教団である可能性が高い。最悪の事態に備え、先ほど『
その言葉に、旭は目を輝かせ、身を乗り出した。
「おお、インテルフィンの遺産か!一度使ってみたかったんだ。ただ、相手が軍用ポッドとなると防御力があるから、倒しきれる武器が必要だ……実弾の徹甲弾か、いや、エネルギーに余裕が出来るから、その分を電磁兵器に回しても良いかもな。」
旭は顎を触りながら首を傾けた。彼が考え事をする時の仕草だった。それを見たウィルターヴェはため息をつく。
「はぁ、楽しそうだな。お前はそんなに戦争がしたいのか?私達の目的は平和と秩序の維持だ。事件を未然に防ぐのがお前の仕事なんだぞ。病院の地下駐車場の銃撃戦と、検問時の発砲について、警察上層部が説明を求めている。上手いこと取り繕った報告書と、ついでに始末書でも書いておけ。」
「おいおい、病院での銃撃戦は俺に関係ねぇだろう。」
「間接的にでも起こしてしまったことに責任がある。我々『ハルポクラテス委員会』は、高い社会的地位や権限の見返りに、平和に対して責任が――」
「ああ、わかりました!聞き飽きたよ。報告書と、始末書?書けばいいんだろ。じゃあ、俺は報告書と始末書を書くのに忙しいから失礼するよ。浦幌御影は俺がばっちり見つけて処理してやるから、黙って見ておけ。」
「いい歳をして、まるで子供だな。過去の英雄が聞いてあきれる。私が聞きたいのは意気込みではなく、具体的な計画だ。目的を達成するための、現状を踏まえた計画を提出しろ。」
旭は何も言わずにログアウトした。ウィルターヴェとの会議はいつもこうだ。
「旭さん、聞いていますか?」
仮想世界から戻ってきた旭は、机の上に足を載せ、椅子の背もたれを目いっぱい倒してふんぞり返り、天井を眠そうな目で眺めていた。部下の声はそのまま耳を通り抜けていく。ああ、聞いてるよ、と嘘をついた。
「先日あなたが招集した特別任務で3人もの捜査官が不在なせいで、とても業務が回らないんですよ。彼らはいつ帰ってくるんですか?」
「特別任務だからなぁ。答えられないなぁ。」
彼らが二度と帰ってくる事はない事を旭は知っている。あの火事では医師の鹿追が死んだことになっているから、あの場にいるはずのない三人の警察官の死体は発見されることはない。だから、特別任務から帰ることもない、永遠に。
「はあ……こんな時にあなたはどこでフラフラしてるんですか?たまに帰ってきたと思ったら、こうしてぼーっとしている。この際言いますけど、私、実は来月で転属することになっているんです。課長へ前からお願いしてたんですよ。こんなチームにいられないってね!」
それは良かったなぁ、と天井を見つめたまま答えると、部下はもう何も言わずに踵を返して姿を消した。
――まあいいさ、一人の方が動きやすい。部下なんていらないんだ。あの時、余計なことを聞かなければ、似合わない肩書と、慣れない立場に押し込められることもなかったのに。
タバコが短くなって吸い殻が床に落ちる。背もたれに縛り付けられた重い体を起こし、残りのタバコを灰皿に押し付けた。オフィスの片隅に追いやられたデスクには窓から夕日が差し込み、視界をオレンジ色に染めていた。
警備部公安13課。イルカ中心主義者のテロ活動対策専門の組織だ。デスクに座った者は黙々と、今ここに居ない者も街を駆けまわり、平和と秩序のために働いている。だが、彼らはイルカ中心主義者達の本当の危険さを知らない。この世界の秘密を守り、対処する『ハルポクラテス委員会』として、旭が場違いな公安警察に身を置いていることも、知る由もない。
ハルポクラテス。ギリシャ神話に出てくる、沈黙の神とされる名だ。『ハルポクラテス委員会』は、世界の秘密を守り、平和と秩序を守っている。世界の秘密とは、ORCAシステムの秘密だ。コードVという最高管理者権限を有効にするコードの秘密は、その一部である。世界を混沌に叩き落とすような秘密を、『ハルポクラテス委員会』は知っていた。その内容の重大さから、メンバーは増える事も、そしてメンバーの死亡以外で減ることもない。自分の意思で脱退は出来ないのだ。『ハルポクラテス委員会』のメンバーとは、最後のインテルフィン、『ウィスキュイゥ大帝(自称)』を追い詰め、遺言としてその秘密を聞いた者達だった。旭は当時、血気盛んな実行部隊の一員として、その行動力ゆえに歴史的な瞬間に居合わせてしまったのだった。
「さて、今日も定時退社するかぁ。」
椅子にかけていたシワだらけのジャケットを羽織り、咎めるような視線を無視して、旭はオフィスの出口に向かった。
「コネだかなんだか知らないが、何であんな奴が……」
聞こえるように誰かが言う。いつもの事だ。
ウィルターヴェから仕事を指示されていたが、とてもそんな気分にはなれなかった。今夜は久しぶりに繁華街の方に行って少し飲もう。旭はオフィスを後にし、オレンジ色に染まった街へと歩き出した。
道を歩く人間の姿のモノたち。中身が人間か、イルカかは分からない。ここは、イルカと人間が共存する平和な世界。
この一見平和な世界が抱える危うさを知ってしまったために、旭は平和を監視する立場に収まった。『ハルポクラテス委員会』のメンバーはその裏の仕事がやりやすいように、表の仕事で高い地位と権限を持っている。だが不幸なことに、旭に人の上に立つ才能は無かった。何となく今まで問題がなかったのは、この地域でORCAシステムの秘密に関わる事件が起きなかったために過ぎなかった。お飾りの地位でも、表の公安の仕事は優秀な部下達が何とかしていたのだ。だが、今回の件は旭が自分で判断し、指示を出す必要があった。しかも真相を隠しながら、だ。
黒焦げになる前の3人の部下の顔が浮かぶ。優秀な奴らだった。確か、1人は結婚したばかりだって言ってたな……柄にもなく、視線が足元ばかり見ていることに気が付き、旭はかぶりを振った。顔を上げると、いつの間にか辺りはうす暗くなり、ちょうど街灯が一斉にパッと点灯したのが目に入った。
公共アバターは暗くなってもぼんやり光って見えるため、この時代の繁華街は昔にも増していっそう明るい。旭は闇を求めて、地下のバーへと足を向けた。
「おや。久しぶりですね。」
「ちょっと、忙しかったんだ。」
顔なじみのマスターがこちらを見て二コリと微笑む。カウンターには他に二人の先客がいて、ボックス席は空だった。この店にしては繁盛しているほうだ。
「なんですか、英雄様がさえない顔をして。」
「はっ、昔の事だ。」
英雄。30年前の太平洋事変で、イルカ中心主義者達の陰謀を止めた共存派の英雄。危険を顧みず、果敢に敵地に飛び込み、その結果、戦局を好転させ、平和な世界の実現に大きな貢献をした、当時18歳の青年――自分で言うのもなんだが、多少の誇張はあるものの、大きく間違ってはいない。
「いつもので良いですか?実はイルカが作った幻のウイスキー『Made in 天国 1000年』が入りましてね。太平洋事変前の希少な一品です。時を加速して1000年分熟成させたとかいう……」
「いや、そんな胡散臭いモンはいらねぇ。いつもの、ラフロイグ、ロックだ。」
静かにジャズが流れる店内で、スコッチウィスキーの香りが理性を溶かしていく。
「昔か。あの頃は輝いてたよな。」
「おや、今は輝いてないとでも?……今日は少しペースが早いですね。」
「もう一杯頼む。そう、輝いて無いさ!向いてない仕事をやらされている。人の上に立つのは向いているヤツがやれば良い。適材適所だ!」
「英雄の指導力に期待しているんですよ。」
「俺はただの命知らず、刺激が欲しかっただけだ。正義の名の下に、誰かをぶん殴りたいだけだったんだよ。」
「だとしても、人のためになることを成し遂げたのは変わらないでしょう?おや、もう飲んだんですか?もう少し味わってください。今日は随分と饒舌ですね。」
「いいや、俺は運が良かっただけのチンピラさ。」
「そんな人は命をかけて戦って、英雄なんて呼ばれませんよ。そう卑下しないでください。」
「昔はそうだったのかも知れないな。あの頃は輝いていたよな。」
同じ事が繰り返される会話の展開を察知し、マスターはそっと水を置いて別の客の所に行ってしまった。
これ以上飲むと、楽しいラインを超える。そう思ってマスターの置いていった水を飲み、流れるジャズに耳を傾けながら、旭は血中のアルコール濃度が落ち着くのをぼんやりと待った。
ピアノ、ドラム、サクソフォン、水を一杯。
ベース、ドラム、シンガー、水をもう一杯。
曲名も分からない曲を4曲ほど聴いた後、旭は無言で立ち上がり、会計を済ませた。
「また来てください。」
マスターの声を背中で聞きながら、旭はすっかり暗くなった繫華街へ階段を上がった。通りには千鳥足の酔客や、大きな声で盛り上がる若者の集団が闊歩している。平和だ。
突然吐き気がこみあげてきた。やっぱり少しペースが早すぎたようだ。路地裏に駆け込み、少し深呼吸をすると吐き気はどうにか収まった。
その時、路地の奥で人影がもぞもぞと動いているのに気が付いた。よく目を凝らすと、口をふさがれた女性が男に押さえつけられていた。
「はぁ?おいおい、今時そんな分かりやすいシチュエーションあるのかよ。」
脳内で分泌されるアドレナリン。アドレナリンにアルコールを分解する作用は無いはずだが、旭は不思議と自分の意識が冴えわたるのを感じた。
「おぅい、そこの。何やってんだぁ?」
ぎょろりと、二人の男の血走った目がこちらを見た。
「ああ!?おっさん。死にたくなかったら、とっとと失せな。」
涙目の女性はがたがたと震え、旭を見た。旭の風貌では、助けが来たというより、新たにチンピラの仲間が来た、と思う方が自然だっただろう。
「オメェ達。犯罪は許されないなぁ。」
「なんだ、このおっさん?」
「は!正義の味方気取りか?」
旭は無言でポケットに閉まっていた電磁警棒を取り出し素早く振る。シャキンという音と共に50㎝程の長さに伸びた。慣れた手つきで持ち手のダイヤルを回し、出力を死なない程度に調整する。
「気取りだと?本当の正義の味方だよ。平和な世界のために、日夜働いてんだ、よ!」
旭は素早く踏み込み、電磁警棒を手前にいた太った男の横腹に叩きつけた。
「ヒギッ!……」
短い悲鳴と共に、男はひざから崩れ落ち、動かなくなった。
「はは、豚みたいな鳴き声だったな。」
「なんだ、てめえぇ!」
もう一人のひょろ長い男が裏返った声と共に、ナイフを片手に飛びかかってきた。
――ああ、そんな持ち方じゃダメだなぁ。素人だ。仮想世界で刀を振り回していたあの少女の方がだいぶマシだ。
ナイフをかわし警棒でナイフを叩き落とすと、男は腕を押さえて悲鳴を上げて後ずさった。旭は間髪入れず身を低くして駆け寄り、男の脛に警棒を叩き込む。鈍い音がして、男の足の骨が折れた。
「ひっ、い、痛てぇ!何しやがる……!」
床に転がって悪態を付くその姿に先日の仮想世界での自分を思い出し、激しい怒りが込み上げた旭は、男の脇腹を蹴り飛ばした。
「なぁ?悪人には何をしたって良いよなぁ?」
地面に転がり、声にならないうめき声を上げている男の脇腹を何度も蹴り飛ばす。
悪人!悪人!悪人!悪人!悪人!平和を乱す悪人め!
正義!正義!正義!正義!正義!俺は正義だ!
12回蹴り飛ばした所で、旭は蹴るのを止めた。旭は息を荒げながら、足元で唸っている男を見下ろし、笑った。
「あはははははは!正義の中に、俺はいる。」
正義のために自ら悪人を倒す。最高に自分らしかった。俺は今、生きている。でも足りない。こんなチンピラでは、足りない。
社会の秩序を乱すコードV保持者を、この世から自らの手で、自分のやり方で、抹殺するのだ。きっと、昔の自分を取り戻せる。再び俺が世界を救う。そしてコードV保持者がこの世からいなくなれば、似合わない責務からも解放される――
すっかり怯えて縮こまる女性と、瀕死の悪人2人を残し、旭は満たされた表情でその場を後にした。
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