第32話 パイラが研究員になると言った

『エコー、今ちょっと良いかしら?』


 ファングの穴掘り作業に飽きていた俺がパイラの様子を覗き見しようとした矢先、パイラの方から俺に念話でコンタクトしてきた。


『ああ、ちょっと待ってくれ』


 俺はパイラの感覚を共有する事に集中できる様にするために、ファングの作業場からそんなに離れていない切り株に飛び移った。ファングは打ち込まれた杭に沿って溝掘りを続けている。


『いいぞ』


 そう念話でパイラに伝えながら俺は勝手にパイラの感覚を共有した。


 パイラの居る場所は図書館だった。そこは静寂が支配しており、誰かが床板の上を歩く音だけが聞こえてきていた。パイラは机に向かっておりそこには何冊かの本が置かれている。


『視覚を共有するわね』

『ああ』


 悪いな。既に盗み見している。


『これが見える?』


 パイラが指差すそこには開かれた一冊の本があった。


『見えるが、俺は「穴掘り」って文字以外は読めないぞ?』

『「穴掘り」って文字は覚えたのね? おめでとう。それで、その穴掘りって文字はいつ使うのかしら?』

『……。いつ使えるかは分からないし、別段、めでたくも無い。で、この本がどうしたんだ?』

『この本は、学園の論文集なのよ』

『卒業論文集ってやつか?』

『その卒業論文と言うのが何か分からないけど、この論文集は学生が寄稿して選ばれたものだけを綴っているみたいよ。そんな奇特な学生は少ないのだけれど』

『んで、その学生の同人誌がどうした?』

『同人誌が何か知らないけど、投稿者の中に面白い人を見つけたのよ』

『変わり者が居たのか?』

『そうではなくて、私達の師匠の名前があったの』

『パイラやモモの師匠か? たしかバーバラだったか?』

『ええ、そうよ』

『俺はバーバラを知らんから、その発見はあまりときめくものではないが……』

『そうね、ごめんなさい』

『謝る必要は無いが、内容はどんなものだったんだ?』

『ギフト能力と魔法の違いに関する一考察、みたいな感じよ』

『なるほど』

『そして内容がちょっと興味深いの』

『つまり?』

『魔法に関する内容は薄かったわ。私が以前エコーに説明した様な内容で、そんなに変わった記述は無かったわ。そしてギフト能力の方は、自身が魔女だったからより詳しく書いてあった。ギフト能力は個人別にあって同じものは無さそうだとか、本人の自我に密接に絡み合っていそうだとか、コインの表と裏の様な関係ではないかとか、そういった感じ』


 表と裏ね。


『神の様な存在が何かの目的をもって与えたのかも知れないと感想を重ねてたわ。あと、今後はオーガーに注意して考察を深めていきたいと締めているの』

『なんで突然オーガーなんだ?』

『分からないわ』

『お前が師匠と一緒にいた頃、オーガーに関する活動をしてたか? オーガー狩りとか』

『いいえ、魔女団カブンの運営や、魔女団カブンに所属していない野良の魔女や術師を魔女団カブンに招き入れる活動をやっていたという記憶ぐらいしかないわね』

『そうか……』

『そして、もう一つ話があるの』

『なんだ?』

『この魔法なのだけれど……』


 そう言いながらパイラは開いていた本を閉じ、別の本を開いた。相変わらず俺は何が書いてあるかさっぱり分からなかった。


『この魔導書は、旧館の奥の書架に有った本なの。なんとも不思議な魔法と聖刻が一つだけ記述されていたの。その聖刻は「名もなき精霊」のものだと書いてあったわ。そしてその聖刻を使う魔法のスクリプトが一つだけあった……』

『それで?』

『妙に好奇心が湧いてしまって、あなたの考えも聞かせてもらおうかと思って』

『どんな魔法なんだ?』

『その魔法は、1メートル後ろに転移する魔法だと説明されているわ。工夫次第で有効に使える筈だけどお前に上手く使いこなせることができるか? といった言葉も添えられていたのよ』

『その名もなき精霊とやらの聖刻は記録できたのか?』

『ええ、その本の聖刻を見た時にね。ほらここにあるでしょ?』


 そう言うとパイラは管理窓ファイラーを視覚の端に開いて見せた。そこには幾つかの聖刻と思われるリストが並んでいた。


『どれがどれか分からん』

『ええっと、上の四つは基本の四精霊の聖刻で、五番目のが名もなき精霊の聖刻よ、最後の二つは私とエコーの聖刻ね』

『その魔法は試したのか?』

『まだよ。これから』

『くれぐれも背後には気を付けろよ。後ろに壁がある状態で転移して、気づいたら壁の中ってことが無い様にな』

『もちろんよ。で、この魔法に何か感じることはない?』


 術者から1メートル後ろに転移するってのが気になるな。以前見せてもらったのは、二十メートル先に火を出すものだったし……。


『そう言えば、対象を指定して発動する魔法は無いのか?』

『そうね、手で接触する対象の傷を癒やすと言うのが有るわよ』

『じゃあ、目で見た相手を対象とする魔法は有るか?』

『見たことは無いわ。有りそうな気がするけれど……』


 対象をどの様に指定するのかなどは気になるが、


『今のところはそんな感じだな。ところで、俺が人間になれる様な魔法は見つかったか?』

『色々調べているのだけれど、私が閲覧できる図書にはそれらしいのは無いわね。学位が上がったり研究員になれたら高位の魔導書の閲覧許可を貰えると思うわ』

『研究員になるって、どれだけ待つんだ?』

『通常なら五、六年はかかるわね。特級研究員の推薦が貰えたらすぐにでも研究員になれるかも知れないけど』

『その特級研究員になるための活動をしているのか?』

『まだよ。今はどの教官が良いか見定めているの。変な人に当たっても嫌だし。いい教官が居たらアプローチするつもりだけど』

『……できれば急いで欲しい』

『もちろんよ。でも、師事した教官が戦略級攻撃魔法の専門家だったら嫌でしょ?』

『ま、まあな』

『慌てて闇雲に手を出すより、期待ある物に狙いを定めて構えておく方が良いと思うのよ。それまでは知識を蓄積しておくわ』


 ふむ、構えて待つか……。構えて待つ、ね。モモに伝授するネタに使える知れないな。


『よし、魔法のことはお前に任せた』

『じゃあ、そろそろ私は任された知識を高めるために、新しい魔法でも試してくるわ』


 パイラは机上で広げられている本を閉じながら言った。


『ああ、気をつけてな』

『ええ。じゃあ感覚の共有と念話を切るわよ』


 パイラは数冊の本を手に持ち席を立ち上がる。まだ俺はパイラの感覚の共有を切っていなかった。本棚が並ぶ図書館の一角に向かう途中の窓から外を眺めるパイラ。今いる場所は三階ぐらいだろう。眼下の木々が並ぶ庭園にはベンチが幾つか備え付けられており、その一つにシャーロットを含む学生達が集い談笑していた。


 僅かな間、歩みを止めその様子を見たパイラだが、すっと視線を外して本棚の方に視線を向け歩き出した。


「誰が良いかしら?」


 ぼそりとつぶやくパイラだった。


 おいおい、復讐じゃないよな? 師事する教官の話だよな?


 俺は感覚の共有を切り、ファングの穴掘り作業の現場に意識を戻した。

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