第38話 チシャが変身した
怒りと悲しみの形相を浮かべているチシャの双眸の焦点は定まっておらず大量の涙を溢れさせていた。髪の毛は乱れに乱れ、風も吹いていないのにワサワサと波打っていた。そしてその額の中央から濃い紫色の煙の様なものが立ち上っていた。
「え?!」
声を上げるモモ。両目を見開き、額の鉢巻きに左手をあてて硬直している。
チシャがゆっくりとテラスに出てきた。考えられない程の量に増えている長い髪の束が上下左右に放射状になびく。まるで沢山の脚を持つクモヒトデの様だ。その髪束の二本が建物の中に繋がっていた。
チシャが突然天を仰ぎ咆哮を上げる。金切り声と地の底から響く重低音を混ぜ合わせた様な人が発するとは思えないザラザラとした声音だ。チシャの体が一回り大きくなった気がした。
「あぁ」
チシャをしっかりと見ているモモが片膝を付いてうずくまる。
「おい、モモ!」
チシャが更に一歩前に出た。建物の中に繋がっていた二本の髪束の一本が弓状になったかと思うと、建物の中から何かを引きずり出し正面の庭に放り出した。
それは――、そのうつ伏せに転がって動かない亡骸は、建物に引きずり込まれたユージンだった。
更にチシャのもう一本の髪束が弓状にしなり、何かを建物から引きずり出し正面ではなく横に放り出す。その見知らぬ女の亡骸は、衣服をひらひらとはためかせて放物線を描き、そして地面に叩きつけられた。
チシャは両手で顔を覆い、再度咆哮を上げる。その額から天に向かって立ち上がっていた、僅かに光っている微粒子の煙の量が増した。そしてその根本が強く発光しながら固体化していった。
「そ、そうだった……」
モモが呟く。
「おい、大丈夫か?」
俺はモモの周りを飛び回ることしかできなかった。
チシャの額から吹き出していた微粒子の群れは固体化を完了し、一本の角を形成した。それは、それはまるでオーガーの角だった。
「……思い出した」
モモは立ち上がりチシャに向かってゆっくりと進みだした。
「おい! 行くな!」
チシャの体が明らかに膨張していた。何本もの髪束がそれぞれが意思を持っているかのように波打ち、伸縮していた。角が発していた光が徐々に弱まり、そして発光しなくなった。その瞬間、チシャの体が一気に二メートル半まで膨張し、着ている服が散り散りになる。その筋肉隆々な体の全身は毛で覆われている。戦闘力はモモよりもやや高かった。
オーガーだ!
チシャオーガーの髪束の一本がユージンの遺体に伸び絡みついた。そして自身に引きずり寄せる。更に別の一本が見知らぬ女の遺体に伸び絡みついた。そしてその遺体を塀の外に投げ飛ばしてしまった。
左腕でユージンの遺体を抱えているチシャオーガーに、剣を手にして近づくモモ。そこに髪束の一つが螺旋を描きながら突き進んできた。剣でそれを斬ろうとした刹那、髪束が左右に分岐しモモを絡め取ろうとした。咄嗟に後ろに飛び退くモモ。
「モモ! 退け! 一度に全部の髪に攻撃されたらマズイぞ!」
チシャオーガーはモモに集中している様子はない。左腕に抱えたユージンの遺体を右手でなでている仕草を見せている。
「でも!」
剣を構え直すモモ。
「ここで死んでしまったら、もっと強くなれないぞ!」
「……分かった」
モモはチシャオーガーに正対しながらゆっくりと後退し始めた。チシャオーガーはそれを特に止めようとはしなかった。髪束の一本は地面を掘ろうとしていたし、他の一本は建物の柱に巻き付いていたり、それぞれの髪束が勝手に動いている様だった。
無事、門を超え塀の外に出たモモ。俺は上空からシャオーガーが外に出てこないことを確認した。そいつは、鉄を操るオーガーの時と同じ様に、目的を持っているとは到底思えない動きをし続けていた。
「モモ、何を思い出したんだ?」
俺はモモの肩に戻っていた。
「整理できたら後で話すわ」
額の鉢巻きをさすり続けるモモ。無意識でやっているのだろうか。
「このまま放置はできないな。まさか普通の人間がオーガーに変身するとは……」
「違うわ。チシャがギフト能力者だからオーガーになったのよ」
「何!?」
その瞬間、いくつかの点在していた情報が俺の中で繋がった。オーガーは個体別に特殊能力を持っているが、それはギフト能力者がオーガーに変身しているからだ。恐らくスーサスもギフト能力者だった……。当然その遺体は出て来ない。スーサスオーガーを討伐した死体が転がっていただけだ。さらに魔法学園で見つかったバーバラの昔の論文。そこにもギフト能力とオーガーの関連性が示唆されていた。恐らくモモとパイラの師匠のバーバラはギフト能力者がオーガーに変身することを突き止めている。ギフト能力を知ることができるギフト能力を持ったバーバラが
「何、ぼうっとしてるのよ」
考え込んでいた俺の注意を、現実世界に引き戻すモモ。
「あ、ああ。すまん。あのオーガー、いや、チシャなんだが――」
「討伐するしか無いわ。それにあれはもうチシャじゃない。あいつを呼ぶときはチシャの名は二度と出さないで!」
力強い命令とも、悲しみを含んだ請願とも取れる口調でモモが言った。
「分かった。あいつを討伐するには応援が必要だ。ファング、できればルーラルやシムも欲しい。あいつの攻撃範囲に入らないならシャルも役立つだろう。俺が呼びに行ったほうが早いな。お前は一般人が巻き込まれないように見張っててくれ」
「そうね、分かったわ」
「まずシャルに合流する。そしてシャルにファング達のクエスト先を聞き出してもらう。そしてファング達と合流してこっちに向かう。それまで待っててくれ。ヤツがあそこから出てきても、絶対に単身であのオーガーに立ち向かうなよ!」
「ええ」
俺はその言葉を確認すると、一気に空高く舞い上がった。
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