第111話 フールドの元から去った

  *  *  *


 三十分ぐらいラビィに抱きしめられていただろうか、いや、呼吸ができない程に苦しかったので長く感じただけなのかも知れない。


「そ、そろそろ良いか?」

「そうだね」


 ラビィがそっと呟き、俺を開放してくれた。俺はラビィの肩の高さと同じくらいの手近な枝に止まってラビィと正対した。


 ゴーグルを額の上に引き上げるラビィ。瞳が小さく白目の部分が多い特徴的な両目の目尻を人差し指で拭った後、その目でじっと俺を見つめてきた。


 真っ黒なライダースーツの様な服に身を固めたラビィ。


「なんか……、大人っぽくなったな」

「五年も経ってるからね。ボクだって成長ぐらいするさ。親父のかわいさは相変わらずだけどな」


 右腿に固定されたガンホルスターにはマチェットガンが収容されて居なかった。


「ん? マチェットガンはどうした?」

「あははは、ちょっと持ち合わせが無くてね。親父を救出するために質に入れている」

「どういうことだ?」

「親父が調達しろって言ってきた物ってさ、なかなか高価なんだよ? そんな大金普段から持ち合わせている訳ないじゃないか」

「それにしてもだな」

「親父にすぐに会うためにだったら、ボクは何だってするぞ。マチェットガンを質に入れるぐらい大したことないさ」

「……」

「直ぐに買い戻せば良いんだよ。流れないうちにね。それよりもせっかく手に入れた物を渡さなきゃならないんだろ?」


 そう言うとラビィは凧の上面の板の横から幅のある紐を二本引き出し、両腕を通して背負った。先端を下にしているので逆三角形状に背負っている。


「さぁ、行こうじゃないか。道案内を頼むよ」

「それ、歩き難くないか?」


 俺はラビィの肩に止まって言った。


「ん? 風が吹いていなければ全然問題ないよ。あと狭いところは歩きにくいな」

「風が吹いていたら?」

「そりゃぁもう大変さ」

「だよな。ところでその凧は……」

「もちろん、シャルが作ってくれたのさ。親父が編み出してくれたボクの能力を使った飛び方で何度も飛んでると気づいたのさ。それは、足の裏に地面があるかの様に意識しながら飛ぶより、体を傾けて空気に乗る様にした方が飛びやすいってことなんだ。それを数年かけて色々試してみた結果、この凧を利用すると速く、安定して、楽に飛べる様になった訳さ。実際のところ、シャルのアイデアが沢山詰まっているんだけどね。本当は親父の考えも色々聞きたかったんだけど……」


 急に口をつぐむラビィ。


「……その、すまんな。急に居なくなって」

「ううん、まぁ、こうやって戻ってきてくれたし……、これからはずっと離さないつもりだし、寝るときは一緒だし、なんなら水浴びも一緒にする――」

「おい!」

「ははは、冗談じゃないよ」

「いや、そこは冗談だって言えよ!」

「凧無しで飛ぶこともボクは上手くなったぞ。せっかく親父からボクの能力の使い方を教えてもらったから、親父が居なくなってもシャルに相談しながら随分と練習したもんさ。凧の乗り方も、銃の撃ち方も……」


 そしてラビィは肩に乗った俺をじっと睨んだ。


「な、なんだ?」

「……」


 黙ったまま俺を睨み続けるラビィ。うっすらと涙を浮かべている。


「まぁ、なんだ、その、本当に悪か――」


 突然ラビィの顔が近づき、嘴にキスされた。


「ちょ! おま――」

「ははは、これはボクらを放っておいた仕返しさ。こらからもちょくちょく仕返しするから覚えておくが良いよ」

「仕返しってなんだよ!」

「まぁまぁ、そんなことより、この先はどっちに向かった良いんだい? 右かい? それとも左かな?」


 わざとらしく、きょろきょろと辺りを見渡すラビィ。


「いや、まだ一本道だが」

「そうだね。じゃあ真っ直ぐ進もう。いつまでも親父と一緒にね」

「……」


 それから俺はラビィをフールドの元に案内した。森の中では現在位置が分からないので、時々樹冠から空に飛び出して、大型の猛禽類に襲われないかとドキドキしながら現在位置を確認しながらだ。


  *  *  *


「なるほど。確かにこの料理は味が変わってるけど、もう一度食べたいと思うぐらいに美味しいと思うよ」


 ギーニア虎の煮込み料理を馳走になりながら、ラビィが言った。


「だろ? この肉を美味しく頂くためのコツは、臭みを消すための香辛料と、味を調和させるための野菜類と、味をしっかり染み込ませる調理時間なのさ」


 フールドは自慢するでもなく、淡々と料理法を語る。


「美食家であるフールドは、だからあんなに入手が困難な調味料を要求したんだね」


 様々な香辛料や調味料のお使いを頼まれたラビィが言った。


「ああ、そうさ。お陰で助かったよ」

「連絡をくれたら依頼された物を送り届けることは可能だけど、あぁ、もちろん対価はもらうさ。ただ、連絡方法が無い、よな?」


 ラビィが少し考えながら言った。


「なぁラビィ、遠隔地に居ても即座に連絡が取れる通信方法は他に無いのか?」


 もちろん俺達が持っている巻き貝の魔法装備アーティファクト以外の手段だ。


「う~ん、商売神の教会が提供している伝文の魔法羊皮紙ってのが有るには有るよ。ただ、ものすごく値が張るんだ。大店おおだなの商人や、国事目的でしか使えないよ」

「おぉ! その手が有ったね。次からはそうしよう」


 手を打ちながらフールドが言った。


「どういう事だ?」

「そう言えば思い出したのさ。ちょっと待ってておくれ」


 そう言うとフールドは木の上の住処に登って行った。シンカはフールドの動きを無視して黙って食事を続けている。


「どうしたんだろう?」


 ラビィが俺に聞いてきた。


「分からん」


 しばらくるとフールドが、俺とラビィが居るテーブルまで戻ってきた。


「じゃあ、これを預けておこう。これが使えなくなった際には新しい魔法羊皮紙を調達してきておくれ。もちろん対価は払うからさ。あ、そうそう、もちろん輸送費込みの手間賃ももちろん払うよ」


 そう言うとフールドはラビィに丸めた羊皮紙を渡した。


「まさか、これは?」

「今しがた君が言った、一対の伝文の魔法羊皮紙の片割れさ。随分昔にシンカとの連絡を取るときに使っていたんだが、もう使わなくなったからね」

「えぇっ! でもボクはその依頼を受けられないぐらいに忙しいかもしれないぞ? その時はどうするんだい?」


 受け取った羊皮紙を鑑定する様に色々な角度から眺めるラビィ。その表面には数行の文字列が書かれていた。全ての文字列には取り消し線が引かれている。


「だから、どうしても入手が困難なときにしか使わない予定だよ。これの使い方のルールを決めておこうか。まず相手の伝文を読んだら、取り消し線を引く様にしよう。相手が読んだかどうかがそれで分かるからね。あと、君からは返信時に配送が可能か不可能か、またどの位で配送できるかを連絡して欲しい。既読で返信がないときにはそれを見定めていると解釈しておくからね。そして互いに、最低七日に一度は何か新たに書き込まれていないか確認するようにしないかい?」

「フールドが良いって言うなら良いんだけど。な? 親父?」

「俺に振るなよ。ちなみにこの羊皮紙はどうやって使うんだ?」

「どちらか一方で書き込んだ内容が、他方の羊皮紙にも現れるんだ。それだけだよ」

「なるほどね」


 双方の羊皮紙に書き込んだ内容を同期しているからくりか……。取り消し線を使うって事は一回書き込んだ内容は消せないんだな。びっしり書き込んだら使えなくなるってことは消耗品扱いだな。商売神の教会も上手いことやってるな。


「分かったよフールド、これは預かっておく。ただ、ボクもあちこちに飛び回っているから直ぐに配送できるとは限らないからね。それは覚えておいてくれよ」

「もちろんだよ」


 そうして俺たちはフールドの元から出発した。まずは皆が待っているセカルドの街に戻るのだ。


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