第23話
膝の上で眠ってしまったジェイドの、陽光に煌めく金色の髪をそっと撫でてみる。極上の絹糸のような手触りに、思わず溜息が漏れた。
髪まで美しいのだ、この男は。
けれど、今はこの身体にいくつかの傷がある。それを思うと、魔族に対してどうしようもないほど怒りを覚えた。
「魔族って、本当に許せない存在だわ」
思わずぽつりと呟くと、目の前にある瞳がゆっくりと開いた。
深い藍色の瞳が、優衣を見上げる。
「……なぜだ?」
その瞳に宿った僅かな悲しみに気が付かないまま、優衣は思ったことをそのまま告げた。
「だってジェイドに傷をつけるなんて。こんなに綺麗なのに」
すると忍び笑いのような声が聞こえてきて、驚いて視線を彼の顔に向けた。
そして、見てしまった。
皮肉そうでも、嘲笑でもなく。
本当に楽しそうに、ジェイドが笑っていた。
ほとんど不機嫌そうか、何か企んでいるような顔ばかりだったせいで、その効果は抜群だった。
ああ、駄目だと思った。思ってしまった。
こんな顔を見てしまったら、もう引き返せない。
「馬鹿だな」
「……ええ、どうせわたしは馬鹿ですよ」
拗ねたように言うと、白い腕が伸びてきて、優衣の黒髪をさらりと撫でた。
「お前の方がよほど綺麗だ。初めて見たときからそう思っていた」
「……っ」
ドキッとする、などというかわいらしいものではなかった。
心臓はドキドキしすぎて止まりそうだし、耳まで真っ赤になっているのが自分でもよくわかる。
この世界に来てから、黒髪が綺麗だと何度も言われた。
でも好意を持っている相手から聞かされるその言葉が、こんなにも破壊力を持っていたなんて知らなかった。
それなのにそんな爆弾発言をした本人は、またすぐに眠ってしまっている。
きっと深く眠っていたせいで意識が朦朧としていて、本人も自覚せずに口にしたのだろう。
でもそんな状態で口にした言葉は、間違いなくジェイドの本音だということで。
ずるいよ、と小さく呟く。
どうしようもないとわかっているのに、そんなことを言われたらますます恋心が募ってしまう。
「好き。あなたが、好きよ」
眠っていることを確認してから、小さくそう呟く。
悲しくなんかないのに、涙が零れ落ちた。
「明日は審議会だ。王城に行くから準備しておけ」
そう言われたのは、あれから数日後の夜のことだった。
もう寝ようと準備をしていた優衣の前に、ジェイドは突然現れた。
「……審議会」
そういうものがあったと、言われて思い出した。
あれから一か月が経過したのか。
それだけの日にちが過ぎ去っていたのに、何も変わらない現状に少し危機感を覚える。
「どうした?」
顔色が変わったのがわかったのか、ジェイドが尋ねてきた。
「ううん。ただ、前の審議会から何も変わっていないなぁ、と思って」
魔族ともほとんど対面すらしていない。一度襲われたことがあるのと、人間とのハーフであるルシェーと知り合っただけだ。
そもそもジェイドは魔族と恋をしろと急かす割に、いつも優衣を屋敷の中に置き、外出するときも傍にいてくれる。これでは恋をする以前に、出会いがないのではないかと思う。
「だって、出会ったのはルシェーだけだし」
「不満か?」
ルシェーは純血の魔族と比べても劣らないくらい強いが、性格が人間寄りで、気弱で優しい。
「不満はないかな。なんか同性の友人みたいで落ち着くよ?」
「……っはは。そうか。同性の友人か」
優衣の答えを聞いたジェイドは、声を上げて笑った。楽しそうな笑顔に思わず見惚れてしまう。
最近、よく笑ってくれるようになったと思う。
(たまにそうして笑っていれば、怖がる人も減るのに)
ジェイドはいつも不機嫌そうで、周囲にも危険人物だと思われているから遠巻きに見ている人ばかりだ。
でも今のように笑っていたら、きっと女性達が放っておかない。これほどの美形なのだ。だから、そんなことにならなくてよかったのかもしれないと思い直す。
「これから出動だが、明日の朝また迎えに来る」
いつもよりも柔らかい顔でそう言って、ジェイドは姿を消した。
きっとまた魔族との戦いに行ったのだろう。
最近はとくに襲撃が多いようだ。これが、この国に守護者がいないということなのか。
立て続けに戦っているジェイドが心配だったが、優衣にできるのは無事を祈ること。そして怪我をして帰ってきたときのために、枕元に救急箱のようなセットを作って置いておくことだけだ。
心配しながらもベッドに入ってしまえばすぐに眠ってしまったらしい。
夜中にふと、気配を感じて目が覚める。
カーテンの隙間からわずかに覗く月光に、金色の光が煌めいている。
(ああ、またかぁ……)
最近は膝枕ばかりだったので、こうして同じベッドに眠っているのはひさしぶりだ。
怒る気持ちなどまったくなくなって、それどころか怪我がないのか心配になってしまう自分が少し悲しい。
だが。
「ジェイド?」
異変に気が付いた優衣は、すぐに起き上がった。
見れば白皙の肌は薄紅色に染まり、呼吸は荒くて苦しげだ。そっと額に触れてみると、予想していたよりも高い体温。優衣の問いかけに答えるように瞳が開かれたが、すぐに閉じてしまう。
「ティラさん!」
これは、自分ひとりで何とかなる問題ではない。そう思った優衣は、夜中にも関わらず部屋を出て彼女の名を呼んだ。
ティラはすぐに駆け付けてくれて、ジェイドを見ると顔を顰める。
「これは……」
その言葉で優衣が泣きそうになったことに気が付いたのか、彼女はすぐに優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。この症状は、魔力を使い過ぎてしまったことが原因です」
「魔力?」
「はい。魔導師なら誰もが一度は経験していることです。魔力障害と呼ばれています」
言われてみればここ最近、ジェイドは毎日のように魔族討伐に駆り出されていた。
ジェイドの魔力は強大で、それでもすべてを使い果たしてしまう心配はない。だが強い魔法を使い続けたことで、身体の負担になったのだろうとティラは説明してくれた。
「三日ほど魔法を使わずにいれば、すぐに良くなりますから」
ティラはそう言ってくれたが、優衣はその言葉にまったく安心できなかった。
ここ最近、毎日のように魔族の襲撃がある。そして魔族の襲撃があれば、ジェイドは必ず呼び出される。
しかも朝になれば、王城で審議会があるのだ。彼がそれを欠席することはないだろう。
(どうしよう……。とにかく審議会だけは、どうにもならないわ。明日になってから考えよう)
優衣ひとりで判断できることではなかった。
ティラ曰く、魔力の影響で体調が悪くなっている場合は、魔法を使わないようにして休むしかないのだと言う。だからこのまま、ゆっくりと休ませたほうがいいようだ。
優衣は眠っている彼の傍に椅子を置いて座り、そっと手を握った。
自分の傍だと気が抜けると言ってくれた。だから、少しでも安らぎになれたら。
そのまま空が明るくなるまで一睡もせず、彼に付き添っていた。
朝になったことは覚えている。
窓から入り込む太陽の光が眩しくて、少しだけ目を瞑っていた。
その一瞬で意識が飛んでしまったらしい。
気が付けば椅子に座ったまま眠っていて、すぐ近くにジェイドの整った顔がある。繋いでいた手はそのままで、むしろいつのまにか指を絡ませて握られていた。
(熱、下がったかな?)
ジェイドの体調が気になったけれど、手を繋いでいるので動ける範囲が狭い。だから握っている彼の手を自分の頬に押し当てて、彼の体温を知ろうとした。
(昨日よりはましだけど、まだ熱いわ)
回復には程遠い状態のようだ。
心配で顔を覗き込むと、ジェイドはゆっくりと目を開けた。深い海のような藍色が、真正面から優衣を見つめる。
「大丈夫?」
「……朝か。まだ時間はあるな」
ジェイドはそう呟くと、繋いでいた手に力を込めて優衣を引き寄せた。
「きゃっ」
不安定な体勢をしていたので、そのままジェイドの腕の中に転がり落ちてしまう。病人を圧し潰すわけにはいかないと、慌てて立ち上がろうとした。だがジェイドは、優衣をそのまま腕の中に閉じ込める。
「え? あの?」
急に引き寄せられたかと思うと抱きしめられて、優衣は恥ずかしいと思う余裕もなく困惑する。
「こ、これはちょっと、さすがに……」
それでも何とか逃げようとするが、ジェイドは逃さないとでも言うように、その腕にますます力を込める。
「お前には、魔力がない」
「そっ、それは、この世界の人間じゃないから当然で」
突然の言葉に、優衣は動揺したまま答えた。向こうには魔法なんて存在していなかった。だから魔力がないのは当たり前のことだ。
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