第80話 邪神を餌付けしてみた
「えぐ……えぐ……もうやじゃ。また長き眠りにつきたい」
「え、えっと、元気出してください!」
「ほ、ほら! お酒でも飲んで、ぱぁっと忘れましょうよ、邪神様!」
邪神テーラの“真の姿”(爆散後)を見つけたあと。
ローナと魔族たちは、膝を抱えてガチ泣きしている邪神テーラの慰め会を開いていた。
やがて泣き疲れたのか、邪神テーラのお腹から、くきゅるるるぅ……と音が鳴りだす。
「……腹が減ったのじゃ」
「え?」
「腹が減ったのじゃああっ!」
「あ、ああっ! でしたら、いいものが!」
ローナはいそいそとアイテムボックスから、とある料理の入った鍋を取り出した。
「なんか、当たり前のように空間をゆがめたけど……なんじゃ、それは? 食べ物なのか?」
「はい、これは“かれーらいす”っていう神々の――いえ、地上の食べ物です!」
そう、これは最近、メルチェとの試食会で出されたものだ。
試作料理がたくさん余っているとのことで、せっかくだからとローナがもらっていたものであり――ある意味、この黄金郷に来るきっかけをくれた食べ物とも言えるだろう。
「む、むぅ……かれーらいす? しかし、ひどい色じゃのぅ。まるで汚泥ではないか。しょせん、
邪神テーラが顔をしかめる。
黄金郷にあるのは、見目麗しい宝石みたいな食べ物だけであり。
こんな変なにおいのする茶色い食べ物など誰も見たことはなく、この“かれーらいす”なるのものが食べ物とは思えなかった。
思えなかったのだが……。
「「「…………ごくっ」」」
どうしてだろうか、その香りが鼻孔をくすぐるたびに……。
邪神テーラと魔族たちの口から、唾液があふれ出てくる。お腹がぐぅっと鳴りだす。
「もしよければ、みんなで食べましょう! ピクニックをするときは、“かれーらいす”を食べるものと言いますしね!」
「……ま、まあ、よいじゃろう。一口だけなら食べてやってもよい」
と、なぜかえらそうに、邪神テーラが皿に盛られた“かれーらいす”を受け取った。
そして、おそるおそるスプーンですくって、口に運び――。
「――――――」
「……さん? ……ですか?」
「――――――」
「テーラさん、大丈夫ですか?」
「――はっ!? 意識が飛んでおった!? わ、われは今、なにをされたのじゃ!?」
「なにって、“かれーらいす”を食べただけでは?」
「……なん、じゃと?」
たしかに、スプーンにすくっていたはずの“かれーらいす”はなくなっていた。
しかし、それがどんな味だったのか思い出せない。
なにか、雷に打たれたかのような衝撃があったことだけは覚えているが。
「あ、あの、お口に合わないようでしたら……」
「待つのじゃ! そんなことは言ってないのじゃ! この“かれーらいす”は、われのものじゃ! じゃるるるっ!」
「あ、はい」
それから、邪神テーラは“かれーらいすを、もう一口食べてみる。
その瞬間――舌先から、びりりっと雷が走るような鮮烈な感覚があった。
「びゃ……びゃ……」
「びゃ?」
「――びゃあ゛ぁ゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛っ!?」
「わっ」
邪神テーラは思わず叫んでいた。
そのまま、はふはふと、かっこむように“かれーらいす”を食べ始める。
(あ、ありえんのじゃ……こんな美しくない
やめられない、止まらない。
それは、まさに至高の美味。
(あ……あぁ……
メシ堕ちした邪神の姿が、そこにはあった。
しかし、彼女はそこで、はっと我に返る。
(はっ! こ、これはまずいのじゃ! われは邪神じゃから、“かれーらいす”のうまみにも耐えられたが……こんなものを、われの下僕どもが食べたらっ!)
慌てて魔族たちを見てみると、彼女の懸念は的中していた。
「――はっ!? 意識が飛んでいた!?」
「おい、しっかりしろ! 食べ終わるまで死ぬんじゃない!」
「びゃあ゛ぁ゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛っ!?」
魔族たちもまた、邪神テーラと同じような混乱におちいっていた。
――圧倒的美味。
それは、魔族たちにとって初めての経験だったのだ。
かつて、古代文明が栄えていた時代も、彼らは“賢者の石”によってあらゆる想像を実現させてきたが……。
しかし、想像以上のものは手に入れることができなかった。
そして、満たされているがゆえに、そこで立ち止まってしまった。
そこそこおいしいもので飢えを満たせるのだから、それでいいじゃないか……と。
だからこそ、不足ゆえに試行錯誤をくり返し、想像の限界を超え続けてきた神々の食べ物“かれーらいす”は、魔族たちにとって劇薬となり――。
「……こ、これが地上の食べ物」
「楽園は地上にあったのか……」
「……はっ! もうなくなってしまった!」
「あっ、おかわりもいいですよ!」
「「「――!?」」」
わぁっ、とローナへと殺到する魔族たち。
その中には、ちゃっかり邪神テーラもまざっていた。
「……ローナよ。“かれーらいす”を食わせてくれたこと感謝するのじゃ」
「な、泣いてる? いえ、喜んでもらえたなら、なによりですが」
「しかし、これほどの至高の美味じゃ……かなり貴重なものだったのではないか?」
「え? ただの試作品ですよ?」
「し、試作品?」
「はい。今も、もっとおいしくなるように研究されてるんです。スパイスの配分を変えてみたり、甘みをつけてみたり。具材によっても風味が全然違うみたいで」
「こ、これ以上に、おいしく……」
邪神テーラが愕然とする。
すでに完成された食べ物だと思っていた。
しかし、地上の人間はこれで満足していないのだ。
完成のその先へ。想像のその先へ。限界のその先へ――。
きっと、この先も“かれーらいす”は進化し続ける。
いや、おそらく“かれーらいす”にかぎった話ではないのだろう。
「えへへ! 地上にはまだまだ、いろいろな食べ物がありまして!」
ローナの手元から、ぽぽぽぽんっと出てくる料理たち。
見たことのない食べ物が、魔族たちの前にずら~りと並ぶ。
邪神テーラが試しにいくつか食べてみるが。
「……う、うまいのじゃ!? これも、うまいのじゃっ!?」
どれもこれも、これまで味わったことのない――圧倒的美味。
しかし、ローナが言うには、これでも試作品らしい。
「…………ぁ……ぁあ……っ」
邪神テーラは、自分の中から、なにかが砕け散るのを感じた。
……彼女は、ずっと地上を滅ぼそうと考えていた。
地上を滅ぼして、黄金郷みたいな美しい楽園にしたかった。
人間は美しくなくて。醜く争ってばかりで。
だけど、みんなが満たされれば、きっと美しい世界になると思って。
かつて、地の女神であったテーラは、地上に“賢者の石”をもたらした。
しかし、それは――禁断の果実であった。
人間たちは、醜い欲望のための道具として“賢者の石”を使った。
人間たちは、不老不死の魔族となり、永遠に戦争を続けるようになり……。
やがては、テーラたち神々にも牙をむいた。
――あぁ……醜い……醜い醜い醜い醜い……ッ!
テーラは人間に絶望して……邪神に堕ちて。
誰よりも醜い“獣”に堕ちて、厄災に堕ちて、地底に封印されて……。
――ああ、そうだ。醜いものを全て綺麗な黄金に変えてしまおう!
――美しいものだけを集めて、この世界を黄金郷で塗りつぶそう!
とか、いろいろ考えていたのだが。
「――むぉおおっ! メシがうめぇのじゃあああっ!」
なんかもう、どうでもよくなっていた。
ご飯の力は偉大であった。
「えへへ、おかわりもいいですよ!」
「じゃふぅ~♪」
もしも地上を滅ぼしてしまえば、このうまいメシが食べられなくなるし。
思えば、そこまで地上を滅ぼす必要もないし。
それに、だんだん今の地上への興味もわいてきた。
「ふぅむ……今の地上には、このような食べ物があるんじゃのぅ」
「はい! といっても、ここに持ってこれたものは、ほんのわずかですが」
「……うむ、そうか」
邪神テーラは頬に米粒をつけながら、感慨深げに目を閉じる。
それから、しばらくして……。
彼女は、今までにない真剣な表情で口を開いた。
「……ローナよ。今の地上について、もっと教えてもらってもよいかのぅ?」
「え?」
「われは人間を愚かだと決めつけて、滅ぼすことばかりを考えてきた。じゃが、人間はこの1000年で、われの知らないものをたくさん生み出した。じゃから、知らねばならぬと思ったのじゃ――今の地上にはどれだけの人がいて、どんな景色が広がり、どんなメシがあり、どんな技術が花開き、どんな生活が営まれ、そして……どんなメシがあるのかをのぅ」
いつしか、魔族たちもその話に耳を傾けていた。
……地上について知りたい。とくにメシについては重点的に知りたい。
それは、今ここにいる魔族たち全員に、共通する思いであり――。
「いいですよ! えへへ、こういうの話すの得意でして!」
やがて、ローナはこころよく頷くと。
エルフや水竜族にしたように、これまで旅してきた町について語りだした。
――天変地異で阿鼻叫喚になっていたイフォネの町。
――毒花粉によって滅びかけていたエルフの隠れ里。
――水曜日のスタンピードによって滅びかけていた港町アクアス。
――神話の大怪物によって滅びかけていた海底王国アトラン……。
また、インターネットで調べた“今の地上”の話も語ってみた。
――80億に到達した世界人口。
――天をつくように立ち並んだ高層ビル群。
――秒速11kmで宇宙へと飛んでいく巨大船。
――世界を5回滅ぼせるほどの強力な兵器群。
――人類に反乱を起こそうとしている人工知能たち。
――ポケットサイズであらゆる奇跡を起こせる“すまほ”という万能魔道具……。
「……とまあ、今の地上の様子は、こんな感じです!」
「「「――地上すげぇええええっ!?」」」
魔族たちが1000年封印されている間に、地上が進歩しすぎであった。
滅ぼすべきかどうかとか、そんなことを考えられる相手ではなかった。
(……ち、地上やべぇのじゃ。滅ぼそうとしなくてよかったのじゃ)
邪神テーラもがくがくと戦慄する。
こうして誰にもツッコまれぬまま、魔族たちの地上のイメージが固まってしまい……。
「そ、そういえば、おぬし……“一般人”と言っておったよな?」
「はい、言いましたが」
「つ、つまり、世界には80億人も、おぬしみたいな人間が……」
「?」
いろいろと前提や計算がおかしかったが、邪神にとっては個体差という考えもほとんどなく。
彼女は想像してしまう。
80億人のローナが、地上を跋扈している世界を――。
『『『『『――――こんにちは~っ!!』』』』』
「ひぃぃっ!」
悪夢であった。
「……ち、地上は今、どうなっておるのじゃ?」
「? 今、話しましたが」
話を聞けば聞くほど、地上のことがわからなくなっていく邪神であった。
「とゆーか、おぬしの話じゃと……なんか、どの町も滅亡しかけてるんじゃが」
「えへへ! 慣れちゃいますよ、そんなのは!」
「慣れちゃうの!?」
「あっ、でも! 王都ウェブンヘイムってところは、珍しく滅亡の危機におちいってなくて! 最近、そこで屋台コンテストっていうイベントに参加しました!」
「屋台コンテスト? 屋台を振り回して決闘でもするのかのぅ?」
「私も最初はそう思ったんですが、屋台で料理とかを出して、売上や人気で勝負する感じでして」
「ほぅ、それは楽しそうじゃのぅ! そうか、今の地上ではそういうバトり方をするのか!」
「あっ、そうだ。ちょうど、屋台コンテストの絵があるんでした」
ローナはスケッチブックを取り出して見せた。
「ふーむ、どれどれ」
邪神テーラがのぞいてみると。
そこに描かれていたのは――。
――――“闇”だった。
ぶくぶくと黒く泡立つ“なにか”を、人々がうつろに笑いながら食べている光景。
ただ見ているだけで、足元から闇にのまれていくような根源的恐怖に襲われる絵だった。
「……わ、われ、こういうホラーなのNGなんじゃが。不意討ちでこういうの、マジでやめてほしいんじゃが」
「? キャビアの屋台の絵ですよ?」
屋台コンテストの準備のときに描いたイメージ図だ。
結局、ローナたちはかき氷の屋台を出すことになったものの。
「この絵みたいに、みんなが笑顔になれるイベントでして! 楽しかったなぁ!」
「ふむ、そうか……」
邪神テーラがローナの顔を微笑ましげに眺める。
「? 私の顔になにかついてますか?」
「いや、そうではない。ただ、おぬしが本当に楽しそうに話すものじゃから……つい、のぅ」
ローナから聞いた地上の話は、どれも荒唐無稽だったが。
それを話しているローナの表情は、本当に楽しそうで――。
「われも、いつか……地上に行ってみたいのぅ」
その言葉は、思ったよりもすんなりと出てきた。
地上を“滅ぼす”のではなく――ただ、行ってみたい。
そうして、ローナが話してくれたように、“観光”をしてみたい。
とはいえ、もう邪神テーラには、黄金郷の封印を破壊するだけの力は残っていない。地上に出られるだけの力を、ふたたびためられるかもわからない。
だから、それはただの夢の話。
そのはずだったが……。
「それじゃあ、行ってみますか――地上に?」
「……むぇ?」
ローナはなんでもないことのように、そう言うのだった。
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