第35話 呪いの真実3


「伏せろ!」

 ハリーはエオノラの頭を押さえつけるようにして叫ぶと、もう片方の手をクリスの前にかざした。

 素早く口の中でもごもごと聞いたことのない言葉を唱える。するとかざした手からは真っ赤に光る複雑な模様と古代文字が刻まれた円陣が展開された。



(これって、魔法陣?)

 魔法陣はハリーの手よりもどんどん大きくなると、障壁となって襲いかかってきたクリスの身体を弾き飛ばした。

「ハリー様ってまさか……魔術師……」

 頭を上げておずおずと口にすれば、ハリーがへらりとした顔をこちらに向ける。


「一般人の前で魔術を使うことは禁止されているが、状況が状況だ。上も許してくれるだろう」

「もしかして医学や薬学の研究というのは、魔術と組み合わせた研究だったんですか?」

「はは、エオノラは鋭いな。そうとも。俺はいち魔術師としてクリスの呪いの進行を抑えるために魔術院でずーっと魔術を使った薬の研究をしていた」

 事情を知られ、吹っ切れたハリーは次々と魔法陣を展開していく。

 今度は黄色の光に包まれた小さな魔法陣がいくつも展開されると、その中心から蛇の形をした稲妻がクリスに向かって走る。

 クリスは襲ってくる稲妻を華麗に避けていたが、最後の一つが彼の身体に直撃した。

 加減しているのか思ったほどの攻撃性はなく、身体が痺れて動かなくなっているだけのようだ。


「す、凄いわ!!」

 一度にたくさんの魔術を見たエオノラが驚嘆する。

 対してハリーは陰鬱な顔で「とうとう始まったか」と呟いた。

 訳が分からず戸惑っていると、すぐにクリスの異変に気がついた。

 倒れている彼の身体から、ぬるりとした黒いヒルのようなものがいくつも現れている。身体から噴き出した先端はぐにゃりと曲がると、再びクリスの身体の中へと入り込んでいく。


「あれ、は……」

 あまりにグロテスクな情景に慄然とした。

 黒いヒルのようなものはどんどん溢れてきてクリスの身体全体を覆っていった。

「あれがクリスを蝕んでいる呪いだ。呪いが完全になりつつある今、人間の目でも認識できるようになったのさ。そしてあのヒルみたいなのがクリスの身体を完全に取り込めば……化け物が完成する」

「ハリー様の薬、薬で抑えることはできないんですか?」

 呪いが完全なものとなってしまえば、こちらの声はクリスに届かない。そうなれば彼を助けることができなくなる。何とかして食い止めなくては。


 ハリーはこれまで見たこともないような悲哀の表情で首を横に振った。

「もう薬は効かない。満月の日とその前後の三日間は呪いの力が強く、いつもの薬を使っても必ず狼の姿になってしまう。そして無理に強い薬を服用すれば呪いの進行が早まる可能性と、精神が壊れる可能性があった。にも拘らず、クリスは昨日禁忌を犯した。処方していた薬を全部飲み干したんだ。それによって対抗しようとする呪いの力が増して、一気に進行してしまった……」

「どうしてそんなことをなさったんですか? クリス様も満月の日に薬を服用することが危険なのはご存じのはずです」

 普段のクリスなら残された時間を一気に縮めるような真似は絶対にしない。最後まで一縷の望みを掛けて、呪いを解く方法を模索する。クリスは何がしたかったのだろう。



 すると、ハリーが困った表情を浮かべた。

「すべては君のためさエオノラ。……昨夜俺が舞踏会場に行ったのはクリスにエオノラを助けるよう頼まれたからだ。仮面舞踏会にするよう陛下にお願いしたのもあいつに指示されたから。理由はエオノラが周りから非難されないようにするためだと言っていたが……実際はクリス本人が会場へ乗り込むためだったようだな」

「クリス様……」

 クリスはエオノラが無事に社交界デビューできるか心配で舞踏界入りしていた。薬を大量に飲めばどんな結果になるのかも承知の上で。

 エオノラは震える唇を噛みしめると顔を伏せた。


 自分はクリスに助けられてばかりで何の役にも立っていない。

 どうして舞踏会が終わってから死神屋敷に来ないようクリスに頼まれたのか漸く合点がいった。昨夜の舞踏会で、人間でいられる残りの時間をすべて使い果たしてしまったのだ。


「自分を責めないでくれ。クリスの自我が完全に失われるのは時間の問題だった。これは俺の憶測でしかないが、クリスは自分が自分でいられる残りの時間をなげうってでも、君を救いたかったんだと思う」

 目頭が熱くなって涙が滲んでくる。

(どうしてそこまでしてくださるの? 私はクリス様に何も返せてない。私は無力で……助けを求めるルビーローズの力にだってなれていない……)

 すると胸に下げている柘榴石のペンダントが言葉を発した。



 ――侯爵の呪いを解くことができるのはあなたしかいない。



 触れてもいないのに突然話し掛けられて、エオノラは視線を柘榴石に向ける。

(私にしかできない? どういうことなの?)

 すぐに柘榴石に手を当てて心の中で問いかけるが、それ以上柘榴石の反応はなかった。

 果たして、自分に侯爵の呪いを解く資格はあるのだろうか。そして呪いを解く時間はまだあるのだろうか。疑問と焦燥で頭の中がいっぱいになる。


(……だけど、いつまでもこんなところで突っ立っていても、何も変わらないわ!)

 エオノラは自身の頬を両手でパンッと叩いて気合いを入れた。

 突然のエオノラの行動にハリーは驚く素振りを見せたが、すぐにクリスの方を指さした。


「まだ経過途中だとは思うが、あれが呪いが完全となったクリスの姿だ」

 言われて視線を向けるとそこには想像もしなかった醜い姿のクリスがいた。

 頭部は狼、身体は硬い紫色の鱗に覆われていて背には先程の黒いヒルのような触手が蠢いている。尻尾はトカゲのような尻尾だが、先端がやじりのように尖っている。

 あまりの悍ましい姿にエオノラは声を失った。身体は小刻みに震え腹底が縮み上がる。


「完全体となる前に避難しよう。倒れた護衛騎士を屋敷から運び出し、速やかにクリスの呪いが完全になったと報告しないといけないな……」

 状況は悪化の一途を辿っている。

 しかしここで諦めてしまえばクリスはもう二度と救えない。

(今度は、私がクリス様を助けるんだから)

 エオノラは自分を奮い立たせる意味も込めて声を張り上げた。


「待ってくださいハリー様。私がクリス様の呪いを解きます。解いてみせますから協力してください!」

「何を言っている。長年呪いの研究をしている魔術師の俺でも、進行を遅らせる薬しか開発できなかったんだぞ。君に何ができるっていうんだ?」

 ただの小娘に何ができるというのかというようにハリーの瞳が鋭くなった。

 厳かなオーラに一瞬怯んだエオノラだったが、意を決して口を開く。


「……ずっと黙っていましたが私は石の声を聞くことができるのです。ルビーローズに触れることができれば、呪いを解く方法が分かります。そして私が持っている祖母の日記帳には呪いを解く方法が書かれています」

 祖母の日記帳によると呪いを解くには本人の自我がある時に試すのが一番のようだった。この状況下で試すのは博打に近いが、やらないよりはましだ。

 ハリーは未だに胡乱な視線をこちらに投げかけてくるが唸り声が聞こえてきた。

「……ガゥゥッ」

 視線を再び向けるとクリスが身体を起こして立っていた。事態は一刻を争う。

 背中の触手は未だにうねうねと蠢き、別の生き物が寄生しているようだった。

 すると次の瞬間、その触手がもの凄いスピードでこちらへと伸びてきた。瞬く間に距離を取った黒い触手はエオノラの目と鼻の先にまで迫っている。


 躱すこともできないエオノラはただそれを見つめることしかできない。

 すんでのことでハリーが障壁を発動してくれなければ、今頃怪我を負っていただろう。

 自然と息を止めていたようで、やっとの思いで肺から息を吐き出した。


「しっかりしてくれ! その話が本当なら君だけが希望なんだぞ」

「信じてくださるんですか?」

「この状況下で嘘を吐く人間はいない。俺にはもう手の施しようがないし、君を信じるしかないだろう!」


 エオノラは身体をびくりと揺らした。

 そうだ。ここで呪いを解く方法を知っているのは自分ただ一人だけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る