第20話 女王薔薇クイーンズハート
「はぁ……はぁ……こ、この温室の中なら安全ですわぁ」
毒花粉をばらまいていた薬師ザリチェは、追いかけてくるエルフたちから命からがら温室へと逃げ帰った。
外を見れば、温室の周りにぞろぞろとエルフたちが集まってきている。
まるで、異端の魔女でもあぶり出そうとするかのように。
(ど、どうしてこうなったんですの……?)
つい数時間前までは、ザリチェは救世主のように崇められていたというのに。
こんなことになる兆候なんて、いっさいなかったというのに。
なにか兆候があったとすれば――。
(……あの小娘が現れたぐらいですわ)
救世主だといわれていた少女。
彼女が現れてから、ありえない速度で事態が急変した。
たった数時間の間に、エルフの秘薬を量産され、隠していた企みさえも見透かされ、この里でのザリチェの信頼を地に落とし――。
ザリチェが長年かけて積み上げてきたものが、一瞬で瓦解させられたのだ。
(な、何者ですの、あの小娘……? まさか……本当に、救世主だとでも?)
得体の知れない怪物を相手にしているような感覚に、ザリチェは思わずぞくりと体を震わせる。
(こ、こんなのググレカース卿にでも知られたら……)
と、そう考えたところで――。
『――おい、ザリチェ? どうかしたのか?』
「……ぐ、ググレカース卿!?」
タイミング悪く、通信水晶からググレカース辺境伯の声が聞こえてきた。
『なにか慌ただしいが……問題でも起きたのか?』
「い、いえいえいえ、もちろんなにもありませんわ! 全ては順調ですわ!」
『それならばよかった。ここのところ謎の天変地異が起きているというからな。うん、まあ……それで……その、先ほど言いそびれたことなのだが――』
「あ、あーっ! 申し訳ございませんわ! 少し急用が入ってしまいまして、また後ほどご連絡を……!」
『あっ、おい――』
ザリチェは無理やり通信を切った。
(ま、まずいまずい……まずいですわ……っ!)
ザリチェの計画の失敗を知られたら、ググレカース家からの援助はすぐになくなるだろう。
そうなると本格的にザリチェは立て直しができなくなる。
「こ、こうなれば……っ! 最終手段ですわぁ!」
と、ザリチェが温室の状態を管理している魔道具を操作すると。
温室内に循環させていたマナが、どくどくどくどく……ッ! と中央にある巨大な薔薇へと集まりだした。
「……ま、まだ大丈夫ですわ。調整は終わってないとはいえ……わたくしのこの真の野望まではバレていないですもの」
――ぴくっ、と。
ザリチェが見ている前で、巨大薔薇の蕾がわずかに動く。
魅了花粉をばらまく女王薔薇クイーンズハート。
この花が完全に開ききったとき、ここから数百キロメートル圏内にいる人々は、この薔薇に対して魅了状態になる。
平民だろうが貴族だろうが王族だろうが関係なく、だ。
さらに、そこから奴隷化した民を使って、各所にクイーンズハートを増やしていけば……。
ザリチェの領土はどんどん広がり、やがては世界を支配する女王となれるだろう。
この里での多少の失敗など、すぐに取り返しがつく。
「らふふふふふ♡ あとは、この女王薔薇クイーンズハートの花が開くまで時間を稼げれば――わたくしの勝ちですわぁ♡」
ザリチェは高らかに勝利の笑みを浮かべる。
この温室は、ザリチェの城だ。
鉄棘のような茨の城壁に、毒・睡眠・麻痺などの花粉を飛ばす毒花、近づけば毒針を飛ばすサボテンに、鋭い牙で噛みついてくる食人植物――。
ここにある植物たちはモンスターであり、【植物操作】スキルを持っているザリチェのために戦う兵士だった。
もはやここは難攻不落のダンジョンといってもいいだろう。
いろいろと予想外の事態は起こったものの問題はない。
「――らふふふふ♡ ここまで来れるものなら、来てみなさい♡」
ザリチェがそう高笑いをしたとき――。
――――ぱりんッ!!
と、温室のガラス天井が、破裂するように砕け散った。
「……………………へ?」
光を反射して、きらきらと舞い落ちるガラス片たち。
それをザリチェは、ぽかんと見上げる。
(え………………上から来る系ですの?)
ザリチェが顔を上げると――。
そこにいたのは、空中に浮かぶ1つの人影だった。
きらめくガラス片の中、その人影は光の翼を広げて舞い降りてくる。
その姿は、まさに――天使。
(な……なんか、やばそうなのが降臨したんですけど……)
さらによく見れば、その手に握られているのは――世界樹の杖だ。
(ま、まさか、本物の救世主!? このわたくしを倒すために、ここへ……っ!?)
そう顔を青くするザリチェの前で――。
本物の救世主ことローナもまた、顔を青ざめさせていた。
(あ、あわわわ……!? び、びっくりしたぁ……っ!? お、おかしいな……インターネットの地図には、ちゃんと『隠し通路』があるって書いてあったんだけど……)
改めてインターネット画面を見る。
――――――――――――――――――――
■マップ/【毒薔薇の庭園】
【エルフの隠れ里】の中にあるダンジョン。
初見殺しと名高く、植物系モンスターたちが大量に状態異常をばらまいてくるため、対策なしで入ると麻痺や睡眠で動けなくなったところを毒で殺される。
ただし、探索スキル【クライミング】を習得しておけば、天井にある隠し通路からボスの前までショートカットすることが可能。
――――――――――――――――――――
ここに書かれている言葉を信じて、『隠し通路』があるという温室のガラス天井の上に乗ってみた結果――今にいたるというわけだ。
思ったよりも、ショートカット(物理)だった。
「ま、まだ……ローン、残っていますのに……」
破壊された温室を見て、しばらく放心していたザリチェだったが。
すぐに、はっと気を取り直したように、ローナに向き直った。
「…………らふふ♡ ようこそ、わたくしの毒庭へ♡ 無粋な侵入者さん♡」
ザリチェが余裕たっぷりにスカートをつまんでお辞儀をする。
(そう……わたくしはまだ負けていませんわぁ♡)
ザリチェはひそかに、ほくそ笑む。
たしかに驚かされたけど――それだけだ。
ザリチェの優位は崩れていない。
「わざわざ、わたくしを倒しに来たのかしらぁ? でも……残念でしたわねぇ? この温室に入った時点で、あなたの負けは確定しましたわぁ♡」
「え……?」
「らふふ♡ ほら、そろそろ効き始めてくるころではなくて? わたくし特製の――毒花粉が♡」
「……え? ……あっ」
ローナがそこでようやく気づいたような声を出すが、もう遅い。
「たとえ、あなたが全てを知っていようと……この温室にばらまかれた全ての状態異常に対処することは不可能ですわぁ♡ エルフの秘薬を持っていても、麻痺や睡眠で動けなければ飲むこともできませんものねぇ♡」
どれだけのHPがあろうと、どれだけ力があろうと、状態異常漬けにされてしまえば――全ては無意味なのだ。
麻痺や睡眠で動けなくなった獲物を、毒でじわじわなぶり殺す。
それが、ザリチェの必勝の戦術だった。
「らふふふ♡ 今さら焦っても、もう遅いですわぁ♡ さあ、わたくしに苦しみのダンスを見せてくださるかしらぁ♡ らーッふふふふふふッ♡」
「…………」
「らふふふ……そろそろかしらぁ♡ らーッふふふふふふ♡」
「…………」
「ら……らふふふ♡ らふふ……♡」
「…………」
「…………」
「…………」
「いや、なんで効いてないんですの?」
「な、なんか、ごめんなさい……」
ここでの戦い方も、全てインターネットに書いてあるのだ。
――――――――――――――――――――
■ボス/【女王薔薇クイーンズハート】
[出現場所]【毒薔薇の庭園】
[レベル]53
[弱点]火・氷 [耐性]水・地・毒・麻痺・暗闇
[討伐報酬]女王薔薇の棘(80%)、女王薔薇の花びら(50%)、【女王薔薇の冠】(20%)
◇説明:状態異常やギミックがからんでくる大きな難所。
状態異常をばらまいてくる周囲のポイズンフラワーやパラライズフラワーなどに対処しつつ、中央のクイーンズハートを花が開く前に倒さなければならない。
しかも、中盤時点で一度に防げる状態異常の数には限りがあるため、いくつかの状態異常を受けること前提で立ち回らなければならないが……。
【身代わり人形】を装備すれば完封できる。
――――――――――――――――――――
(……本当になんとかなっちゃったなぁ)
先ほど里で買った“身代わり人形”を見ながら呟く。
これは基本的に攻撃を1回防いでくれるだけのアイテムなのだが……。
インターネットによると、身代わり人形の厳密な効果は『人形のHP(=1)がなくなるまで攻撃を肩代わりし続ける』というものらしい。
つまり、ダメージ判定のない毒花粉のような状態異常攻撃は無限に肩代わりしてもらえるということになる。
もちろん物理攻撃を受けたらそれで終わりだが、植物系モンスターは地面から動かないため、物理攻撃の範囲も固定されており……。
空を飛んでいる今のローナには、植物たちの物理攻撃は届かないため、状態異常を永遠に防ぐことも可能というわけだ。
あとは射程外から攻撃していれば勝てる。
というわけで――。
「まずは――
ひゅぉおおおお――ッ!! と。
温室中の毒草たちから、膨大な量のマナが光を渦巻かせ、杖へと吸収されていく。
そして、そのMPを使い――。
「――プチアイス!」
クイーンズハートに杖を向けて、そう唱えると。
ぱききききぃぃィイイ――ッ!! と。
凄まじい氷が洪水のように放たれた。
氷の波は、女王薔薇クイーンズハートをあっさりと呑みこみ、さらにその余波で、温室全体の毒草たちを凍りつかせていき……。
『女王薔薇クイーンズハートを倒した! EXPを8787獲得!』『LEVEL UP! Lv42→44』『スリープフラワーの群れを倒した! EXPを820獲得!』『ポイズンフラワーの群れを倒した! EXPを1260獲得!』『パラライズフラワーの群れを倒した! EXPを1040獲得!』『スキル:【プラントキラーⅠ】を習得しました』『SKILL UP! 【魔法の心得Ⅲ】→【魔法の心得Ⅳ】』『SKILL UP! 【殺戮の心得Ⅰ】→【殺戮の心得Ⅱ】』…………。
『称号:【女王薔薇を討滅せし者】を獲得しました!』
「……な…………な、なぁっ!?」
あんぐりと口を開けるザリチェ。
「な、なんですの、今の……広域殲滅魔法……?」
「え? 今のはただの初級魔法ですが」
たしかに少女が唱えた魔法は、初級魔法のそれだった。
つまり、この少女はこう言いたいのだ。
『――お前など初級魔法で充分だ』
……と。
そして、実際にそれは正しかった。
(な、なにが……今、目の前でなにが起こって……? えっ、クイーンズハートが一撃で……? あ、ありえないですわ……わたくしの計画は完璧で……それなのに、どうして、この小娘は……そんなに、全てを知っているかのように動けるんですの……?)
……わからない。
ザリチェには、もうなにもわからなかった。
ただ、今まで彼女が積み上げてきたものが……価値観や常識までもが、ガラスのようにもろく砕け散っていく感覚がある。
1つだけわかったことがあるとすれば――。
(……勝てるわけなくね、ですわ)
目の前の少女は、あまりにもでたらめすぎる。
全てを知っているかのように最善手を打ち続け、状態異常を全て防ぎ、なおかつ意味不明な威力の魔法をぶっ放してくるのだ。
「ら……らふ……らふふ……らふふふ……」
ザリチェが壊れたように乾いた笑いを漏らす。
どれだけ知略をめぐらせようと、この少女に勝てる未来が見つからない。
――世界の女王。
その言葉はきっと、この少女にこそふさわしいのだろう。
やがて、ザリチェはふっと息を吐くと。
「………………こ、殺さないで」
がたがたと恐怖で震えながら、いさぎよく両手を上げて降参したのだった――。
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