〈間奏曲〉今から70年前のアメリカ 西海岸沿いの研究所
男は、かれこれ数時間も同じ場所を行ったり来たりしていた。水族館でもないのに、海水で満たされた巨大な水槽が男の視界を占領していた。
知能を強化した類人猿とイルカを
その矢先、計画に用いていた知能を強化した類人猿達が脱走したのだ。男は研究の責任者として事態を公表するかどうかの決断を迫られていた。この実験が明るみになれば、動物愛護団体からの抗議どころでは済まない。
脱走した類人猿達の捜索はもちろん行っていたが、研究所の人員だけでは大規模な捜索はできない。もたもたしているうちに類人猿達が事件でも起こせば、世間からの非難はより強まるだろう。
悩む男の前で、イルカ達が何やら話している。だが彼らの言葉は男が使う言葉とは違う。時折こちらをチラチラと見る視線からも、感情を読み取ることはできなかった。
遺伝子改造と一部神経の機械化により、すぐに人間の言葉を発してコミュニケーションが可能になった類人猿達と違って、イルカは体の構造上、どうやっても人間の言葉を直接しゃべることはできない。したがって人工知能とのデータの入出力には専用の装置、神経接続型のインターフェースを用いていた。インターフェースユニットを介することで、イルカ達はおおよそ全ての人間の言語を理解して人間やAIとコミュニケーションすることが出来た。恐るべき知性の発達だった。
だが、専用インタフェースユニットはイルカの体への負担が大きく、常時接続しているわけにはいかなかった。装置を外した途端に何を話しているのかまったくわからなくなってしまうのは、不便というより、不気味だった。
今、サブプロジェクトで進めている神経接続の無線化技術の実用化を急がなくては。そう考えて、男は研究を続けられるかどうかの瀬戸際であったことを思い出し、ため息をついた。
「実験が世間に発覚したら、こいつらはどうなるんだ?」
実験が始まった当初は、ただの実験の道具としか思っていなかった。だが、自分よりも明らかに知能が高くなってきた頃から、彼らに対する感情は愛情、誇らしさ、羨望、戸惑い、そして恐怖の入り混じる複雑なものとなっていった。
実験が発覚したらどうなるか、そんなことが想定できないほど馬鹿ではない。研究の即時凍結、研究所は解散、男は研究の世界を追われる。脱走した類人猿が何か事件でも起こせば、その罪を問われるかも知れないし、このイルカ達も危険とされて安楽死となるだろう。
――私がインテリジェント・ドルフィン、略してインテルフィンと名付けた13頭のイルカ達は、あの頭の固い保守的な老人達よりも、ずっとずっと頭が良いというのに!
海沿いに建設したこの研究所の水槽は海に繋がっている。男は、いっそその水槽と海を繋ぐその扉を開けてしまおうか、とも思った。そうすれば研究は中止されても、成果は世の中に放たれる。
その時、部下の一人から一本の電話がかかってきた。恐る恐る電話を取った男は、事態が既に手遅れになった事を知った。
「ロバート博士、大変です。逃げ出していたオランウータンが類人猿の大群を率いて、アメリカ政府に宣戦布告をしました!」
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