第62話 小屋に火を放たれた

 木造のその古い小屋の壁の板の隙間から、蛇の舌の様な炎がちろちろと揺れている。問題は四方すべての壁からその炎が出ていると言うことだ。シャルは手近な荷物を集めファングにそれらを持つように指示している。俺はモモの左腕に抱えられていた。


「すまん! モモ。今戻った! これはどういう事だ?」


 俺は自分で羽ばたきモモの肩に飛び移った。


「火事よ。問題は外から燃えているってこと!」

「ってことは、放火――」


 そう言おうとした瞬間、燃えている扉が開きそこに一人の影が立っていた。


「助か――」


 勇敢な警備隊の誰かが燃えている小屋に突進して来たのかと思ったが、それは大きな間違いだった。


屍食鬼グール!」


 そこには衣服の一部を燃やしながらも、それを気にしていない屍食鬼グールが立っていた。


『エコー、突然どうしたの?』


 呪文スクリプトの分析を突然中断した俺に、パイラが尋ねてきた。


『すまん、感覚を共有するから見ててくれ!』

『分かったわ』


「エコー、離れてて!」


 モモがそう言うと屍食鬼グールに突進した。取り残された俺は羽ばたいて、その場に留まった。


 屍食鬼グールは裂けた口を大きく広げ歯をむき出しにしてモモを威嚇し、鋭い爪をすべてモモに向けていつでも攻撃できる様に構えている。その屍食鬼グールは老人の死体の様だった。


 詰め寄ったモモは、抜刀と同時に右斬り上げで屍食鬼グールの左手首を斬り飛ばし、あり得ない軌道でカタナを返して振り下ろす。切り離された左手が空中でくるくると回っている間に、右手首から先も失った屍食鬼グール


「ファング! 押し出して!」


 そう言って身を引くモモ。間髪を入れずにファングが屍食鬼グールのみぞおちを蹴り、そいつを小屋の外に激しく蹴り出した。両手首を無くした屍食鬼グールは地面に叩きつけられた後、何回かごろごろと横転した。


「出るわよ!」


 唯一火が上がっていない出口から外に飛び出すモモ。大量の荷物を抱えているシャルとファングがその後に続いた。俺もその側を飛んで外に出た。


 小屋の周囲には木の枝の束が積まれており、それらと壁が激しく燃えていた。放火の為に周到に準備をした様だ。


 燃え上がる炎に照らされて、ゆっくりと立ち上がる屍食鬼グール。更に遠くでは警備隊の何人かが大声を上げて火事を周囲に知らせていた。屍食鬼グールは周囲に全く関心が無い様子で、赤黒く光っている目がモモだけを睨んでいる。


「私に興味が有るのかしら」

「みたいだな、油断はするなよ」

「ええ」


 俺がモモから離れると、モモは納刀したカタナの柄に右手を添え、身を低くして構えた。


 両手を失っている屍食鬼グールは口を最大限に開き、単調な動きでモモに迫ってきた。その距離がゼロになろうとした直前――


 キン!


 軽快な金属音が鳴り、そこには微動だにしていないモモが居た。低く構えたモモの右肩に、突進してきた屍食鬼グールの胸がぶつかる。そしていつの間にか切り落とされていた屍食鬼グールの頭部が、遅ればせながらモモの背後の地面にゴロリと落ちた。


『え? 今、斬ったの?』


 パイラが念話で呟いた。


 その技の名は水輪斬り。攻撃範囲内に踏み込んできた対象を確実に斬る。剣聖の能力を持つ俺にはモモのカタナの軌道は見えているが、パイラには見えていないらしい。


 動きが遅い相手だったとは言え、モモはその技を使いこなしている様だ。


 構えを解いたモモは嫌な顔をしながら、自分に覆いかぶさっている屍食鬼グールの体を押しのけた。首を失っているそれは、既に動きが止まっていた。


 屍食鬼グールとの戦闘が終わったことを確認したシャルが、すぐにファングに指示を出して荷車を燃えている小屋から退避させていた。この辺りのシャルの判断は抜かりがない。まぁ、自分の荷物が大事なだけなのかもしれないが。


 警備隊員が集まってきた。夜中とは言え敷地内の建物が燃えているのだから当然ではある。


 隊員達がバケツに入った水を小屋に掛けて消火活動を始めたころ、ファングが退避させた荷車の周りにモモ一行が集まっていた。寝具類は焼けてしまったがその他の武具類、特にシャルのお気に入りの工具類は無事回収する事ができていた。そこへトリマー副官に付いていたアエズ隊員が近づいてきた。


「無事でしたか!」

「ええ」


 モモが応える。


「失火――、では無いですね」


 小屋の周りに焚き付けの様に薪が並べられていたのを見たらしい。


「多分、関係があると思うけど、これを見て」


 モモは荷車の横に放置している屍食鬼グールの死骸を指さして言った。両手首は小屋の中だが、それ以外はそこにあった。


「これは……、屍食鬼グールですね?」


 土気色の肌、出血していない切断面、その特徴を見てアエズが言った。


「ええ、火事の発生と同時に小屋に入って来たの。服を焦がしながらね」

「……と言うことは、この魔物には意志があり、しかも知性があるという事になりますね」

「え?」


 アエズの言葉に何も言えなくなるモモ。


 確かに変だ。屍食鬼グールは明らかにモモを襲撃対象としていたし、放火をしたのなら薪の準備も屍食鬼グールがしたことになる。しかし何故だ?


 モモもシャルもその事に気づいた様子で考え込んでいる。ファングは考え込んでいるシャルの背後に回って、腕を組んで辺りを見回していた。


「あるいはアタシ達が屍食鬼グールの死骸を用意しておき、放火した可能性もあります」


 突然シャルが話し出す。


 驚くモモと、注意をシャルに向けるアエズ。ファングは大きく頷いていたが、恐らく意味を理解しちゃいないだろう。


 ここから離れた小屋の付近で、火が周囲に広がる前に建物を崩してしまえと怒号が取り交わされていた。


「……その可能性もありますね」


 アエズが応える。


「でも動機が無いのです。この火災の混乱に乗じて何か事を起こす可能性もありますが、何も起こってません。あるいは、混乱に乗じて宿場町に人や物を運び入れたり運び出したりする可能性もありますね。修理手の働き口を用意するための破壊工作と言うのもありえなくも無い話ですが……」

「リスクが高すぎますね。あなた達にメリットが無い」


 アエズがシャルに言った。


「そうなのです」

「あなたがそう言って、真の目的から我々の目をミスリードさせる事も考えられますが……」


 考え込む様に腕を組むアエズ。


「ちょっと! ちょっと! シャルもあなたも何小難しい事言ってるの!? この屍食鬼グールがやった事でしょ!」


 シャルはそう言ったモモをちらっと見て、


「策謀できる様に見えますか?」


 と、首を傾げながらアエズに言った。モモが何か企む様な人間に見えるかとシャルはアエズに聞いているのだ。


「確かに。あなた達の身分は確認していますから、何か起こした後からでも追跡は可能ですしね」


 肩を竦めながらそう言うアエズ。


「だから、この屍食鬼グールが襲ってきたの!」


 シャルと話しているアエズに割り込む様に言うモモ。


「襲われる理由に心当たりはありますか?」

「無いわ!」


 アエズの方をじっと見て言い切るモモ。わずかの間、モモを見ていたアエズはシャルに視線を移し、


「心当たりはありますか?」


 と聞いた。その対応に、小さな声で「何よ!」と放つモモ。


「実は無いのです。そもそも魔物である屍食鬼グールが意図が有るかの様に襲って来た事が理解できないのです」


 シャルがアエズに応えている間、モモは興味が無くなったかの様に燃えている小屋を眺めていた。


「……そうですか」

屍食鬼グールは未知の魔物なのですよね?」

「ええ、これもこちらで預かりますね」


 屍食鬼グールの死骸を示しながらアエズは言った。


「お願いするのです」

「あ、ところで明日の武具の修復作業は予定通りされますか?」

「もちろんなのです」

「では明日また会いに来ますね」


 そう言ってアエズは他の警備隊員に屍食鬼グールの死骸を運ぶ様に指示しながら、その場を去った。


 アエズの後ろ姿を目で追いながら考え込む様子のシャルの肩に、俺は飛び移った。


「どうした?」

「理由も分からず狙われる事が心配なのです」

「確かに。警戒し続けるのも骨が折れるしな」


 俺はシャルの心配に同意した。


「大丈夫よ! 屍食鬼グールぐらいいつでも撃退しちゃうわよ!」


 握りこぶしを握りながらモモが言った。


『こう言うところが心配なのよね』


 俺の感覚を通して一部始終を見ていたパイラが、代弁してくれた。


 まったくだ。









◇ ◇ ◇

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