第38話 呪いの真実6
完全な化け物となったクリスがエオノラに覆い被さった後、手に持っていたルビーローズの枝が紅色の強い光を放って花を咲かせた。
その瞬間、クリスの身体からは黒い靄が逃げだすように離れていった。最終的に靄は霧散してクリスは化け物から人間の姿に戻ったのだという。
「ルビーローズの花は咲いた。君のお陰でこれまで続いていた呪いを解くことができた。……俺が長年、魔術院で研究しても駄目だったのに呪いが解けるとは。未だに信じがたい。結局、呪いはどういうものだったんだ?」
エオノラは意識を失っている間に見聞きした出来事をクリスとハリーに話した。
今まで呪いが解けなかったのは、皆が狼神の言葉を深読みして惑わされていたからだとエオノラは思う。
その血を以て守り花を咲かせよの意味はラヴァループス侯爵の血ではなく、彼を愛する人の血が必要だった。狼にとって愛する相手を番と呼ぶ。番を見つけなければという意味も、どんな姿をしていても心から愛してくれる人を見つけろという意味で、その人の血によって呪いが解けるということだったのだ。
「ふむ。エオノラの話を聞いていると、そういう風に捉えることもできるな。……あとは君の力についてもっと知りたい。石の声が聞こえるというのはどういったものなんだい? あと君の祖母の日記帳に呪いのことが書かれていたと言うけど、祖母も同じ力を持っていたのかな?」
興奮気味にいくつもの質問を投げかけてくるハリーにエオノラはそこまでと言わんばかりに手を前に突き出した。
「ハリー様、先にお伺いしたいことがあります」
「なんだい?」
「私には石の声が聞こえる力がありますが、私は魔術院で一生を過ごすなんて、決してしたくありません。力についてお話ししても構いませんが、魔術院へは秘密にして頂けませんか?」
魔力持ちであることが露見してしまえば、否応なしに魔術院へ連れて行かれてしまう。それだけは絶対に嫌だ。
するとエオノラを抱き締めていたクリスが、エオノラを庇う様にハリーの前に立ちはだかった。
「彼女を魔術院へ連れていくなんて私も嫌だ。そんなことをすればたとえハリーでも許さない」
「ちょっと落ち着け。まずは俺の話を聞いてからにしてくれ。別に俺は魔術院に連れて行く気はないぞ。あくまで好奇心だ! それと近々魔力持ちを魔術院へ強制的に生活させる法律は人権侵害の観点から改正することが議会でも決まっているし、父上も承認した」
ハリーは溜め息を吐きながら側頭部に手を置くとガリガリと掻く。
エオノラとクリスは互いを見やると、同時にハリーの方へ向いた。
「本当ですか?」「本当か?」と、声を揃えて尋ねるとハリーはそうだと即答した。
「まったく疑り深いな。少しは俺を信じてくれ!」
魔術院に行かないで済むと知り、エオノラは胸のつかえが取れてとても気が楽になった。
「……良かった。エオノラが魔術院へ連れて行かれなくて」
クリスも安心したようでほっとした表情を浮かべていた。
その後、ハリーは負傷した護衛騎士の救護に当たった。
血溜まりができていたので重傷を覚悟したが、足を怪我した護衛騎士が先に応急処置をしてくれていたお陰で大事に至らなかった。
重傷の護衛騎士の二人を箱馬車へと乗せたハリーは王宮へと帰っていた。後でクリスの迎えの馬車が来るように手配もしてくれるようだ。
残されたエオノラはガーデンハウスでクリスから傷の手当てを受けることになった。首の傷は少し切れているだけで軽傷だった。とはいえ、消毒液を染み込ませた綿を傷口に当てられる度、ぴりぴりと痛みが走った。
薬を塗られたあとは傷口にガーゼが当てられて包帯を巻かれる。それが終わると今度は手のひらの治療が始まった。
クリスはピンセットで綿を摘まんで消毒液を染み込ませると、手のひらの傷口にそれを当てる。先程よりも傷口が深いのか鋭い痛みが走った。
「……んっ」
「痛むか?」
「少し。でも大丈夫ですよ」
「もう我慢してくれ。手のひらに薬を塗ったら終わるから」
クリスはエオノラを気遣いながら優しく薬を塗っていく。それが終わると、最後は首と同じように雑菌が入らないよう包帯を巻いてくれた。
「ずっと気になっていたんですけど、クリス様はどうして危険も承知で薬を飲まれたのですか?」
実のところ、クリスが大量に薬を飲んだ話をハリーに聞いてからずっと気になっていた。
ハリーの言うように、クリスがエオノラを救いたい一心で薬を服用したのならそれはそれで怒らなくてはいけない。クリスが自分のために命をなげうつなんてしないで欲しいと言っていた。その気持ちはエオノラも同じだから。
クリスは面映ゆ顔で出していた薬やピンセットを薬箱に片付け始める。
「……エオノラを心配する気持ちがあった。だけどそれよりも私はあなたと一度で良いから舞踏会で踊りたかった。自分の残された時間が残り少ないことは分かっていたから……最後の思い出として、あなたと普通の人間として一夜を過ごしたかったんだ」
「クリス様……」
普通の人間として、という言葉を聞いてしまった以上、エオノラは怒ることができそうになかった。いろいろなものを奪われていたクリスに漸く叶えられる願いが見つかったのだ。
そんなことを言われて怒るなんてエオノラには無理だった。
クリスは目を細めると、やがて口を開いた。
「さっき、エオノラが私への想いを告白してくれた時だけど、あんな状況下でなければ嬉しくてきっと舞い上がっただろうな」
そう言ってクリスはエオノラを抱き寄せると、頬に口づけをする。
柔らかな唇が触れた瞬間、頬がカッと熱くなるのが嫌でも分かった。恥ずかしくなってエオノラは俯いてしまう。
「俯かないで。もっとあなたの顔が見たい」
低い声で囁かれ心臓が大きく跳ねる。親指が顔を上げるようという風に顎を撫でてくる。その優しい指使いに応えるように、エオノラはおもむろに顔を上げた。
ふと、エオノラはクリスの変化に思わず声を上げる。
「クリス様の瞳の色が!」
琥珀色の瞳が徐々に青みが強くなって変化していく。
当の本人は驚く素振りもなく、平然としている。
「呪いで瞳の色が変化していたから。これで完全に解けたってことじゃないか?」
瞳の色の変化はまだ続く。徐々に深みを増した瞳の色は漸くそこで落ち着いた。
それは宮廷舞踏会で出会った青年と、まったく同じ緑色をしている。
「姿がもとに戻ったところで改めて挨拶しようか。私はフェリクス・エスラワン。心が病み離宮に閉じこもっていることで有名なあの第三王子だ」
唐突に知らされた真実に絶句した。
「ラ、ラヴァループス侯爵ではなく、第三王子殿下!?」
思い返してみればハリーがいち侯爵のために魔術院で薬の研究をするなど、いくら仲の良い友人であるとはいえ、あまりにも行き過ぎた行動だ。だが、それが大切な弟となれば、身骨を砕くのも理解できる。
「エオノラ。呪いを解いてくれてありがとう。私を好きでいてくれたことも嬉しい。あなたを心の底から愛おしく思う。私が誰であろうとそれは変わらない」
フェリクスの真摯な言葉にエオノラは胸が高鳴っていくのを感じる。きゅうと胸の奥から愛おしさが込み上げてくる。
そんなの自分だって同じだとエオノラは思う。どこの誰であろうと、彼は確かにエオノラの知っている彼なのだ。
エオノラは相好を崩して笑った。
「あなたがどこの誰であろうと、私はあなたが好きです」
二人はゆっくりと目を閉じると、どちらからともなく口づけを交わしたのだった。
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