第34話 呪いの真実2
「クゥは……クリス様だったの?」
エオノラはクゥの今までの行動を振り返る。
クゥは狼なのにいやに人間の言葉を理解していた。聡明な狼だとばかり思っていたが、それが人間であるなら納得がいく。
他に何か書かれていないか、エオノラは残りの一節に目を通した。
――彼は私に手紙を残していてくれた。それによるとルビーローズの花が咲けば呪いは解けるらしいの。だけど自我が失われて獣になってしまったら、もう解くことはできない。自我を失ってしまえば私の声は彼に届かないから。そこで漸く気づいたの。ルビーローズが以前から私に言っていた言葉の意味に。そして私に足りなかったものが。あなたに負わされた右足の怪我は生涯治さないわ。これは私自身の罰として墓場まで持って行く。だって私に一番足りな……たものは……ったから。
続きはインクが滲んでしまっていて読めなくなっていた。恐らく祖母の涙の痕だろう。
次の頁にはごめんなさいという言葉と『狼神』という文字が書かれていた。
エオノラは狼神の話の内容を呟く。
「狼神は永遠の眠りにつく前にこう言った。我の屍の上に咲く植物をその血を以て守り花を咲かせよ。番を見つけなければこの土地の厄災は永遠に主である王家を蝕むだろうと」
呟き終えてその言葉の意味が何を示しているのか、そして祖母がどうして謝っているのか気がついた。
クリスが言っていた通り、狼神の言葉は呪いを解くための方法だった。しかし、彼は誤っていた。だからこれまでルビーローズの花は咲かなかった。
「クリス様にこのことを知らせないと。だけど解く方法が分かったところで誰が呪いを解くの? それにクリス様に残された時間はあとどれくらいかしら?」
ルビーローズには蕾が付いているが花は開いていない。もしもクリスに残された時間がないのなら、彼は先代侯爵と同じ轍を踏むことになる。
こうしてはいられない!
エオノラは日記帳を小脇に抱えると屋敷を飛び出した。
死神屋敷に辿り着くと正門前に普段とは違う光景が広がっていた。
なんと豪奢な馬車が止まっている。ハリーが来ているのだろうか。
(ハリー様が来ているなら彼にも呪いを解く方法をお伝えしないと!)
門をくぐって進んでいくと、玄関付近で腰を下ろしている護衛騎士がこちらに気がついて手を挙げた。
「お嬢様、ここに来てはいけません!」
護衛騎士が叫ぶと、同時に庭園の方からガラスが砕けるようなけたたましい音が響いてくる。驚いたエオノラは立ち止まり、小さな悲鳴を上げた。
(一体、何が起こっているの?)
エオノラは話を訊くために音が止んだ隙に護衛騎士のもとに駆け寄った。
「さっきの音は何だったんですか?」
「それが、物分かりの良い狼が突然凶暴化して暴れまわっているんです。いつもはハリー様の言うことを聞くのに、今回は興奮してまったく言うことを聞きません」
「えっ?」
エオノラは顔を青くした。
今のことが本当なら祖母の日記帳と同じことが起きていることになる。状況は逼迫しているようで、護衛騎士が説明を続けた。
「こちらとしてはハリー様をお守りしたいのですが、狼に真剣を使うなとの仰せです。それもあって思うように動くことができず。恥ずかしながらしくじってしまいました」
護衛騎士が下を向くのでエオノラもそれに習うと、右太もものズボンは獣の鋭い爪に引っかかれたように裂けていて、赤い血が流れていた。クゥに攻撃されて負った傷だ。
エオノラは日記帳を地面に置き、ポケットからハンカチを取り出すとしゃがんで止血を始めた。
「そんなことをすればお嬢様のハンカチが汚れてしまいます」
「じっとしていてください。ハンカチが汚れることより止血する方が大事ですから。ところで護衛騎士はあと何人いますか?」
「二人です。真っ先に私がやられたので他の者がどうなっているのか分かりません。殿下をお守りするのが私の務めなのに……不甲斐ないことこの上ありません」
彼は悔しそうに唇を噛みしめる。
エオノラは傷口を覆うようにハンカチを巻いて結ぶと無言で立ち上がり、日記帳を拾い上げる。
「お待ちくださいお嬢様! 行ってはなりません!!」
(ごめんなさい。だけど、私は彼のところへ行かないと!!)
エオノラは護衛騎士の制止を振り切って庭園へと駆け出した。
屋敷の外廊下を走り抜けていくと、そこには見頃を迎えたバラたちの庭園が現れる。
そしてそこでは木の棒を持って狼と対峙するハリーがいた。その手前にはガラスの破片と血溜まりの中、護衛騎士が二人倒れている。
「ひっ、うぅ……」
あまりの凄惨な光景にエオノラは口元を覆うと、恐怖で膝から崩れ落ちた。
庭園内のバラから漂う芳醇な香りと血生臭い匂いが混ざって気持ち悪い。
エオノラは口元に手を当てて胃から酸っぱいものが込み上げてくるのを必死に耐えた。
(しっかりしないと。クリス様を助けるんだから)
祖母が日記帳を自分に託したのは、自分が同じ石の音が聞こえる能力を持っていたから。そして先代侯爵と同じ悲しい運命を次の侯爵に辿って欲しくないからだ。
涙を手で払うと気力を振り絞って立ち上がる。せめてもの思いで護衛騎士たちの上のガラスの破片を払っているとハリーの声が響いてきた。
「いい加減目を覚ませ。俺だ、ハリストンだ!」
クゥ――クリスはガルルルと地鳴りのような低い唸り声を上げている。目は血走り、口端からはだらだらと涎が垂れている。本物の獣だった。
クリスは助走をつけて跳躍するとハリーの喉笛を狙って大きく口を開く。
「やめてクリス様!」
エオノラが叫ぶとクリスが顔をこちらに向けた。注意がそれた隙にハリーは身体を捻り、飛びかかってきたクリスを躱すと反動を使って、木棒ではたき落とした。
キャインという悲鳴が響き、その場に倒れ込む。ピクリとも動かないので気絶してしまったみたいだ。なんとも酷い扱いだが状況が状況だけにやむを得ない。
ハリーは血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。
「エオノラ、ここにいてはいけない。早く死神屋敷から避難するんだ」
「それはできません。クゥはクリス様なんでしょう? それに、呪いが完全なものになれば狼から人間の姿へは戻れなくなってしまう。ただの獣となり、私やハリー様の言葉は届かなくなってしまう。そうですよね?」
この間、ハリーがエオノラに伝えようとしていたことは恐らくこのことだ。
だが、クリスはエオノラとは夏終わりまでの関係だからと突き放し、真実を語ってはくれなかった。今ならどうして教えてくれなかった理由が分かる。
これまで呪いのせいで人に傷つけられてきたクリスは、エオノラにどう思われるのか怖くて真実を口にできなかったのだ。
「それはクリスから聞いたのか? だとしても、内容が中途半端だぞ」
「中途半端?」
エオノラが首を傾げるとハリーはクリスの様子を確認してから身体をこちらに向ける。
「君の言うとおり呪いが完全なものとなると自我を失う。ただの獣となり、最後はルビーローズを守ることだけに命を捧げる。それがラヴァループス侯爵の運命。そして呪いが完全になるということはただ狼になるだけじゃない」
祖母の日記帳によれば、呪いが侯爵の姿を醜い獣に変えてしまうとあった。あれは自我を失い本能だけで生きる狼を指しているのではなかったのだろうか。
急いで読んだから解釈を間違えたのかもしれない。
「では呪いが完全になるとどうなるのですか?」
「グゥゥッ!!」
丁度答えをもらう前に唸り声が聞こえてきた。
視線を向けるとクリスが身体を起こして攻撃態勢を整えている。
相変わらず敵意を剥き出しにした血走った目でこちらを睨んできていた。
だらりと涎を垂らすクリスは、敏捷な動きでこちらに駆けてくると、ベンチや樹木を足場にして軽快に跳んで襲いかかってくる。
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