第四章

第22話

 優衣はネグリジェのまま、ひとりで食事をしていた。

 ジェイドはまたすぐに王城に向かったらしく、ルシェーはこんな格好の優衣と一緒にいることを恥ずかしがって、部屋に戻ってしまった。焼き立てのパンにバターをたっぷりと塗りながら、先ほどのジェイドの言葉を思い出してみる。

(ミルーティはともかく、マルティさんはいい人だと思うんだけどなぁ……)

 誰だって本音と建て前はあるし、成し遂げたいことだってあるだろう。親切にしてくれた気持ちに裏はないと信じている。

(でも……)

 卵の入ったサラダを食べながら、優衣は思う。

 あの話からわかったように、ジェイドはこの国の人間を誰ひとり信じていない。そんな彼がどうして、優衣を異世界から召喚してまで守護者の選出に関わろうとしているのか。

(信じてもいいのは三人だけって言っていたけど、ジェイドが一番怪しいよね?)

 本当に何を企んでいるのか、まったくわからない。

 それでも彼が不在だと、不安が増す。

(口も態度も悪いし、絶対に何か企んでるし、無駄に美形だし。でも……)

 傍にいてほしいと願ってしまう。

 そんなふうに思ってしまうのは、今まで彼しか頼る人がいなかったからだ。そう結論を出して、優衣は搾りたてのオレンジジュースを飲み干した。

(うん、吊り橋効果ってやつだよね。うんうん)

 ゆっくりと食事を楽しんだあとは、ティラに促されて着替えをする。ちゃんと衣服を整えた優衣を見て、ようやくルシェーが近寄ってきてくれた。

「ねえ、ルシェーはどう思う? ジェイドの言っていたこと、本当かな?」

「うん。僕もジェイドと同じ。この国の人間は信用できないよ」

 彼は迷うことなく、はっきりとそう答えた。

 ルシェーは優しくて、とても穏やかだ。そんな彼が即答したことに驚きながらも、ティラにも同じ問いをしてみる。

 予想していた通り、答えはルシェーとまったく同じだった。

「だったらジェイドはどうして、そんな「信用できない人達」のために守護者を選ぼうとしているの?」

 思わずぽつりと呟くと、ルシェーとティラが揃って沈黙した。思い詰めたような顔をして、ふたりで顔を見合わせている。

「あ、ごめんなさい。つい……」

「いえ、優衣様がそう思われるのも無理はありません。ですが、それについては近いうちに必ず、ジェイド様ご自身が説明してくださると思います。申し訳ありませんが、それまでお待ちください」

「……うん」

 あまりにも必死な様子に、頷くことしかできなかった。

 あのジェイドが、本当にすべてを説明してくれるだろうか。それは疑問だったが、ふたりの真剣な表情を前に、とてもそんなことは言えなかった。

(どうしよう。ものすごーく悪いこととか考えていたら? 世界征服とか……)

 この国の人間を信じるな。

 そう言ったジェイドの瞳の冷たさを思い出すと、知るのが怖いと思ってしまう。

そんな気持ちを誤魔化すように、優衣は取り留めのないことばかり考える。

(きっとジェイドは考えすぎなのよ。ミルーティもマルティさんも、きっと一生懸命なだけで、いい人で……)

 優衣は両手を強く握りしめた。

 突然異世界に召喚されて、金髪の美形魔導師に魔族を誘惑しろだなんて言われて。まるで物語のようだと思った。

 でもこの物語は、本当にハッピーエンドで終わるのだろうか。

(いやいやいや、ちゃんとハッピーエンドになるから! わたしは無事に日本に帰る。そして今まで通りの生活をして、たまには、あのときは楽しかったなぁってこの世界のことを思い出して……)

 握りしめていた両手は、いつのまにか痛みを覚えるくらい力を込めていた。

 優衣は両手に食い込んでいた爪の跡を、そっと指でなぞる。

 覚悟が必要かもしれない。

 真実をきちんと知り、その上で自分がどう考えて行動するのか。それを決めなくてはならないときが、もうすぐ来る。

(何も知らずに操られるのは嫌。人形にはならないって決めたから、わたしはきちんと現実に向き合わなくてはならない)

 ジェイドが事実を誤魔化して優衣を自分の思うままに操ろうとせず、ちゃんと事情を説明してくれるとわかってよかった。

そう思う。

 だがジェイドは、その日からまた魔族との戦いに明け暮れて、何日も帰ってこなかった。どうやら魔族の襲撃が今までと比べものにならないくらい激しいらしいと、ティラが教えてくれた。

(大丈夫かな。ジェイドが負けるなんてことはないと思うけど……)

 あの日以来、ティラもルシェーも口数が少なくなった。たまに、思い詰めたような顔で考え込んでいるときもある。

 終わりが近いのだと、優衣にもわかった。

(思っていたよりも短かったなぁ。まだ一か月くらいしか経過してないもの。もっと、年単位でかかると思っていた。ああでも、仕事は無断欠勤だろうし、一か月でも無理だよね。どうしようかな……)

 いつものようにネグリジェのまま、朝食のパンを食べながら思う。

こんなに綺麗な屋敷でティラの作ってくれるおいしいご飯が食べられるのも、あと少し。そう思うと、やはり寂しい。

「あーあ。わたしを待っているのは仕事と狭いアパートと、コンビニのお弁当かぁ……」

 そう呟いた途端、目の前にジェイドが現れた。

「んぐっ」

 あまりにも突然で驚き、むせてしまう。慌ててオレンジジュースを飲み干すと、ジェイドが呆れたようにこちらを見つめる。

「何をやっている」

「はぁ、びっくりした。ジェイドが急に脅かすから」

 涙目になりながら睨む。だが、彼の腕に血が滲んでいることに気が付いて、慌てて立ち上がった。

「ジェイド、け、怪我したの? 大丈夫?」

「ああ、これか」

 慌てる優衣とは対照的に、彼は冷静だった。

「たいしたことはない。気にするな」

「でも……」

 あれほど強いジェイドが傷を負うような状況なのだ。そう思うと、握りしめた手が震える。

「怖がる必要はない。たとえ俺が死んでも、この屋敷の守りは揺るがない」

「違うよ!」

 思っていたよりも大きな声が出てしまう。ジェイドは驚いたように目を細めるが、優衣はかまわずに彼の手を取った。

「いくら強くても、怪我をして痛くないはずがないじゃない。ちゃんと手当をして」

 そう言いながら、傷に障らないようにぐいっと引っ張る。

 ジェイドは抵抗せずにされるがままだった。優衣はそのままソファーに隣り合わせに座ると、ティラに道具を用意してもらって彼の傷の手当をする。

「……不器用だな」

 何度も包帯を巻きなおす優衣に、ジェイドはぽつりと言う。

「う……。そ、それは否定しない、けど。ティラさんにやり直してもらう?」

「いや、これでいい」

 ジェイドはそう言うと、包帯が巻かれた腕にそっと手を置く。

「誰かに手当をしてもらったのは、初めてだ」

 そう告げたときの穏やかな、少し嬉しそうな顔は、優衣の心の深い部分に突き刺さる。

(そんな顔をされると……。どうしたらいいのかわからなくなるよ……)

 傷の手当をしてくれる人がいなかったのか。それとも、それすら拒んできたのかわからない。でも怪我をしてもひとりで耐えてきたのかと思うと、胸が苦しくなる。

 さらに、狼狽える優衣の肩にジェイドは寄りかかってきた。

「ひぇっ?」

「……少し、疲れた」

「だったらちゃんとベッドに……。ジェイド?」

 慌てる優衣に寄りかかったまま、彼はあっという間に眠ってしまったようだ。

しばらく狼狽えていたが、やがて起こさないようにそっと気を使いながら、ジェイドの頭を膝の上に乗せる。

(こ、これが膝枕……)

 自分が誰かにする日が来るなんて、しかも相手がこれほど超絶美形だなんて思わなかった。

(ちょっと恥ずかしいけど、でも……)

 理由がどうあれ、傍で安らげると言ってくれたジェイドが、少しでも休めるように。

 優衣は静かに彼の眠りを見守っていた。


 それからも、ジェイドは魔族と戦うために出動し、たまに怪我をして帰ってくる。

 そんなときはあの日のように、優衣が手当をした。そのまま膝枕で彼を休ませるまでが定番となってしまい、少し困っている。

 そうは言っても恥ずかしさは、三回目くらいで消えた。

 それよりも、ジェイドの傷が早く癒えるように、できるだけゆっくり休めるようにと、そればかりが気になってしまう。

 優衣の心境もかなり変化していた。

 今までは怖いくらい綺麗な顔だな、とか。外見だけは極上。でも中身は最悪という認識しかなかった。

 それなのに、陽の光が眩しくて少し目を細めているところとか、自分の前で無防備に眠っている姿を見ると、つい笑みが零れる。

 こんな人を、可愛いと思ってしまう。

 忘れていた感覚をひさしぶりに思い出していた。

(これってかなりマズい状況、よねぇ?)

 魔族を誘惑して守護者にしなければならないのに、自分の保護者に恋をしてどうするのだろう。成就する見込みがまったくない上に、いずれこの世界を去れば二度と会えなくなる。

 それなのに、一度自覚してしまったらもう止まらない。

(自分の心なのにコントロールできないなんて、本当に厄介だよね)

 それでもせっかく芽生えた恋心を、叶わないからといって消してしまいたくない。伝えることはできないけれど、せめてこっそり想うだけは許してほしい。

 伝える気はなかった。

(さすがのわたしも、告白して面倒だと言われたら、ちょっと立ち直れないかもしれない)

 でも、あのジェイドだ。あり得ない話ではない。

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