第6話

「それに他に候補がいるのなら、別にわたしじゃなくてもいいんじゃ?」

 選出者候補とやらがふたりもいるのなら、わざわざ異世界から呼び寄せる必要はなさそうだ。だからそう言うと、彼は見惚れるくらい綺麗な顔をしかめる。

「それだと俺の計画通りに……。いや、あいつらでは無理だ。この国は、前の守護者がいなくなってから、魔族による被害が酷かった。だから恐怖が心に染みついてしまっている。そんな国で育った者が、魔族を愛せるか?」

 恨みも憎しみもない、お前のように真っ白な心を持った者が欲しかった。

 真剣な目でそう言われてしまえば、もう反論することができなくなってしまう。

 だが。

(でも今、最初に本音を言っていたような。他の者が選ばれたら自分の計画通りにならないって言いたかったんだよね?)

 不審そうに見つめると、あきらかに誤魔化しているとわかるような、すがすがしい笑みを向けられる。

「とにかく恋だの何だのは心の問題だ。お前の心までは強要するつもりはないが、それでも努力だけはしてもらおう。それがもとの世界に戻すための条件だ」

 たしかに恋心だけは、自分でどうにかなるものではない。

 強要しないという彼の言葉を信じるしかない。

 信じるしかないが。

(……いいのかな。信じて。明日には絶対にそうしろって言われるような気がする)

 不安は尽きない。

 そんな優衣をまったく顧みることなく、ジェイドは歩いていく。慌てて追いつこうとする優衣の目の前で、突然立ち止まった。

「きゃっ。どうしたの?」

 慣れないヒールで必死に歩いていた優衣は、突然のことに避けきれず、ジェイドにぶつかってしまう。

「この先に国立図書館がある。世界のことや、この国の成り立ちなどを知ることができる。寄ってみるか?」

 この世界のことを説明すると言ったのを覚えていたらしい。だが教えてくれるのではなく、図書館に行って自分で調べろということか。

「お、教えてくれるって言ったじゃない」

 思わずそう言うと、彼は溜息を付いた。

「……面倒だ」

(ああ、やっぱり)

 こちらに対する要求は次から次へと出てくるくせに、自分の約束は、面倒のひとことで済ませられてしまう。

 でも約束をすっかり忘れられるよりはましかもしれない。それに、この展開は想像していたことだ。

(それに彼が親切丁寧に教えてくれたら、それはそれで何か裏がありそうで怖い気がする……)

 ここは素直に頷くべきか。

「うん、行きたい」

 そう言うと、ほんの少しだけジェイドの表情が柔らかくなる。面倒なことを回避できたと喜んでいるのかもしれない。

「そうか。だったら寄っていくぞ」

 先を歩くジェイドの長く伸びた影を辿るように歩きながら、町並みを眺める。

 綺麗に整備された道を、赤い夕陽がゆっくりと染め上げていく。

 両脇に並ぶ店も家もすべて同じような作りで、統一感があってとても美しい。ただ道の両脇に並んでいる街路樹が、まだ小さいのが気になった。植え替えたばかりなのだろうか。

 いや、それだけではない。

 この町はよく見ると何もかも新しい。まるで一度壊されて、つい最近になってようやく再生したかのような。

 少し前まで、魔族の被害が酷かった。

 そう言われたのを思い出す。

(あれは、こういう意味だったの?)

 王の居城があるということは、この町は王都だ。それが跡形もなくなるほどの被害。

 しかもこの国の次の守護者はまだ決まっていない。

 いつまた魔族に襲われるのかわからないのだ。

 誰もが国の安定を、新しい守護者を待ち望んでいるに違いない。

(そんな守護者を選ぶなんて……。責任重大……よね) 

 大変なことに関わってしまったのかもしれない。いまさらながら、そんな想いが沸き起こる。


 辿り着いた建物は、二階建ての大きなものだった。

 やはりこの建物も新しい。

 一階は一般にも開放されている様子だったが、二階は会員制のようだ。珍しさから周囲を見渡しながらゆっくり歩いていると、ジェイドに促された。そのまままっすぐに二階へ向かう。

 天上の高い室内には本棚がびっしりと並んでいて、系列ごとに細かく仕分けされている。二階には個室もあり、ゆっくりと本が読めるようになっていた。

「後で迎えに来る。二階からは出るなよ」

 そう言い残してジェイドの姿が消える。また魔法で移動したのだろう。

 彼のことだから、ずっと一緒にいてくれるとは思っていなかった。それでも知らない場所にひとりで取り残されるのは、ちょっと心細い。

(でも個室もあるし大丈夫よね?)

 あまり人と会わないように、さっさと本を選んで個室に入ってしまおう。

 そう思って案内板を眺めてみる。

 文字が読めるか心配だったが、言葉と同じようにちゃんと理解することができた。

(何を読もうかな。やっぱり守護者というものについて、もっと詳しく知りたいな)

書籍の位置を確認し、そこに向かうと先客がいた。

「あら?」

 振り向いた女魔導師は、見覚えのある顔をしていた。茶色の髪をきりりと結び、真面目そうな雰囲気をした女性。

(ええと、たしか……)

 思い出そうとしていると、向こうから声をかけてきた。

「あなた、ジェイドの……」

 選出者のひとり、マルティだった。

「え、はい」

 頷くと、彼女はまだ驚きを隠そうともせずに、優衣を凝視している。

「あの、何か……」

 さすがに居心地が悪くなって声を掛けると、彼女は我に返ったように苦笑する。

「ごめんなさい、失礼だったわね。ちょっと意外だったものだから」

「意外って?」

 馬鹿にされたような気がして、優衣は顔をしかめる。どうやらあまり好意的な態度ではないようだ。

「気を悪くしたのならごめんなさい。ただ選出者は、外見だけ磨けばいいと思っている人が多いから。異世界から来て、この国の歴史に興味を持ってくれるとは思わなかったの」

 魔族を惑わし、守護者とする。

 それはこの国を守るために必要なことだ。

 でも男を誘惑するという行為に対して、嫌悪を抱く者もいる。

 きっと彼女もそうなのだ。

(わたしだって、強制みたいなものだけど……)

 そうでなければ、異性を誘惑だなんて絶対にしようと思わない。でもマルティはそこに嫌悪を抱くなら、なぜ選出者となったのか。

「あなたはどうして? 誰かに強制されて? それとも立候補?」

それを率直に尋ねると、マルティは面食らったようだった。

「見かけに寄らず……っていったらまた失礼になるわね。ごめんなさい。でもあなたはジェイドに操られるままの、ただの綺麗なお人形ではないようね」

そう言うと、マルティは観察するようにじっくりと優衣を眺める。

「私は、守護者制度そのものを変えたいの。魔族を誘惑してこの国を守ってもらうなんて、そんなのは嫌なのよ。自分達の国は自分で守りたい。それでも選出者になれば、国の重要人物と会うことができる。王城にも入れる。それが目的なの」

 マルティの言葉からは、強い信念が感じられた。彼女は守護者を選ぶのではなく、制度そのものの改革を目指しているらしい。

「あなたはどうなの?」

「わたしは……」

 どう話すべきか、少し悩んだ。

(彼女は魔導師みたいだし、もしかしたらわたしを向こうの世界に戻せるかもしれない……)

 それにジェイドからも、ここに来た経緯を言うなとは言われていない。

 そう思って、自分の部屋で涼んでいたら光に釣られてこの世界に来てしまったこと。そしてジェイドに協力しなければもとの世界に戻さないと脅されたことを、すべて正直に話した。

「……そうだったの」

 事情を知ったマルティは驚いた様子でその話を聞き、それから本当に気の毒そうに優衣を見た。

「まさかそんな事情だったなんて。協力してもらえることになったってジェイドが言っていたから、私はてっきり……」

 快くそうしたのだと思われていたらしい。

 たしかにあの場で何も言わなかったのは、失敗だったのかもしれない。だがあの謁見の間はあまりにも深刻な雰囲気で、そうすることができなかったのだ。

(日本人は空気を読みすぎる。もっと自己主張したほうがいいって、知り合った留学生が言っていたけど、本当かも……)

 だが今さらそんなことを思ってももう遅い。過去のことはどうしようもないので、これからのことを考えなければ。

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